第37話
「ここは、特別なお客様の専用席なんだよ。いわゆる『VIPルーム』だね」
案内された先は、なんと個室だった。デザインガラスの引き戸により、一般フロアとは隔離されたプライベートスペースである。
室内中央にはデンと革張りの可動式チェアが設置されており、僕はそこへ座らされた。もちろんカットクロスも着用済みだ。
「それで、美月ちゃん。オーダーは私のお任せでよかったの?」
「はい。彼は恋人が欲しいそうなので、できるだけカッコよく見えるようにお願いします」
「あはは、わかったよ。それじゃあ切っていくからねー」
チョキリ、チョキリ。ハサミの音に合わせ、大理石調の床へ黒髪がすべり落ちていく。
さも当然のように僕の意見は聞かれず、ヘアカットはスタート……なにこれ、心地よすぎる。先ほどまでの場違い感もどこへやら。
ブランチのときもそうだったけれど、僕は何かと引っ込み思案な性格のうえ優柔不断だ。対象的に美月は、リードしながらあれこれ気を回してくれる。だから、一緒に行動していてめっちゃ楽なのだ。もうこのまま人生のすべて預けてしまいたくなる。
しかも以前(屋上ランチのとき)に僕が口走った、『恋人が欲しい』という言葉を覚えてくれていたみたい。それゆえのヘアカットか。これほどまでにクライアントへ配慮できる女子高生なんて他にいないだろう。
そんな彼女は用意されていた椅子に座り、膝の上で雑誌を広げている。距離も近く、きちんと会話に参加してくれるので、俗に言う『美容師さんと話が弾まなくて気まずい問題』も発生していない。
また会話の中で、片瀬さんは「内緒だよ」と前置きしつつ、とある若手イケメン俳優の担当であることを教えてくれた。しかもその髪型をベースとして、僕に似合うようアレンジしてくれるという……それって、もうほとんど芸能人扱いなのでは!?
ちょっと興奮気味に、変化していく鏡の中の自分を眺める。
それから1時間弱が経過したところで、片瀬さんが「はーい、できました」と告げ、銀に光るハサミを腰のポーチへ収めた。
カット&シャンプーの仕上げに、ドライヤーとワックスで軽くシルエットを整える。ついでに毛束を散らしたらスタイリング完了。
「どうかな? 清潔感たっぷりの前下がりラフマッシュスタイルだよ。頭の形がキレイだから、兎和くんにピッタリだね。あと、サッカー中でも邪魔にならないようすっきり目に仕上げました」
「うん、とってもよく似合っているわ。それに、ずいぶんと垢抜けて見える」
カットクロスを外してもらい、鏡に映る自分の頭部をまじまじと観察した。
美月が褒めてくれたように、『表参道で買い物していそうな男子高校生』といった趣である。これまでのモッサリジメッと感はすっかり払拭され、明るく活発そうな印象を受ける。
この外見であれば、僕はモブから脇役くらいにまでグレードアップしたんじゃないか?
さすがは有名美容師さん……髪型ひとつでここまで違いを作れるのか。ちょっと驚きだ。
「ご来店ありがとうございました。また来てね、お二人さん」
「はい、こちらこそありがとうございました。私は近い内にまた改めておうかがいしますね」
「僕も絶対にまた来るので、そのときはよろしくお願いします!」
お会計を終え、片瀬さんに見送られてヘアサロンを出る。名刺をいただき、再訪の際はまた担当していただけることになった。気になる施術のお値段は、いつも適当に通っている地元のヘアサロンの倍だったが。
まあ、ちょっと高いが問題はない。僕はお小遣いやお年玉をほとんど使わずに貯金しているので、実はけっこう裕福なのだ。使わない理由はお察しである。
「では、せっかくイケメン……ではないけれど、いい感じの雰囲気になったことだし、次はお洋服でも見に行きましょうか」
美月が、ヘアサロンの入るビルを背にして言う。
いい感じの雰囲気……つまり、雰囲気イケメンってこと!?
