第10話

 光陰矢の如し。

 時計の針は少しも遅れることなく進み、はやいもので高校入学から二週間が経つ。

 そんな平凡無味な現実を、眺めていたスマホのカレンダーアプリによって強く認識させられ、僕は愕然とする……あいも変わらず、ジュニアユース時代と生活パターンがまるっきり同じだ。


 今は起床直後。自室のベッドで温かい毛布を被ったまま、ふと本日の予定を整理しようと思い立ち、流れで高校へ入学してからの日々を想起してみれば、途端に恐ろしい事実が浮き彫りになった。


 授業が終わったら即サッカー、家に帰ったら自主トレ。まるでオチのないパラパラ漫画のような毎日。良き友人たる須藤慎のおかげで学校生活そのものは楽しめているが、己の切望する『青春』の輪郭すら見えてこない。


 とりわけ厄介なのはやはり部活。トレーニングメニューは常に更新されており、走力面を含めぐっと運動強度は上がっている。夜の自主トレはセーブせざるを得ず、朝のランニングは今も再開できていない。

 しかも意味不明なことに、永瀬コーチの観察は継続中……おかげで体力・精神ともに疲弊しており、空いた時間に『何かしよう』なんて気力すら湧かない。


「……でも、このままじゃダメだ。どこかで違いを生む必要がある」


 僕はベッドから起きだしてカーテン開け、冴え光る朝日を浴びながらつぶやく。

 前にも思ったことだが、このままだと瞬く間に三年間が過ぎ去ってしまう。後に残るのは、ぱっとしないサッカーの記憶ばかり。

 

 色鮮やかな青春を渇望する者として、現状を看過することはできない。

 だが、案ずるには及ばず。なにせ今日は月曜、待望の部活完全オフの日。

 これまでの休みは『サッカー協会へ提出する写真撮影』や『ミーティング』、さらには『戦術分析』などの時間に充てられていたので、実質はじめての放課後フリータイムとなる。


「きっと大きな変化が訪れる……そんな予感がする!」


 アファメーションの効果を期待してあえて宣言する。根拠なんていう小難しい話はさておき、さっさと登校準備を整えよう。


「あ、お兄ちゃん。おはよー」


「おはよう、兎唯」


 制服に着替えて向かったリビングで、ルームウェアのまま先に朝食をとっていた妹へ挨拶を返す。

 僕はそのまま対面の席に腰をおろした。すると今度は、母が「おはよう」と言って朝食の皿をテーブルに並べてくれる。

 今朝もヘルシーではあるがけっこうなボリュームだ。手を合わせ、「いただきます」と感謝してから箸をつける。


「パパはもう仕事いったみたい。早めに出勤する日なんだってさ」


「ほーん、だからいないのか。あ、醤油とって」


 妹と他愛ない会話を交わしながら食べ進める。父がすでに出社したことを除けば、大凡いつも通りの朝食風景である。


「ていうかお兄ちゃん、もうすぐゴールデンウィークだよ。わかってる?」


「え、わかってるけど……?」


「じゃあ予定は? どっか遊びに行ったりしないの?」


「うーん、部活かなあ。連休明けには中間テストもあるし、勉強もやっとかないと」


 新進の強豪校と目される栄成サッカー部は、当然のようにゴールデンウィークも活動予定でびっしり。

 ただでさえ忙しいのに、その後には中間テストまで控えている。赤点をとると面倒なことになるため、のんきに遊んでいるようなヒマはない。


「はぁ、やっぱり理解できてないんだね。お兄ちゃん、残念だよ……いいや、残念なお兄ちゃん、と言った方が適切かな」


 唐突なディス。なにやら会話の風向きが変わってきたぞ。妹のトークスキルの切れ味が良すぎて、さすがにこの兄もタジタジだぜ。

 それで、僕が何を理解できていないって?


「いい? 夏は高校生カップルにとって、素敵なメモリーをたくさん作る絶好のチャンス。そして夏に向けて成立するカップルの約7割が、ゴールデンウィークで交流があった異性からパートナーを選んでいるの」


「なん……だと……!?」


 僕は茶碗を持ったまま硬直する。世界の真実を明らかにする妹は、まるで乱世を平定へ導く天才軍師のような威を纏っていた。

 羽扇の奥で光る瞳は、やがて来たる新時代を見据えているに違いない……なんだこれ、錯覚か?


