第4話 『へ』
『へ』
『屁をひって尻つぼめる』
屁こきましたね貴方と言われてから、尻をつぼめる御間抜け。
辺り構わず無神経に放屁しまくっているオッサンには無縁なお言葉。
死語というか「死ことわざ」近代では殆ど使われていないことわざである。
「イタチの最後っ屁」が受けた者の生死に関わる猛毒であるのは周知の事実であるが、人間のそれも強烈な物は生死に関わる毒物と考た方がいい。
主な成分はメタンガスか硫化水素である。
西洋では人前で屁を打ちカマスのは失礼ではない。食後のゲップの方がよほど嫌われる。
支払いの際のゲップは家計が苦しい時に最も嫌われる。
放屁の次に発射位置に来る物は、大多数の人はウ○コ。
中世の城にはトイレが無く、舞踏会など催したら通路と言わず室内・庭の隅など、そこ等中で用を足すのが当たり前であった。
ベルサイユのバラはその栄養でよく咲いていたとか。
日本では江戸時代に糞尿は近くの農家が買い取り、有機堆肥の原料に供していた。
大家にしてみれば家賃を払わないタナコでも、ウ〇コ、シッコさえしていてくれれば元が取れたのである。
たな賃を一年も二年も払わないタナコが居ても、不思議でない超エコライフ時代だった。
江戸時代、排泄物・生ゴミは肥料の原料として極めて貴重な資源であった。
現代でもし尿処理場から出る処理後の汚泥を、肥料として再利用する取り組みが盛んに行われている。
先人の知恵に学んでこそ、気候風土にあった日本独自の効率的な環境対策になっていくのである。
なんでもかんでも西洋アメリカに右え習えは、もう止めた方がいいよ。
『下手の長談義』
簡単に言うと校長の話。社長の話。議員の話。
アメリカンジョークじゃないんだから、無駄に長い話にはついていけない。
同じ事を説明するのにやたらと長く、尚且つ理解し辛い言葉で説明する。これ、自分自身も理解していない証拠。
真に素晴らしい言葉は「名言」として残り、名演説として全文が称えられた例はない。
言った人の功績や生涯などは問題の外。
一言がどれだけの人に勇気と感動を与えるか。
寒ーい言葉は止めてほしい。
話してくれなくていいや、もうお前何も言うな。鬱陶しい。なんて事にならないように。
『と』
『年寄りの冷水』
あー、俺の事だー!
年寄りが冷たい水にいきなり飛び込むと命に関わるぞと、年寄りのヤンチャを戒める言葉。
それが転じて遣り付けない事をやると、ろくな事が無いとでも解説しておこう。
冷たい水を急に飲むと具合が悪くなるのは、年寄りに限らずある。
しかーし、年寄りには特に過酷である。
年寄りの水分補給は、やはり煮えくり返っているような熱ーいお茶に限る。火傷はそのうち治る。命には代えられない。などとノタマウ奴がいるが、御茶やビールは水分補給には適さない。
このことわざには、老人に対する深ーい労わりと尊敬の気持ちが込められている。
近所の悪ガキが年寄りをイジメていたら、愛の鉄拳で説教してあげましょう。
鉄拳は、逮捕されない程度にしておきましょう。
『遠い一家より近い隣』
「遠い親戚より近くの他人」とも言い、良く使われている。
「向こう三軒両隣」などと言うが、私の住む村では立ち上がって見える範囲にある家を近所としている。
一番近いお隣は、ここから一㌖ほど南に行くと在る。
ことわざをそのままの意味でとると、デタラメな世界に引きずり込まれてしまう。
時代背景・環境・教育等々、色々と組み合わされて意味がある。
単に遠い親戚を頼るよりも日ごろから近所付き合いを良くしていれば、いざという時に何とか助けてくれる物だと解釈すると、実に打算的かつ自己中心的考えのことわざであるのだが、当時はこれでよかった。
現代は「親戚は近くにおくな」などとも言う。
夜逃げの際には近くの親戚、近所の人達では頼れないし、取立ての「ヤッチャ魔」に発見される危険度が高い。
遠くの親戚ならば何とかなる。できれば海外がいいだろう。
ただ、海外に逃げる金があるなら、借金返せよ!
借金の金額が莫大である場合は、弁護士に自己破産をお願いしておいて逃亡すべし。
逃げる鳥は、あとを濁さないのが礼儀だ。
一度出廷しないと申請が無効になってしまう。
出廷の際に裁判所の入り口で「ヤッチャ魔」に連れ去られる事が多々あるので注意してほしい。
『豆腐にかすがひ』
「かすがい」とは、家を建てる際に使われる補強材の事。
豆腐にかすがいを打ち込んでも、補強にならない事を当時の人達は知らなかったとみえる。無意味な行為である。
「のれんにうで押し」「ヌカに釘」「へのツッパリ」等々、同じような表現ことわざは多く残されている。
同じ「かすがい」を使ったことわざに「子はかすがい」がある。
現代では必ずしもそうとは限らない様で、離婚率は上昇傾向にある。
何を指してこの様に例えるかと言うと、やはり政治家先生への批判とか、お役所仕事や不正に対する批判を指して言う。
「馬の耳に念仏」などとも言う。
落語の世界では、いっくら教えてもいっこうに物事を覚えないヨタロウに対してよく使われているが、政治と行政・司法も含めて、人の上に立つような御偉い方は『ヨタロウ』であるべきなのだろうことわざである。
きっと。
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