第17話

『部活が終わったら、ジャージを着て三鷹総合スポーツセンターのグラウンドに集合ね。ずっと待っているから』


 僕は現在、自転車をフルパワーでかっ飛ばしている。

 部活が終わり、一気飲みでプロテインを補給する。そしてスマホをチェックしてみれば、さっそく神園美月からメッセージが届いていた。


 三鷹総合スポーツセンターは、学校近くにある運動場だ。芝生のグランドが一般公開されている。

 神園美月のやつ、そんな場所へ呼び出していったい何をするつもりだ?

 夜の公園、ナイターが照らす芝生、男女の待ち合わせ…………多分、バドミントンだ。


 男女が芝生の公園でやる事といったら、まずバドミントンをおいて他にない。妹の愛読する少女マンガでみた。もしくはお花見だが、やや季節が遅い。


 惜しむらくは、神園美月が相手では身分違いすぎて恋愛に発展しないであろうこと。

 僕が平民なら、彼女は女王。本来なら交わるはずもなかった関係である。そもそも好きにならないように釘を刺されているワケで。


 とはいえ、部活後に遊ぶなんて実に青春らしい時間のつかい方だし、いつかのための予行演習と思えば悪くない。

 さすが僕の個人マネージャー。契約を結んだその日にイベント開催とは、敏腕にも程がある。


 目的地までは10分もかからなかった。駐輪場で自転車から飛びおり、荷物を抱えてフルスプリント。グランドはすぐ側だ。


 神園美月の姿はすぐに見つけられた。

 ハイブランドのスポーツウェアに身を包み、ひとけの無いグランドの端の方に立っている。

 つややかな黒髪を背中に垂らす彼女の前へ滑りこみ、ジャージの上を脱ぎ捨てながら僕は言った。


「さあ、やろうぜバドミントンっ!」


「なんでバドミントン……? やらないわよ。夜だとシャトルが見づらいでしょ」


「あ、はい……」


 じゃあ何をするのか、というもっともな疑問を僕は飲みこんだ。

 周囲には、見覚えのある機材やコーンマーカーなどが設置してある。完全にフィジカル測定のセッティングだ。

 平日のためか人影は少なく、ここはグランドの隅に位置する。それでもちょっと自由に使いすぎじゃない?


「二人で準備したのよ。けっこう大変だったんだから」


 すごいでしょ、と豊かな胸をはる神園美月。

 僕が「二人」という単語に首をかしげると、彼女は右手のひらで横を指し示す。

 つられて視線を動かす。少し離れた場所で、芋っぽいジャージを着た見知らぬ女性がなにやら機材を弄っていた。


「リョウカさん、ちょっとこちらへ来て」


 呼ばれてやってくる芋ジャージの女性……よく見なくてもわかる、とんでもない美人だった。

 黒髪のワンレンボブに、透明感のある綺麗な肌。やや目つきは鋭いものの端麗な顔立ちをしている。加えてすらりと背が高く、まさしく『クールビューティー』と称するにふさわしい。

 

「紹介するね。こちら、『吉野涼香(よしの・りょうか)』さん」


「こんばんは、吉野涼香です。以後お見知りおきのほどよろしくお願いします」


 キリッとした表情で、いかにも『ハイスペ女性です』といった風情の名乗り。

 芋ジャージでさえなければ、港区の高級ホテルでワインでも堪能していそうな雰囲気だ。

 こんな大人の魅力あふれる女性を連れてくるなんて、神園美月はいったい何を考えているのか……と僕が訝しげに思っていれば、きちんとした説明があった。


「彼女は、私の親戚なの。永瀬コーチと似たような関係ね。年齢は28歳。大学を卒業してからずっと無職で、困り果てた両親によって我が家へ送くりこまれてきた。そして祖父がなんども仕事を斡旋したのだけれど、すべて初日の内に辞めてしまったわ。今では一日の大半をソーシャルゲームに費やす生粋のニートよ」


「ソシャゲを長く続ける秘訣は微課金です。ほどほどに不自由な方が飽きにくいの。ガチャを引く計画を練っているときが人生で一番充実しているわ」


 神園美月の紹介に続いて、吉野さんが口を開く。

 とんでもねえ逸材だ……外身と中身にギャップがありすぎて頭がバグる。

 さらにツッコんで聞けば、「我が家のリビングでソファに寝そべりつつソシャゲに興じるだけの生き物よ」との返答が得られた。


 居候のうえ無職なのに、よくひと目のある場所でぐーたらできるな。そのメンタルの強靭さを分けてほしい。


「でも、さすがに『涼香さんの面倒は見きれない』って実家へ返送されかけたの。もちろん彼女は抵抗した。その結果、あきれた母の取りなしもあって私の送迎役へおさまったわ」