「情報ソースは愛読のティーンズファッション誌だよ。世界一の信用度を誇るわ」


 兎唯はキメ顔でそう付け加えた。

 裏付けもあり、もはや疑う余地なし。確かに、ゴールデンウィークを共にエンジョイした男女がくっつくのは至極当然の流れ。ヒマワリが春に芽生え、夏に大輪の花を咲かすのと同じ道理だ。


「……つまり、ゴールデンウィークに女子と遊べば7割の確率で付き合えるってことか!?」


「お兄ちゃん、計算が下手にも程があるよ」


「して、妹様よ。いかにすれば女子とゴールデンウィークに遊べるのでしょう。どうか、この愚昧なる兄に知恵をお貸しください……!」


「うむ、よかろうなのだ。天才美少女恋愛アドバイザーたる兎唯様が、特別に教えてしんぜよう!」

 

 ゴクリ、と僕は息を飲む。

 知能指数の低そうな妹の肩書はともかく、夏のカップルメモリーなんて青春の体現と言っても過言じゃない。是が非でもフラグを突き立てねば。


 ソファに座ってテレビを見ていた母の、「兎和にあんまり変なこと吹き込んじゃダメよ」という声がすこしも引っかからずに耳を通り抜けていく。

 待ち望んだ答えは、深呼吸たっぷり四つ分の間をおいて示される。


「耳をかっぽじってよぉく聞けいっ! 恋の扉をひらく鍵は『グループ交際』にあり!」


「ぐ、グループ交際!?」


「そう。お兄ちゃんはおバカさんだから、いきなり女子と二人で出かけようとするでしょ? でも、そんなの無理。よく知らない男子からデートに誘われるなんてちょっとした恐怖体験だよ。そもそも二人っきりのデートは、距離の近い男女がお互いの相性を確かめるためにするの。だから最初に、グループで遊んでターゲットと仲良くなっておく必要があるわ」


 提示された策は、『一般相対性理論』をはじめて知ったときと同種の衝撃を伴っていた。ほぼビックバンだ。新世界の誕生だ。


 そうか……恋愛って階段をのぼるみたいに、着実にステップアップしていくものなんだな。ひと目惚れからの急な告白でハッピーエンド、なんて所詮はフィクション。

 さらに翻って考えるに、きちんと段階を踏めばカップル成立も夢じゃない。ひいては、僕好みの『甘酸っぱい青春』を味わうことも叶う。


 我が妹ながら恐るべき智謀……なんだろう、今なら彼女できそうな気がする。ターゲットは特に決まってないけれど。

 やはり今日は、大きな変化が訪れるメモリアルデーになりそうだ。のんびりメシ食っている場合じゃねえ!


「ありがとう、兎唯! 学校いってきます!」


「お兄ちゃんってほんと単純」


 妹の戯れ言を聞きながしつつ大急ぎで朝食を平らげ、リュックとブレザーを抱えて家を飛びだす。僕が青春イベントを発生させるとしたら学校をおいて他にない。


 自転車にまたがったら全力でペダルをぶん回し、通学時間のタイムアタック最高記録を樹立。昇降口でスニーカーを脱ぎ、履き替えたスクールシューズのかかとを踏んだまま1年D組の教室へ駆けこみ、自席でスマホを眺めていたお目当ての人物の元へ向かう。


