第25話
「なるほどね。数日で流行りの歌を習得して、さらに美声を出せるようになりたいと」
「そうなんだよ、美月えもん。絶対にカラオケを盛り上げたいんだ。なんとかしてくれよ~」
「この可愛らしい私が、兎和くんには丸っこい青タヌキに見えているの? 必要か疑問ね、その両目」
「あ、ごめんなさい……ちょっと悪ノリしました……」
僕はカラオケでの選曲に対して危機感をつのらせたその日も、部活が終わり次第いつものようにスポーツウェア姿の美月と合流した。
場所はおきまりの三鷹スポーツセンターのグランド。現在はナイターの光が注ぐ芝生の上で、二人して向き合いサッカーボールを蹴っている。
本日は疲労を考慮してバドミントンはナシ。トラウマ克服トレーニングのみ行う予定なので、体が温まるまでは雑談タイムとなった。
そこでさっそく相談を持ちかけてみるも、返答は強めのパスと極寒の視線にとって変わられる。
アドバイスをもらうために歌う準備までしてきたのに、けんもほろろ。
言葉のチョイスに問題があったことは否めない。とはいえ、さしもの美月でもすぐに良案は浮かばないか……と僕が肩を落としかけたところ。
「カラオケを盛り上げるだけなら、別に今の流行りにこだわる必要ないでしょ。誰でも知っている定番ソングを歌えばいいじゃない。後で何曲か見繕ってメッセージで送ってあげるから、そうあからさまにしょんぼりしないの」
先程のガッカリ感もどこへやら、すっかりニコニコ顔の僕である。
個人マネージャーが優秀すぎる。もう、このまま人生の全てを委ねてしまいたい気分だ。どうにでもしてくれ。
「カラオケねぇ、私も久々にいきたいかも。美月ちゃん、近々どう?」
「うーん……二人はちょっとイヤかな。涼香さん、自分が歌わないときスマホ弄っているでしょ。あれ、最悪なのよね」
「うわーん。今度はタンバリン叩くから、スマホ音ゲーで鍛えた私のテクを披露するからー」
「それもそれでイヤ」
美月にすげなくあしらわれているのは、今日も芋ジャージに身を包む涼香さん。近くに座り込んで、ソシャゲをプレイしつつたまに会話へ参加してくる。
「他には、歌う前の準備が重要かな。どんなに盛り上がる曲でも、声が出ていないと興ざめだもの」
こちらへ向き直り、ボールを蹴りつつ教えてくれる美月先生。
温かいドリンクを飲んでおく(コーヒー不可)、肩甲骨を意識して肩を回す、口を大げさに動かしてリップロールする、友人の歌に合わせてハミングする、などが効果的だそうだ。
「歌唱もサッカーと一緒ね。しっかりウォーミングアップすれば、その分いいパフォーマンスを発揮できるの」
「はえ~、美月はずいぶん詳しいんだな。流石すぎて他に言いようがない」
「ありがとう。でも、ボイストレーニングに通っていた人にとっては常識よ」
「ボイトレ……マジで通ってたの?」
「そうよ、マジよ。たくさんあった習い事の一つとしてね」
芸能人すら裸足で逃げだしそうな美貌とスタイルを兼ね備え、歌まで上手い……いや、それもうガチのアイドル狙えるじゃん。一般の高校生のレベルを軽くこえている。
不意に、フリフリ衣装の美月を幻視した。マイクを持ち、華やかなステージの中心でブリブリパフォーマンスを披露する。なんか前にも見たイメージだ。
「でもなあ…………うーん。アイドルっていうより、モデルのほうがそれっぽいかな」
「何でアイドル? でも、ファッション雑誌のモデルなら何度か引き受けたことがあるわよ」
やっぱりあるのね、といった感想しかもはや出てこない。
高校年代で獲得できそうな人生経験の実績トロフィーを、すでに全コンプしていそうな勢いだ。同い年なのに差がありすぎる。
なにより本人のスペックの高さに驚く。今も普通にボールを蹴っているけれど、フォームが僕よりよっぽど綺麗だ。バドミントンの時点でわかってはいたが、美貌の他にも知性やら運動能力やらを備え、実に多才でいらっしゃる。