 いい大人が泣いてダダをこねる光景は圧巻だった、と神園美月はどこか遠い目で語る。

 本日はソシャゲへ課金するためのプリペイドカードを餌に手伝わせているそうだ。一応、対価を支払えば軽作業くらいは付き合ってくれるらしい。


「それじゃあ、自己紹介もすんだことだし始めましょうか」


「そうだな……って、そうじゃねえ! 僕に何をやらせるつもりだ!」


 吉野さんのインパクトが強すぎてつい流されそうになったが、ちょっとお待ちいただきたい。

 青春イベントかと期待して来てみれば、現場は明らかにフィジカル測定の構え。騙し討ちにもほどがある。


「何って、見ての通りフィジカル測定よ。永瀬コーチにリトライを命じられたでしょう」


「そ、それはそうだけど……やるにしても、学校とかでよかったんじゃない?」


「他の部員にどう説明するつもり? 手を抜いたからやり直しになった、なんて言って理解されるとでも? うまくごまかしてあげるんだから感謝なさい」


「ぐうぅ……」


 僕の心をもてあそんだことを非難するつもりが、逆に正論パンチを叩き込こまれボコボコにされる。完全に旗色が悪い。けれど、せっかくの機会なので遊んだりしたかった。

 諦め悪く、吉野さんに視線で助けを求めてみる。しかし相手は座り込んでスマホを操作しており、目すらあわなかった。あれ、絶対ソシャゲやっているだろ。


「さあ、わかったならすぐ動く。あまりバリエーションは多くないとはいえ、それなりの回数をこなしてもらう必要があるからね。ダラダラしていたらグランドの照明が消えちゃう」


 消灯時間は22時半なので、確かにあまりのんびりはしていられない。なにより準備を無駄にするのは心苦しい……というか、もともと僕が原因でお手間をとらせてしまったわけなので、ここは謹んで指示に従うべき場面である。


「時間の都合もあるし、種目はアジリティ関連に絞ったわ」


「ずいぶんと力の入ったセッティングだな」


 改めて設営ゾーンを眺めてみれば、立派な測定機器が目に入る。

 種目は50メートル走以内の短距離走をはじめ、アローヘッドアジリティ、マーカーとポールを使ったドリブルテスト、等々。


 個人のセッティングにしてはかなり上等だ。機材や備品は、神園美月のお祖父さまに頼んだら超特急で手配してくれたそうだ。


「じゃあ、まずは短距離からね。そうそう、『トレーニングシューズ』を用意しておいたから足のサイズにあうものを選んで」


 ご丁寧に、計測用のシューズまで用意されていた。これもやはりお祖父さまの手配した物らしい。新品なのに、終わったらそのまま頂けるそうだ。

 おまけに、サイズ違いで数足用意されている。身長から足の大きさを予測して持ってきてくれたそうなので、自分にピッタリのものを選んで履いた。


 ブルジョワジーを感じさせる段取りで、まさに至れり尽くせり。親切にされるのは嬉しいけれど、ちょっと行き届きすぎで不安になってきた。


「……なあ、なんで僕なんかのためにここまでしてくれるんだ?」


「当然でしょ? 私が兎和くんを見つけたんだから。それに事情があってサッカーから心が離れかけていたところを、こうして少し強引に引っ張り出してしまった。だったら、こちらも全力で向き合わないと申し訳ないじゃない」


 今日に関しては永瀬コーチの依頼もあるから気にしないで、と神園美月は笑う。

 お世辞でもなんでもなく、僕にはその姿が女神様みたいに見えた。家族の他に、かつてここまで親身になってくれた人がいただろうか……考えるまでもなく、否。


 自分らしくもなく、期待に応えたい、なんて決意してしまいそうだ。少なくとも、マネジメントに対しては今後も真摯に向き合っていきたいと思った。


「よし、測定たのむ……ちょっと本気だす」


「アップは?」


「大丈夫。ここまでフルパワーで来たから、もう体は温まっている」


 靴紐をしっかり結び、僕は立ち上がった。

 ナイター照明の光を背にうけて影が伸びる。短距離のスタート位置に立ち、何度か深呼吸をする。肺に落ちる酸素から次の季節の気配を感じとる。


 相変わらず、神園美月の視線は怖くない。吉野さんは論外。ソシャゲに熱中していて少しもこちらを見ていない。グランドにも人の気配はほとんどない。

 三日月が昇る今宵、己を縛るものは何もなし――僕は今、ベストコンディション。


「位置について。よーい、ゴー!」


 合図に合わせ、なにも考えずただ全力で足を動かす。

 規定の試行回数を満たすべくリトライを重ねた。走るたびに心臓から発生する熱が体の隅々まで運ばれていき、パフォーマンスはどんどん向上していく。


 それなりの時間をかけて全種目を消化し終わったとき、僕は汗ばんだ体で大きく息を切っていた。


「お疲れさま。素晴らしいパフォーマンスだったわ」


 昼に見たのと同じレジャーシートが敷かれていたので、僕は遠慮なく座りこむ。すると神園美月が、ねぎらいの言葉と共に大きなタオル被せてくれた。

 ありがたく汗を拭かせてもらうと、すごくフカフカでとてもいい香りがした。どんな柔軟剤を使えばこうなるのか。我が家のタオルとの違いに驚きがとまらない。


「…………やっぱり、すごいわね!」


「なにが?」


「兎和くんのアジリティよ。ほら、この数値!」


 神園美月が隣へ座りこむ。手にはタブレット端末が収まっており、こちらにも見えるように画面をシェアしてくれた。


 計測したばかりの数値がずらりと並んでいる。しかし僕は今もっとも気になっているのは、肩が触れあいそうなほどの距離の近さ。タオルなんて比じゃないほどいい香りが漂ってきて、思わずドギマギする。


 心臓の鼓動がよけい大きくなる……そんな男心にはいっさい触れず、タッチペンを用いて解説が行われた。

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