第23話

「青春スタンプカード……いや、なにこれ?」


「ドーパミンは、脳の報酬系で重要な役割を担っている。快感や満足感を得ると脳内で分泌量が増加し、さらに同じような報酬を求めるようになるそうよ。そこで、この青春スタンプカードを用意しました。あと私が使うスタンプもね」


 パブロフの犬とは、『ベルを鳴らしてエサ(報酬)を与えることを繰り返していると、犬はベルの音を聞いただけで唾液を出すようになる』といった現象だ。


 美月は今回、この世界的に有名すぎる条件反射を『僕バージョン』にアレンジしたという。 

 彼女が手を叩く、僕はドリブル&スプリント、戻ってきたら報酬が貰える、といったフローである。


「兎和くんが走る度にこのウサちゃんスタンプ(報酬)を一個、贈呈します。それでこのスタンプカードが一杯になると……」


「なると……!?」


「なんと、素敵で素晴らしい青春イベントが発生します! 一生の思い出に残ること間違いなしのスペシャルプランよ。大いに期待してちょうだい」


「う、うおぉぉおおおっ! すごい、天才かよ!」


 僕はたまらず惜しみない喝采を送る。

 サッカーと青春の両立という課題に対し、これぞ美月の導きだした答え。

 トラウマを条件反射で上塗りし、優先的に望む行動を取らせる。次なる目標も準備済みで、成果を確認でき次第ステップアップするそうだ。


 なんというか、オレグラッセみたいな理屈だ。

 比重の異なる液体を順番に注ぎ、複数の層を発生させる。違うのは、上澄みだけを堪能するところ。さらにこの先もどんどん別の上澄みを加えていき、やがてはトラウマが顔をだせない状態へと到達すれば完成となる。


 そのうえ成功体験を積み重ねた暁には、トラウマの完全払拭も不可能じゃない。

 さすが敏腕マネージャー。こうも具体的なプランニングを提示されては、こちらもやる気を見せざるを得まい。


 納得のいく説明を受けてから、改めて美月の合図で実際にドリブルを行う。パイロンでターンをして戻ってくれば、記念すべき初スタンプの獲得の瞬間がくる。


「す、スタンプくれっ!」


「はい、はじめの一個ね。おめでとう」


「ありがとう、やった……!」


 返却されたカードを広げ、僕はまじまじと眺める。目標への進捗が視認できるというのはデカい。一歩でも進んでいることが実感できて、達成感がすごいのだ。


 今からスタンプを一杯にした時のことが楽しみで仕方ないぜ。どんな青春イベントを用意してくれているのだろう……想像するだけで脳汁がどぱーっと溢れてくる。


「適当に走ったりしたらスタンプはおあずけよ。スピードを意識してドリブルすること。本気でやらないと体に染み込まないからね」


「はいっ、全力で頑張ります!」


 美月からの指摘を受け、再びバドミントンに興じる。やっていて『できるだけ不意をつく形の方が学習効率も高そう』といった着想を得たらしく、ラリーの回転数を上げるべく、座り込んでソシャゲをプレーしていた吉野さんもラケットを持って参加。

 個性的すぎる性格が影響したのか、幸いにも彼女はトラウマ発動対象外だった。

 

 まさかのニート参戦により、ダブルス対ソロの構図となる。そして予想以上にシャトルの応酬は白熱した。思いのほか、吉野さんが上手かったのである。


 涼香さんは無駄に高スペックだから、と美月は呆れ気味に笑う。

 もちろん、かくいう美月自身のフットワークも優れている。そんな女性陣に対抗するため、深い集中と多くの思考リソースを要求された。


 すると、まるでこちらの心理を見透かしたようなタイミングで「パン」と手が打ち鳴らされる。その度に僕はラケットを放りだし、スプリントドリブルでパイロン間を往復した。


「ぬるいっ! 兎和くん。そんな構えでは、熟練のソシャゲプレーヤーたる私のウルトラスマッシュは止められませんよ!」


「いけ、涼香さん!」


「せいッ!」


 ノリノリの吉野さんがとにかく厄介だった。

 いくら発光シャトルとはいえ、夜のグランドではわりと見えづらい。他の光源はナイター照明だけなので当然だ。にもかかわらず、全力でジャンピングスマッシュをかましてくるのだ。それも、美月がトスしたシャトルを。


 なんでそっちだけバレーボールみたいなルールを採用しているんですかね……おまけに、こちらが手を抜けばスタンプ没収と脅されており、全力で食らいつくより他はない。


 ますます回転数を上げる本気のラリーに加えて、短距離とはいえ何度もトップスピードのドリブルを繰り返す。正直なところ、部活のスタミナ系トレーニングばりにハードだった。