まあ、当然といえばそう。しっかりした土台や高い処理能力を持っていなければ、豊富な経験など積みようがないのだから。
総合的にみて、美月は『幸運にも恵まれた選りすぐりの実力派ヒロイン』といった感じだ。
そこでふと、慎からちらっと聞いたウワサを思いだす。
「たしか1年C組に、雑誌モデルやっている女子がいたよな。ギャルっぽい子。名前は知らないけど」
「ああ、『花村愛奈(はなむら・あいな)』さんでしょう。人気ファッション雑誌の専属モデルとしてご活躍されているみたいね……もしかして兎和くん、彼女がタイプなの?」
違うから、と言ってちょっと強めにボールを蹴り返す。
雑誌モデルの花村さんもかなりヒロイン力が高い。実際、美月とあわせてうちの学年の『ツートップ(二番手)』みたいなポジションにある。
他にも異性から人気を集めるキラキラ女子は複数存在する。例えば、サッカー部女子マネの小池さんとか。しかしツートップが強烈かつ不動すぎて、事実上『3位』が最高順位と化している。
そのうえで僕はこう考える。
花村さんはとても魅力的な個性を持つ人なのだろう。けれども『雑誌モデル』というステータスの影響力は大きく、やや下駄を履いている感が否めない(あくまで個人の感想です)。
ならば、美月が同じような属性を得たらどうなる?
間違いなく、破壊的なワントップの誕生だ。しかもルックス的には申し分ないどころか最強なので、望むのなら明日からでも実現可能だろう。
だがちょっと突っ込んで聞いてみれば、当の本人が『その気なし』と判明する。
「祖父や父経由で、モデル系の仕事のお誘いをよくいただくわ。でも、今のところ応じるつもりはないかな」
「ええ、なんで? もったいない。僕だったら二つ返事でオーケーしているのに」
「私は、あまり自己顕示欲ってないの。目立ちたいとか少しも思わない。むしろ一人で集中してサッカーとかを観戦していたいタイプかな。それに、お金にも困ることないし。そうなるとアルバイトとしてすら意義を見いだせないのよね」
まさに『持つ者』の視点である……逆に『持たざる者』の代表各たる一般モブの僕からすれば、素直に想像を絶する回答だった。
しかも美月は、ノブレス・オブリージュの精神まで備えている。というか現在、トラウマ克服トレーニングと称して献身の義務を果たしている最中だ。
人格が高潔すぎて、もはや『プリンセス』の風格すらある。
「さて、そろそろ始めましょうか。このまま会話とパスを継続するわ。いつもみたいに私が合図をだしたら、1秒でもはやくドリブルでパイロンを往復すること」
「イエス・ユアハイネス!」
「ふふ、なぁに? その変な返事は」
こうして、今晩も本格的にトラウマ克服トレーニングが始まる。
多少疲れはあるが、青春スタンプのために僕は力いっぱい走るのだった。
***
いよいよ待望のゴールデンウィーク到来。
テレビやネットでは、訪れた人でにぎわう観光地の映像をこぞって取り上げていた。とても活況な様子。
だが、栄成サッカー部専用のグランドも負けていない。別種のにぎわいとはいえ大変活気に満ちていた。
予定通り、初日から全力全開の二部練習が開催されている。
午前の部は10時スタートで、超ハードバージョンのサーキットトレーニング・ルーティンにうち込む。数種の筋トレ(体幹メイン)と有酸素運動を繰りかえし、全身をこれでもかと追い込んでいく。
体力には比較的自信のある僕といえども、やっていて地獄かと思った。これまでも休日をメインに高負荷の種目をこなすことは多々あったが、あれでも手加減されていたらしい。
しかも何が恐ろしいって、この午前連ですらまだ序の口でしかなかったのだ。真の地獄は午後に口をぽっかり開けて待っていた。
