第19話

 神園美月、改め美月と結んだ個人的なマネジメント契約。それは、刺激と発見に満ちる素晴らしい時間をもたらした。


 そして翌日の水曜。僕は普段どおり授業を受け、放課後になればリュックを肩にさげて部活へ向かう。

 いつもより心なし軽い足取りで、サッカー部専用グラウンドと通じる渡り廊下を歩く。


 本来なら部室へ直行するところだが、これから向かう先は監督室。まずは永瀬コーチに会い、ポジションコンバートの件を承諾するつもりだ。

 たった一日とはいえ、美月には大変お世話になってしまった。ならば、こちらも要望に応えねば不義理というもの。


 ただし、トラウマに関しては依然として未解決のまま。昨夜は我ながら上々のパフォーマンスを披露できたと思うが、あれは特定環境下においての事例である。

 ともあれ僕はビッチ脇を通過し、到着した監督室の扉をノックして開く。


「失礼します」


「おう、白石兎和。なんだ、やっと決断してくれたのか?」


「あ、はい。ちょっとがんばってみようと思いまして」


 ステンレスの書類棚やデスクが並ぶ雑多な印象の監督室。お目当ての永瀬コーチは隅の席に座り、PCのモニター越しから顔をのぞかせている。


 数人いる他のコーチ陣も同様に作業中のようだ。室内に、栄成サッカー部のトップである豊原監督の姿はなかった。

 続いて「こっちへ来い」と手招きをされたので、永瀬コーチのもとへ足を進める。


「こんちわっす。あれ、永瀬コーチってPC苦手なんじゃ?」


 それゆえ美月が、かわりにとデータ整理を買って出た。サッカー部のフィジカル測定の記録を閲覧する、という目的を果たすための手段として。ひいては僕の記録に対して違和感をいだく契機となり、現在の状況へと発展している。


「まあな。でも、まったく使えないわけじゃない。それに、どっかの誰かさんが手抜きした記録を提出しやがったからな。暫定とはいえ、訂正する必要が生じたんだ」


「お手間を取らせてしまい申し訳ございません……」


 モニターに目を向ける。表計算ソフトでデータ整理を行っているらしく、僕の名前と昨夜の記録が入力されていた。


 美月はずいぶんと仕事がはやいタイプのようだ。計測したばかりのデータがもう永瀬コーチの手元へ落ちているとは思わなかった。

 対象的に、仕事の遅そうなタイプの僕は平謝りに徹する。


「コンバートを受ける気になったようだから許してやろう。兎和の『サイドアタッカー適正』も想像以上だったしな。感謝するがいい」


「はい。永瀬コーチの寛大なご配慮に心から感謝申しあげます。今後はこのようなことがないよう、一層の努力を重ねてまいります」


「歴戦のサラリーマンみたいな謝罪だな。そんじゃ、今日のトレーニングからそのつもりでやっていくぞ」


「あ、まだ『メンタルの件』が未解決でして……」

 

 僕はトラウマについて改めて伝えた。他人の視線や反応が怖くて無意識に力をセーブしてしまうこと、酷ければガクッと力が抜けてまともにプレーできないこと。

 だが、意外にも永瀬コーチの反応は「大丈夫」といったポジティブなもの。


「聞いたぞ、美月が協力してくれるんだろ? なら問題ない。あいつに任せておけば大概のことは上手くいく」


「すさまじい信頼感ですね」


「神園『本家』の人間だからか、めちゃくちゃ優秀なんだよ。おまけに目的達成のためには手段を選ばず、やると決めたら一切の躊躇なく貫き通す。そういう血筋なんだ」


 本人には内緒な、と念を押してからちょっとしたエピソードを披露する永瀬コーチ。

 曰く、美月は可愛いものが大好きで、千葉なのに東京を冠するテーマパークの大ファンらしい。


 本題は、小学生のころまで遡る。何を思ったか、美月は某テーマパークへ毎日行きたいとダダを捏ねた。もちろん両親はわがままを言わないよう宥めたが、本人は絶対に諦めなかった。


 そこで、溜めこんでいたお小遣いとお年玉を全賭けして株のデイトレードを開始。しかも一年ほどかけて大金を手にした。

 挙句テーマパーク併設ホテルを一週間にわたり予約したうえ、勝手に学校を休んで泊まりに行ってしまう。


 両親が美月の奇行に気がついたのは、警察の連絡を受けてから。大金を握る子供がホテルのフロントカウンターへ訪れたので、訝しんだ従業員が通報を入れたそうだ。


「後になって、デイトレやらに関しては『涼香』の手を借りたと白状した。兎和も昨日、あのゴクツブシと会ったんだろ? それでも、ちょっと小学生離れした行動力だよな」 


「あ、はい。でも小学生で株って、なかなか想像つきませんね……」


 僕が子供の頃であれば、カブと聞いても食べ物の方の『蕪』しか思いつかなったはず。

 それと、吉野さん。アナタはいったい何をしているのでしょうか……芋ジャージに身を包むクールビューティーにして、生粋のニートたる女性の姿が脳裏に浮かぶ。もちろんソシャゲをやっていた。


「本家の兄妹はどっちも優秀だが、特に美月は完遂能力が尋常じゃない。そんなあいつが引き受けたんだ。兎和のメンタル問題もきっと近いうち解決するだろ」


 永瀬コーチや吉野さんは、美月の実家を『本家』と呼んでいるそうだ。理由は、大手オーナー系企業を創業した一族の嫡流筋だから……いや、なんだ嫡流って。戦国武将か?

 

 そして華麗なる一族のお嬢様は、聡明かつバイタリティに満ち溢れた超絶美少女。

 急に心配になってきた。果たして僕のようなボンクラが、ぶっ飛びエピソード持ちのマネージャーについていく事ができるのだろうか。


「よって兎和は、今日から『SHとWG』の選手としてトレーニングへ取り組むこと。今日はA・Bチームが『外部グラウンド』の使用日だから、Dチームはラストに紅白戦をやる。そこでいったん試してプレーを確認するから、そのつもりで。いきなりのお披露目になるが、できる範囲で頑張ってみてくれ」


 高校サッカー界は、ゴールデンウィークの訪れに伴って本格的なインシーズンを迎える。

 上級生はすでに公式戦で奮闘しているが、一年生で結成されるDチームにおいても『ユニティリーグ東京(公式リーグ)』のキックオフが目前に迫ってきていた。


 そのため近頃の栄成サッカー部では、ゲーム形式のトレーニング、並びにフィニッシュゾーンでゴールを奪うための連携強化、ゾーンディフェンスの理論と習得、などに比重が置かれている。

 フィジカル強化(タフな筋トレとハードな走り込み)も並行して進められており、部員たちはかなりのハードワーク状態。


 しかしながら、我が部は大所帯。いくら二面もの人工芝ピッチを有するとはいえ、全チームがゲーム形式のトレーニングを展開できるほどのスペースは存在しない。

 そこで学校からほど近い市営グラウンドなど(高品質の人工芝)をレンタルし、足りないスペースを補っている。


 本日は『A・Bチーム』が外部グラウンドでの練習日。なので、残る『C・Dチーム』は学内ピッチを存分に使用できるというわけだ。

 なお、栄成サッカー部員は自転車の購入が義務付けられている。外部施設への移動で利用するから。


 ともかく、いきなりのSHデビュー……僕にとって早くも試練の時である。

 意識した途端、不安からずんと胸が重くなる。とはいえ、小心者ゆえ発言を撤回することも難しく、極めて自信なさげに小さく返事をするしかなかった。

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