第29話 『す』 京都
『す』
『粋は身を食う』
「粋」は『イキ』を『スイ』と読んでいるのだが、江戸で言う粋は困った遊び人と紙一重の処があって、若旦那の与太郎を適当に持ち上げて散財させる時などにも使われていた。
江戸時代の言葉には、一言で裏表の意味を持った物をよく見かける。粋もその一つ。他は自分で探してくれ。
遊郭などで遊びに通じた人と言うと少しばかりいい人に聞こえるが、要は金をばら撒いてくれる人。
遊郭で毎晩のように豪遊していたのでは、大店だって十日もあれば潰れてしまう。
かつてのバブル期に、一晩で百万二百万使っていた成金野郎はどこへいってしまったのか。
当時はそこら中にそんな浪費家がウジャウジャしていた。
浪費する事によって資本主義経済は成り立っている。
景気が悪いと思い込み誰もが質素倹約に励めば、結果は自ずとデフレスパイラルである。
景気の良し悪しなんてのは、消費者の思い込みでどうにでもなる。
近所の粋な兄さんを持ち上げて、カード破産するまで散財させてあげましょう。
そんな兄ちゃん姉ちゃんが百万人ばかりいれば、一気に日本の経済は立て直せる。
カード会社の一件や十件百件潰れても気にするな。
どうせバックについている銀行が何とかしてくれる。
銀行が傾きゃ日本国政府が国税を使って助けてくれる。
しょうもない箱物ばかり作って、議員の懐にポッポされるよりよほどいい。
廻り廻って精算している金は、貴方が払った血税だから。
『墨に染まれば黒くなる』
朱に交われば赤くなる、この朱が墨になっただけで言いたがっている事は同じ。
どちらかというと墨=黒の方が納得できる染まり方だ。合理的な大阪人らしい札である。
必ず黒くなるかと言えば、そうとも言い切れないのが人間てもの。
灰色だったり限りなく黒に近い濃紺だったり。
純白って所までは間違っても持って行けないが、黒いからなんだってんだ。灰色がいけないのか。
白黒はっきりして欲しいと言いたいのだろうが、世の中そうそう簡単に白黒ハッキリできるものではない。
オセロのように白だった駒も、黒に挟まれ嫌々黒になってる場合もある。
仲間の白が回りの黒を白に変えてやるまでは、ずっと奥の【白ひっくり返り黒】は黒のままである。
碁石のように黒は黒石のまま永久に黒で、白は黒石に囲まれても白石のままでいる場合もある。
白黒はっきりしない将棋の駒は、ちょいと間違えば敵になって攻撃してくる。
墨に染まれば黒くなるというが、いくら黒い墨に染まってもその奥には元の色が残っているものだ。
ようく注意してみてやれば、墨の黒とは違う黒が見えて来る。
『雀百まで踊り忘れず』
実に京都らしい札が最後っ屁のように出てきた。
一度身につけた芸事・技能・習慣は一生涯忘れないものだと言っている。
嘘だ。
私は若かりし頃、かなりの上級クラスまで行ったピアノが、今は全く弾けなくなっている。
精々ロープをかけて引くのが精一杯で、それも数十センチが限界だ。
前向きな解釈としては、若い時の苦労は金を払ってでもしておきなさい。色々な事を学んでおきなさい。そうすれば歳をとった時に助かりますよ。
金を払っての苦労なら散々して来た。
競馬・競輪・オートに競艇。パチンコ・麻雀・ゴルフに野球にボクシング。最近ではサッカーや宝くじ。
どれもこれも一切実に成って居ない。未だに苦労し続けている。
こんな言葉で前向きになれるものではない。
『京』
『京の夢大阪の夢』
「ん」で始まる言葉が日本にはない? ので代わりに「運」とした。
当時出世する為には絶対に行った方がいいぞ!
推奨№1の地であった京都や大阪へ生きて辿り付くには、幸運が必要だという意味から、最期の【ん】に【京】をもってきている。
そんなこんなで京の夢大阪の夢となっている。
当時のニューヨークのような江戸の庶民からすれば、京都・大阪はワシントンD.Cやロサンゼルスだった。
隣の芝生は綺麗に見えるもの。アメリカンドリームのはしりのようでもある。
今ならば江戸から京都大阪へ行く為に運を使い果たすのは馬鹿タレである。
自分の位置から何処か良さそうな所へ動いたからと、たいして良い事が起こるわけでもない。
無駄な労力を垂れ流すより、必要な所に力と才能は使うべきである。
使える能力・才能が、他人様から見て無駄な労力の垂れ流しにしか見えない方々の場合はこの限りではないのだよ。だーよ!
『ないんだなー京の札』 大阪
近い事もあってか、京都に対するライバル心からか、無いなら無理に造る事もなかろうという合理主義からか、大阪に『京』の札は無い。
『京に田舎あり』 京都
さて『京に田舎あり』ですが、直訳すれば【京のように賑やか華やかな所にも、田舎の様にのんびりと出来る長閑で静かな所はあるのだよ】といった感じ。
人の頭の中も同じ様なもので、悩んで喜んで怒って悲しんで、色々な考えや感情がトルネードしているのであります。
そんな頭の中に、ちょっとだけでも休める所を作っておくと、生きて行くのに随分とらくちんなのではないでしょうか。
あれこれ嘘と真実をまぜこぜし乍ら有る事無い事、ぼやいてきました『いろはたとえ』
皆様の心の休憩所として、気楽に読んでいただける読み物であったれば幸いでございます。
いろはたとえ 葱と落花生 @azenokouji-dengaku
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