白石(鷹昌)くん派閥とは一定の距離感を保っているため、僕と玲音はひと目を避けるみたいにひっそりした場所でランチタイムを過ごす。
付き合ってくれた気の良いハーフイケメンは、「逆にのんびりできてよかった」と笑って言ってくれた。
それから迎えた午後の部、基本はボールを使ったメニューで展開される。
やはり高強度メニューが続くものの午前ほどツラくない、皆がそう思ったことだろう。しかし本番は、トレーニング中盤へと差し掛かった時間帯に訪れた。
永瀬コーチがホイッスルを吹き、「勝ち上がりシュートゲーム」と次のメニュー名を告げた。同時に集合がかかり、Dチームメンバーは半円状に整列してルール説明を拝聴する。
内容は単純明快、ひたすら『3対3』のチーム勝ち抜き戦を繰り返すだけ。ただし、プレーエリアは小さく分割されたコート内となる。
必要数のミニコートをフラットマーカーで形成し、両エンドにはミニゴールを設置する。例外として、頂点まで勝ち上がった王者同士がプレーする『キングコート』のみ、通常サイズのゴールポストを使用。さらに普段別メニューのキーパー陣も合流して守備を行う。
ワンゲームの時間はたった3分で、各チーム6戦したらワンセット。
当然ながら多く点を取った方が勝ちとなり、結果に応じてコートを移動する。
「攻撃は個人の打開を意識しろ。自分のマッチアップする相手に勝ち、きっちりシュートを決めきること。守備に関しては、ディレイじゃなくボールを奪いにいけ。しっかりプレッシャーをかけて前を向かせない、インターセプトを狙う、特に球際では負けないように。あとどんなにキツくても全力を出し切れよ、これは大前提だからな。オーケー? じゃあ怪我のないよう集中していこう」
『ヨシ行こうッ!』
永瀬コーチの激に続き、Dチームメンバー全員でテンションをぶち上げてシュートゲームをスタート。
まずはD1・D2カテゴリに属するメンバーでトライ――結果、18分後に数人が昼食を吐くことになった。
説明の段階では楽そうに思えたものの、実際はバカほどハードだった。
コートが狭いからこそ展開が異常に早く、そのうえ攻守ともにマンツーマンを強いられるので一時もプレーを緩められないのだ。
激しく動き続けるのは言わずもがな。加えて絶えず思考を巡らせ、目まぐるしく変化する状況の中で連続的かつスピーディーな判断を要求された。それも高負荷レベルで。
すぐに余裕は奪われ、実戦における試合終盤の肉体・精神とほぼ同じ状態へと追い込まれる。脳と肺が酸素不足に陥り、意識が麻痺したような感覚が維持された。
とりわけ僕の消耗は大きい。トラウマの影響により、コンディションは万全から程遠いワケで。ただ、勝率は悪くない。一緒にチームを組んだ玲音と、もう一人のメンバーのおかげだ。
ワンセットを終え、D3・D4の順番へ移る。
僕は休憩をかねたインターバル中、玲音から「勝ち上がりシュートゲームは栄成サッカー部の名物メニューだ」と教わった。
そんな一幕を挟みつつも、この地獄は最終的にツーセット行われた。
以降、Dチームの面々はシュートゲームと聞くだけで大げさなリアクションをとるようになった。
永瀬コーチはその様子をみて、「これで一端の栄成サッカー部員になったぞ」と笑う。例年この時期に解禁される通過儀礼だそうな。
ラストの締めくくりは紅白戦。全メニューを消化してピッチを引き上げる頃になると、みんなへとへとに疲れ果てて口数も少なくなっていた。
こうして、大型連休の初日は弛まず過ぎていく。今年もあっという間に過ぎることが予感され、僕はちょっとナーバスになった。
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