02 お茶会での出会い
わたしが決定的に何かを間違えたのだとしたら、半月前に届いたお茶会の招待状に「出席」と返事をしてしまったことだろう。伯爵家のご令嬢であるドロシア・ダーレンとは特別親しいというわけでもなく、彼女がたくさん出した招待状のうちの一通が偶然わがヴェルファ男爵家に届いたというだけである。
欠席、でよかったのにな、といまとなっては思うのだが……当時のわたしは人付き合いも大事よ、という母の助言を鵜呑みにしてしまった。恨みますよ、お母様。
昼間の外出着は華美なものよりも上品なものの方がふさわしい。襟の詰まったモスグリーンのドレスに身を包んだわたしは鏡の前でくるっとターンした。
先端にかけてゆるやかなくせのある赤茶の髪に榛色の瞳というどこにでもいそうな容姿で、取り立てて目立つところがない。目立つ必要もないのだからべつにいいか、と自分を納得させてわたしは部屋を後にした。
ダーレン家に到着すると、いつものように主催のドロシアから一番遠いテーブルへと案内される。親しい友達かどうかや家柄によって席次は決まるから、わたしの席は取り立てて仲が良くもなければ爵位も低いお家の令嬢が自然と集まっている。いわば地味テーブルだ。ドロシアはお茶会の最中に一度ぐらいは声を掛けに来てくれるだろうが、それ以外は特に目立ったイベントもなく静かに過ごすことは決まったようなものだった。
いつもの顔ぶれに挨拶をして、ドロシアのお茶会開始の号令を待つ。
「ごきげんよう、リーリエ様」
話しかけてくれた令嬢に「素敵なドレスですね」と定番のお世辞を言うと「リーリエさまも……」と言いかけて絶句してしまった。無理しなくても大丈夫だ、どこをどう見てもわたしのドレスに「素敵」な要素なんかない。
飾りが少なくてシンプル、といえば聞こえがよいがドレスにかけられる予算が限りなく少ないからだし、この型は昨シーズン流行したものである。古臭くて地味、以上の形容が思いつかない恰好をしている自覚はあるから気にしないでほしい。にっこりと笑うと愛想笑いが返って来る。
そんなふうに近場のご令嬢と語り合っているうちにお茶会は開始していたようだった。各テーブルのそばに控えていた見目麗しい使用人たちが白いポットから紅茶を注ぎ入れる。ふわりと漂う湯気から立ちのぼる芳香にわたしは目を細めた。さすがダーレン伯爵家、いい茶葉を使っているようだ。
テーブルの上に用意された焼き菓子を眺めつつ、わたしは息を吐いた。
可愛い妹のヴィオレットにハンカチに包むなどして持って帰ってあげたい。だが、それにはどうにかしてテーブルのご令嬢方の視線を逸らす必要があった。見つかってしまったら意地汚いご令嬢だと悪評が立ってしまう。
そのとき、ドロシアがいるあたりのテーブル付近が色めき立った。
「あちらご覧になって、近衛騎士のフィリップ様だわ」
「ドロシア様のお兄さまの? まあ! 素敵な方ね……近衛騎士の濃紺の騎士服がよくお似合いだわ」
令嬢たちは一斉にドロシアの方を向いた。これを好機ととらえたわたしはさっとスコーンひとつを掴むとハンカチに包んだ。それから話を合わせるために令嬢方とおなじ方向に視線を向ける。
そこにはドロシアとよく似た面差しの男性が立っているのが見えた。
背が高くすらりとしていて、確かに皆が騒ぐのも納得の外見だ。舞踏会などにいたら相当目立つに違いない。ドロシアに兄がいることは知っていたが、こうして本人を目にするのは初めてだった。
近衛騎士団は騎士の中でも選び抜かれた精鋭が揃うと評判のエリート集団だ。そこに所属している兄のことをドロシアはたいそう自慢に思っているらしく、しばしば嬉しそうに友人たちに話していた。
「……ん?」
ドロシアの兄、フィリップのすぐそばに別の男性が立っている。暗色の髪のドロシア兄妹とは正反対の、眩い金髪の後ろ姿につい視線が吸い寄せられてしまう。するとわたしの視線に気づいたはずがないのに、彼はふいにこちらを振り返った。
「あ……」
目が合った、そんな気がして心臓がどくんと跳ねる。
ただおなじように思ったのはわたしひとりではなかったらしい。
「ねえ、いまあの金髪の方と目が合ったわ」
「あら、あの方が見たのは絶対に私よ!」
どうやら気のせいだったみたいだ。きゃあきゃあ騒ぐおなじテーブルの女性陣を眺めながらわたしは苦笑した。
あんな立派な紳士がわたしだけを見て、微笑んだ――そんなふうに感じるなんて自意識過剰にもほどがある。どうせ、特定の誰かに宛てたものではなく、ただの愛想笑いでしかないのだろう。
「あのお方、近衛騎士団長のサイラス様よね?」
「サイラス・エルドラン卿? あの美しい方が……なんて素敵なのかしら」
「フィリップ様とは同僚なわけだから、遊びに来たのかしら」
「サイラス様は侯爵家の次男だというのに、長男の小侯爵様より目立っておいでだわね。ほら見てごらんなさいよ、あの美貌」
そんなふうに盛り上がっているところに適当に相槌を打ちながら、わたしはもうひとつかふたつ持ち帰れそうな焼き菓子を見繕っていた。粉々にならない方がいいからクッキーは却下、マドレーヌと小さなひとくち大のパイなんてどうかしら。
なんて算段をつけながらそろそろと菓子に手を伸ばす。さっと掴んだマドレーヌを先ほどのハンカチに収めようとしたときだった。
「美味しそうですね」
びくっと驚きのあまり手が震え、焼き菓子が手からぽとりと零れ落ちた。白いテーブルクロスの上に粉が散る。ぎこちなく振り返ると、そこには先ほど目が合ったような気がした男性が立っていた。
「えっ、あの……」
「ああ――申し遅れました、俺はサイラス・エルドランと申します。リーリエ・ヴェルファ嬢」
「わたしの名前をご存知なのですか?」
茫然としながら眼前に立つサイラス様の碧い眸を見つめた。真昼の光を浴びて碧眼が宝石のように輝いている。高い鼻梁、笑みを刻んだ柔らかな口元といい華があるひとだと思う。そんな男性が何故、わたしに話しかけているのだろう。
頭の中は疑問符でいっぱいだった。
「ええ、勿論です」
「どこかでお会いしたことがあった、でしょうか。申し訳ないのですが、記憶になくて」
精一杯頭の中を探ってはみているのだが、どこにも見当たらない。大体こんな派手顔の人物なんて、一度会えば忘れるはずがないだろう――サイラス様は燦然と輝く太陽のようなひとだった。
「サイラス様! あの……王立武術大会での決勝戦、お見事でしたわ!」
「わたくし目が離せませんでした、本当に格好良くて」
ぼんやりとしているあいだに、わっと令嬢たちがサイラス様の周りを取り囲んで会話を始めてしまった。しかもわたしの背後で、である。強制的に会話に巻き込まれてはいるが、話に入れそうにもない。
ありがとうございます、とにこやかに応対するサイラス様の姿に女性たちはさらに盛り上がって質問を投げかけていった。ご趣味は、休日は何をして過ごされているのか、とか。わたしは興味がないのだが、令嬢方の興味は尽きないようでついには犬派か猫派かまで話が及んでいった。いつのまにか茶会の主催者であるドロシアと兄のフィリップまで加わり、この端の端にあるテーブルが異様に盛り上がっている、という謎の状態に発展してしまった。
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