「おはよう、慎!」


 相手はもちろん、クラスメイトで友達の須藤慎だ。本日は制服にパーカーをあわせている。

 ちょっとびっくりした表情の彼を見据え、僕は呼吸を乱したまま曇りのない笑顔を浮かべて言う。


「ゴールデンウィークどっか遊びに行こうぜっ、みんなで! グループで!」


「おう……え? いや、部活あるから無理じゃねーかな。試合もあるし」


「あ、そっすか……」


 かくて、新世界は早くも滅亡の危機を迎えた。

 僕の青春は前途多難が過ぎる。


 ***


「ふーん。じゃあ兎和くんがシナシナなのは、ゴールデンウィークに慎と遊べないからなんだ」


 昼休み。しおれたポテトみたいになっていた僕を見て、一緒にお弁当を食べようとD組へやって来た三浦千紗さんが首をかしげた。

 そこで彼女の恋人である慎が事情を説明したところ、二人は揃ってなんとも言えない表情を浮かべた。


「まあ、気持ちはわかるよ。やっぱ遊びたいよね、高校入って最初の大型連休だもん。でもバスケ部とサッカー部は休みなしだなんて、体育会系は残酷だよねぇ」


 空いた机を拝借してくっつけ、皆でお弁当を食べる。並行して交わす会話の中で、三浦さんが同情を示してくれた。

 逆にお聞きしたい。慎も部活漬けなら、せっかくのゴールデンウィークなのにデートもままならないはず。不満はないのだろうか。


「わたしと慎は夜ごはん食べに行ったりするから、連休中まったく会えないってことはないしね。試合の応援も行くし」


 えげつないカウンターを食らった……なにそれ、羨ましい通り越してもはや憧れの領域だ。

 僕なんて、家族以外に試合を観に来てもらったことないぞ。おまけに、友達と外食に行った経験自体もほぼなし。

 いいなあ、夜のファミレスとかすごく興味ある。ドリンクバーと山盛りのポテトフライを囲んで友達とワイワイしてみたい。

 

「そしたらさ、兎和くんも一緒にごはん食べにいこうよ。ゴールデンウィーク中に予定合わせて」


「え、マジで!? いいの?」


「うん。よかったらわたしの友達も誘っていい?」


 望外の提案に、僕はノータイムで飛びつく。

 もとより慎の次に三浦さんもお誘いする予定だった。その後は、あわよくば二人の友人にも声をかけようと考えていたので、この展開は願ったり叶ったりである。


「いいじゃん。ならさ、カラオケでもいこーぜ。メシも食えるし」


 上級者すぎる発言をしたのは、対面に座る慎。

 僕は「絶対に行く」と激しく首肯する。男女混合グループでのカラオケなんて青春の象徴も同然。高校時代に体験したか否かで人生の満足度が大幅に変動するという。


 急いでボイストレーニング教室に通わないと……忙しくなってきやがったぜ。

 それはそれとして、本日の放課後の予定をつくらねば。貴重な完全部活オフなのだから、友達と遊びにいくなど有意義に時間を使いたい。


「ゴールデンウィークは決定として、今日はどう? 放課後どっか遊びいこうよ」


「あー、今日は無理だわ。うちの部は水曜が休みだから、なかなか予定あわねーな」


 慎の言うように、バスケ部とサッカー部の休みは基本かぶらない。知っていたことなので、残念ではあるが断られたダメージは軽微。無論、三浦さんを誘うようなマネもしない。


 そもそも僕には腹案がある。極めて単純なロジックで、休みが合う友人を探せばいいだけのこと……具体的に誰を誘うのかといえば、同じサッカー部の友達である山田ペドロ玲音だ。

 あのラテン系イケメンはお隣のC組に在籍しているので、弁当を食べおわったら『LIME(メッセージアプリ)』しておこう。


「悪いな、兎和。また今度あそびにいこうぜ」


「うん。ヒマな日あったら教えて」


「カラオケもいいけど、わたし『ラウワン』とかもいきたいなー」


「ら、ラウワンだって!?」


 ぽんぽんと素晴らしいアイデアを口にする二人に、僕は驚きを禁じえない。

 ちなみにラウワンとは、屋内型複合レジャー施設の通称だ。平たく言って陽キャの巣窟である。


 ともあれ、ゴールデンウィークの予定だけにとどまらず放課後も満喫したとなれば、今日という日が僕の歴史に『完全無欠のメモリアルデー』と刻まれることは確実。

 楽しい昼食のひと時を過ごしながらも、僕はサッカーオンリーの生活から脱却すべく計画を練るのだった。



――――――――

おもしろい、続きが気になる、と少しでも思っていただけた方は『フォロー・☆評価・応援・コメント』などを是非お願いします。作者が泣いて喜びます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る