 謎の盛り上がりをみせる夜のバドミントンは、グランドの消灯時間ギリギリまで行われた。撤収する頃には全員汗だくである。


 おかげと言っては何だが、スタンプをたくさん押してもらえた。車で帰宅する二人と分かれた僕は、ニンマリしながら自転車で夜道を駆ける。


 ***


「どうした、兎和。随分とおつかれじゃん……ちょっと顔コケてない?」


 いよいよ明日からゴールデンウィーク突入とあって、昼休みを迎えた教室にはどこか浮ついた空気が漂っていた。

 そんな中、いつものようにお弁当を食べようと慎がやってくる。続けてのぞき込むように顔色を確認され、体調を気遣うようなお言葉をいただく。


「ちょっとバドミントンがハードでね……」


「は? なんでバドミントン? サッカー部の練習がキツイとかじゃねーのかよ、普通は」


 拝借した椅子に腰を落ち着けつつ首をかしげる慎。

 自分で言っておいてなんだが、確かにわりと意味不明な返答だ……近頃は通常の部活トレーニングの他に、戦術イメージを共有するため、永瀬コーチ監修の『プロのプレー動画』をチェックするタスクが加算された。公式戦対策である。


 動画は編集済みで、注目プレーや連動すべきポイント、選手のベクトル、習得推奨のポジショニングなど、とても丁寧に解説されている。おまけに作戦ボードを使った視覚的な指導つき。

 各自スマホやタブレット端末、あるいはPCなどで毎夜視聴するよう義務付けられている。通常トレーニングもその前提なので絶対にサボれない。


 現在の僕はこの新たなタスクに加え、ポジションコンバート以降、一日もかかさず美月考案のトラウマ克服トレーニングの方も継続している状態だ。


 なにより吉野さん、もとい『涼香さん』が絶好調で元気すぎる。

 ちなみに呼称は、彼女の方から「美月ちゃんと一緒でいいよ。満晴も名前呼びだし」と言われ改めた。

 なお、満晴というのは永瀬コーチの名前である。 


 さておき、本題の涼香さん。彼女、なぜかバドミントンをとてもお気にめしたようだ。

 本人曰く、「最近肥えてきたからちょうどいい運動になる。燃やせ脂肪!」と、それはもう熱心にラケットを振り回している。


 普段の腐れニートっぷりが嘘のようだ、と美月も驚愕していた。

 おかげさまで、僕たちのバドミントンの腕前は相当レベルアップしている……もう『美月・涼香さんペア』で大会にでも出場すればいいじゃん、と思ってしまう程度にはハイスピードなラリーが展開されている。

 

 つまるところ、ハードな部活の後にヘビーなバドミントン(トラウマ克服トレーニング)を敢行中で、連日二部練習に匹敵するほどの負荷がかかっているうえに寝不足なのである。


 まあ、おかげで青春スタンプのたまり具合は予想以上だが。

 僕のげっそり顔はその代償。


 良き友人の慎には事情を打ち明けてもいいような気もするが、いまだに美月と屋上ランチしたときのウワサが尾を引いている状況だし、自分のトラウマを公開しなくてはならず、心苦しいがまだ秘密にしている。

 あまり突っ込まれたくもないので、弁当を食べ始めつつこちらから話題を変えた。


「そういえば、三浦さん遅いね。何かあったのかな?」


「ああ、千紗は今日こっち来ないって。ほら、ゴールデンウィークにカラオケいくだろ? そのときに誘う友達とランチするってさ」


 ほほう……珍しく慎の彼女さんが現れないと思ってたずねてみたら、素晴らしい情報を得た。

 来たる、高校へ進学して最初の大型連休。僕たちはお互いに部活で忙しいなか、予定を合わせてカラオケへいく約束をしていた。

 しかも三浦さんが、参加メンバーとして『女友達』をお誘いくださるとおっしゃられたのだ。本当に涙がでるほど尊いお方です。


 あくまでカラオケ会と冠してはいるが、もはや合コンの様相を呈している……我が妹からも、ゴールデンウィークに女子と遊ぶと高確率でお付き合いに発展する、との知恵を授かっている。

 

 突如として、僕のスクールライフに吹き始めた変革の青い風。

 止めるわけにはいかない。カラオケも絶対に盛り上げて見せる――不肖この白石兎和、全裸になることも厭わぬ覚悟。


「ふと思ったんだけど、慎はなに系歌うの?」


「俺は普通に、『米律弦師』とか『ヒゲダン』とかだな」


「普通……それが普通なの!?」


 カラオケで盛り上がるとなれば、おそらく選曲が重要となる。だから聞いてみたのだが……慎の口から出てきたのは、どちらもティーンから圧倒的な人気を博すミュージシャンの名前である。ただ、素人が歌うには難しい曲が多いと評判だ。なのに、彼は『普通』といい切った。


 ヤバいかも……僕のレパートリーはやや古い。歌いやすくはあるが、令和を彩る名曲たちと比べたらだいぶインパクトに欠ける。全裸ごときでは覆せそうもない。

 くそっ、家族としかカラオケへ行ったことがないゆえの弊害だ。が、夢の青春スクールライフへ並々ならぬ情熱を燃やす僕である。


 言うまでもないが、座して待つ気などさらさらない。

 歌えないなら、歌えるようになればいいだけのこと。幸いにも、相談するにうってつけの敏腕マネージャーに心あたりがある。


 待っていろ、カラオケ合コン。 

 必ずや、僕のスウィートな歌声を響かせまくってやる!

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