ポジティブな僕とは反対に、なぜかバツの悪そうな表情を浮かべた超絶美少女に先導されて、近くにあったメンズ向けのアパレルショップへ入店する。
見る限り、大人っぽくてスタイリッシュな商品ばかりだ。何気なしに、目立つエリアに吊るしてあったロンTの値段をチェックする。タグには『¥39,800』と記載されていた。
僕は勢いよく隣に立つ美月へ顔を向けた。高校生が買えるような値段じゃないぞ、と視線で訴える。
「……ここは、私の兄がよく買い物するセレクトショップなの。ごめんね、他にメンズ向けのお店を知らなくて」
「なるほど。それなら、僕は大丈夫。逆に、今度は美月の服でも見に行こうよ。せっかくのゴールデンウィーク最終日なんだし、二人とも楽しめた方がいいだろ」
青春スタンプカードのコンプリート報酬とはいえ、ここまで至れり尽くせり。おかげで僕の満足度は上限に近い。なので、後は美月にも休日を満喫してもらいたい。叶うなら、家に帰ってからも余韻が残るような一日となれば最高だ。
「兎和くんがそう言ってくれるなら、お言葉に甘えようかしら。次の機会までに、男子高校生が行くようなショップを調査しておくわね」
美月の笑顔を見て、なぜか僕の心はほっこりとする。
さておき、何も買わずに高級セレクトショップから立ち去る。続けて足を運んだ先は、やはり南青山エリアにある別のセレクトショップ。もちろんレディースファッションがメインの店舗だ。
「ここも涼香さんに教えてもらったショップなの。ティーンズ向けでも、落ち着いたデザインのお洋服を多く取り扱っているのよ」
入店してさっそく、美月は目を引かれたらしいディスプレイエリアを物色する。
そして少し迷った素振りを見せながらも、シルエットの異なるワンピースをそれぞれ左右の手に掲げ、こちらへ向き直った。
「兎和くんは、どっちが好き?」
「うーん……これから夏だし、こっちの明るい色の方がいいんじゃない?」
どっちでもいい、なんて間違っても口にしてはいけない。そのあたり、僕は妹にきっちり躾けられているのであった。
このような状況では、『いったん真剣な目つきで吟味するフリをして、さらに少しの間を空けてから適当に目についた方の服を指差す』というのが、男性の取るべき行動の最適解。
我ながら完璧な対応だ、と。
内心で自画自賛していたら、美月はなぜか僕の体にワンピースをあてがって言う。
「あら、そう? 意外ね。兎和くんには、こっちの落ち着いた色合いが似合うと思ったのに」
「いや、僕が着るのかよ……」
「足の毛を剃るかはおまかせするわ」
愉快そうに笑う美月。
僕はからかわれた流れで、つい彼女の足元へ視線を向けた。ロングスカートの裾から、白くほっそりとしたお御足がチラ見えしている。つるつるでとてもキレイだ。
「美月もすね毛は剃ってんの?」
「……デリカシーという言葉を知っているかしら?」
結局、僕が選んだ方のワンピースを買うことにしたらしい。美月はレジへ向かうと、デビットカードでお支払いを済ませていた。すごい、キャッシュレス女子高生だ。
ちなみに、たった一着なのに僕の全身の服が揃えられるほどのお値段だった。あと、店を出てもすね毛に対する回答は得られなかった。
その後もショッピングを楽しみ、疲れたら喫茶店で休憩する。
コミュニケーションに難のある僕だが、肩肘張らずに自然体で楽しめた。一緒にいたのが、つとめて自然にリードしてくれる美月だからだろう。
そうして穏やかに時計の針は進み、いつの間にかお開きの時間が迫ってきていた。
「さて、そろそろ時間ね。兎和くんはこの後、吉祥寺でカラオケ会でしょう? よかったら車で送らせてちょうだい」
「え、いいの? ぜひお願いします」
「もちろん。といっても、運転するのは涼香さんなのだけれど」
僕は提案に二つ返事で頷く。名残惜しい気分だったので、願ってもない提案だった。
美月はスマホをタップし、涼香さんと連絡をとる。すると10分ほどしてから、近くの大通りに迎えの車が到着した。
美月と僕は後部座席に並んで座り、シートベルトを締める。
「なに? 吉祥寺でカラオケ会だって? まったく、仕方のないボーイだね。さっさと乗りな。ちょっと飛ばすよ」
脈絡のないセリフに合わせてアクセルを踏み込む涼香さん。
そんな彼女が運転するのは、国産の超高級セダン。どこもかしこもピッカピカで、シートは当然ながら革張り。液晶ディスプレイやクールボックスまで完備されている。
我が家のワンボックスカーとは、乗り心地から車内に漂う香りに至るまでまるっきり違う。あますことなく洗練された上質感で溢れている。
「本革スゲー。手触りツヤツヤ」
「そう? うちの車は全部こんな感じよ」
複数台所持しており、すべてハイグレードモデルらしい……前々から美月は『お金持ちのお嬢様』だとウワサで聞いていたし、本日一緒に行動してその事実を改めて思い知った。だが、実態は僕の想像を遥かに突き抜けて裕福なのかもしれない。
うちの父なんて、車を買うときに本革シートは高すぎて諦めたと語っていたぞ。
僕は家庭環境の違いに思いを馳せながら、窓越しにゆっくり流れる景色へ目を向けた。
「……ていうか、涼香さんめっちゃ安全運転だね」
「そうなのよ。安心ではあるけれど、普段の言動とのギャップがすごいでしょ?」
涼香さんはわりとぶっとんだ感性をお持ちなので、てっきりぶっとんだ運転をするに違いないと思い込んでいた。しかし実際は制限速度厳守、極めてセーフティーなドライバーである。
そこで、ハンドルを握る話題のご本人が不満げに口を挟む。
「ギャップもなにも、いっぱいスピードだしたら危ないでしょ」
ごもっともですが、急に常識的な発言をするのはやめて欲しい。頭がバグりそうになる……けれどそうなると、出発時の『飛ばすよ』という勇ましいセリフはいったい何だったのか。
まあ、考えるだけ無駄か。涼香さんはその場のノリに全力っぽいし。
三人で談笑していると、次第に窓の外の風景は見慣れたものへ変わっていく。やがて車は吉祥寺駅の近くに停まり、とうとうお別れの時間がやってきた。
「ありがとう、美月。今日は本当に楽しかった。涼香さんも、送ってくれてありがとうございました」
「兎和くんにご満足いただけて何よりだわ。私も楽しかった。それじゃあ、また後でね」
「あ、うん。僕もまた後でLIMEする」
車から降りて別れの挨拶を交わし、落ち着いてからの連絡を約束すると、美月たちは颯爽と去って行った。
まるで火が消えたみたいな寂しさを感じる……しかし、今日はまだ終わらない。気を取り直して、僕は次の予定の待ちあわせ場所へと向かった。
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