第17話 『や』

『や』


『安物買いの銭失い』


「安普請は家失い」と同じ。

 江戸時代、鰻屋が宣伝用キャッチコピー制作を、当時エレキテルで知られていた『平賀源内』に頼んで出来たのが「土用の鰻の日」

 今回のカルタ「安物買いの銭失い」も、やはり「平賀源内」が考えたもの。

 江戸時代は一見平和に見えるが、幕府の経済状態は今の日本より悪かった。

 世界最古の記録に残る「スタグフレーション」状態だったのだ。

 ここで登場したのが超天才「平賀源内」才能のある者は経済の建て直しにも貢献した。

 安物しか売れない。忙しいばかりでたいして利益が出ない。

 今で言う所の百円ショップの様に、商店街全体がなってしまった商工会からの依頼で造ったキャッチ。

 この「安物買いの銭失い」たちまち江戸中に広まるが、そうとは分かっていても先立つ「御足が無い」のが一般庶民。

 真っ先にこのキャッチコピーで釣れたのは、贅沢を禁止されていた御武家様の奥方。

「これは贅沢ではありません。結果としてお得なのです」と高価な物を求めるようになった。

 経済の要「銭の循環」は良くなり、商店街はシャッター通りにならずにすんだのである。

 世の金持ち諸君。もっと無駄使いをして貧乏人を救ってくれ。



『やみに鉄砲』


 近代兵器の進歩は凄まじく、このお言葉、今は通用しない。

 暗闇での狙撃には暗視スコープが使われる。

 赤外線センサーを使えば、壁の向こう側に何人居るのかまでわかる。  

 レーダーは暗闇での飛行・航行を可能にした。

 人生にも暗視スコープやレーダーがあったらいいのに。

 そういえば、ド〇〇〇んにそんな未来の機械はなかったろうか。

 無ければ、教えてあげると何がしかの謝礼が出るらしい。一種の著作権のような物だからである。

「パパパパッパパー 人生レーダー!」なんちゃって。

 未来の猫型有袋類ロボットド〇〇〇んが、おなかの袋から出すのを見てみたいものだ。

「無駄弾になってしまうから、何も見えないのにむやみにぶっ放すのは屁くらいにしておけ」という意味だ。

 ベトナム戦時の時--削除--カがこの言葉を知っていたら、枯葉作戦は無かっただろうな。

 対して「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」というお言葉がある。マシンガン発想のルーツである。

 実にア--削除--っぽい言葉だ。

 殺人の為の道具が儲かるのは確かである。

 しかし、こんな人殺しの道具を作っている暇と金があるならば、お先真っ暗な経済を見通せるスコープとか、政治の先の障害物を発見するためのレーダーとかの開発をしてもらいたい。




『ま』


『負けるは勝ち』


 よく使われているが、いざ説明するとなるとヒジョーに難しい。言っている事が無茶だからだ。

 負けは負けである「負けるが勝ち」などとは、所詮負け犬の遠吠えでしかない。

 戦争などによって一部の兵を犠牲にして敵をかく乱し、そのすきに本陣をタタク。

 作戦的に全体の勝ちは得られたとしても、一部の特攻部隊の負けは負けである。

 ワンフォーオール。ワンの部隊はたまったものではない。

 私なら敵前逃亡する。ヘタレには自信がある。

「勝っても負け」という対語が出来てもいいと思う。あったよ「判決で勝って裁判に負ける」だったかな?

 最初から負けることを目的として戦うのであれば、負けた事は目的を達成したのであるから勝ちと言っていいだろう。

 ジャンケンなら敗北は決定であるが、申請を拒否してもらう為に申請しているであればいいだろう。

 間違って審査が「支払い決定」となればなったで、余計な手間暇が省ける。どっちに転んでもいい。

 この言葉、負ける為に戦って負けるのならば、つまりは勝った事であると言いたがっているのかもしれない。


『待てば甘露の日和あり』

 他力本願の極みである。この言葉に自分で何かをしようという意思は微塵も無い。

 甘露は中国古典に出てくる天が降らす慈悲の雨で、甘い露の味がするらしい。

 しかるに、天は少なくとも近代になってからは慈悲の雨を降らせていない。

 頼るだけ頼った後は勝手に争い「悪魔の黒い雨」まで降らせた人類。神はとっくに我々をお見捨てになっている。

 昔は日照りが続くと命に関わった。人柱を立てての雨乞いも行われていたほどである。

 そんな時に降る雨は、きっと甘く感じたのだろう。

 甘いものが貴重品だった頃、山の湧き水でさえ甘く感じたものだ。

 現代のように甘さに慣れて肥え太ると、甘さ控えめーなどとヌカス。

 人は何時でもわがままだ。

 甘露では無くカイロと思っている人が多いようだが間違いだ。

 カイロから国際電話やインターネットで連絡は入って来ない。

 農耕民族ゆえのコトワザである。

 海賊にはそんな事はどうでもいい事だ。

 待って願いが叶うなら「私待つわ。何時までも待つわ」(アミン 待つわより抜粋)ダーホ。

 世の中そんなに甘くない。

 待っていて勝手にやって来るのは請求書くらいの物だ。

 話はコロッと変わるが、今日、病院で寄付を募る張り紙を見た。

 子供の心臓移植費用が一億近くかかるとか。

 ほとんどはドナーの順番待ちを飛ばしてもらうため、賄賂につぎ込まれる金だ。究極の選択か。

 一人の命の為に一億。比べるのも悍ましい程で、百円で助かる命もある。

 一億だと百万人の命が助かる勘定になってしまう。

「人の命の重さに変わりは無い」「人命は地球より重い」だが、命の値段には変わりがあった。

 持たざる者の命は五百円玉より軽かった。持つ者に囲まれた一人の命は百万人の重さに値する。

 やっぱり人間は大馬鹿たれだ。

 一億かけて旅する人がいる。

 一億無いばかりに死んでいく人がいる。

 実力主義社会・ク〇野郎国家的。聞こえは良いが、ろくなもんじゃねえ!



『まかぬ種ははえぬ』


 簡単に考えれば確かにそうである。これもやはり使えないコトワザだ。

 現代においては種を蒔かなくとも芽は出る。

 農業に限らず、畜産でも同じ事が言える。

 遺伝子操作・人口受精・バイオテクノロジー、何打らカンダら。

 農耕作物でも種を蒔いて出来る物ばかりとは限らない。

 果樹であれば大元は種であったのだが、挿し木・接木で増やするのは現代に限らず江戸の時代でも当然の事であった。

「努力なくして実はならぬ」なんて事をいいたかったのであろう。言いたい事は分からないでもない。

 だけどさ、努力と結果は必ずしも一致しない。

 現代教育は、人は不平等の中で生きている現実を教えていない。

 いくら努力しても報われない国民に対して「今国が貴方に何をできるかではなく、貴方が国に何をできるかである」とか言った奴がいた。

 独裁者を大勢世界に排出してきた国家の長が言いそうな言葉だ。

 国家とは国民から税金を奪い、いざ戦いともなればその命までも奪う。

 国家に対して何が出来るかってか? ザーケンナー。

 国家が国民に何もしないで国民から奪うだけなら、国家なんてものはいらねえよ。

 国民の利益の為に国家があるのだ。国民は国家の奴隷ではない。

 この事を世界に強くアピールした人は大勢いる。  

 有名な所で隣のジョン。

 殺されちまったよ!

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