第17話 大好きだったよ

 激しい雪風が顔に吹き付ける中、俺たち三人は呆然と立ち尽くしていた。


 北の大地ゼリセス。

 そこで、目の前を流れ行く流氷をただ眺めている。


「ないですねぇ、道」


 進むべき道がない。

 本来なら氷の大地が続いてるはず。

 なんかテレビで見た気がする。

 温暖化で北極が消滅の危機だって。

 おいおい、異世界まで温暖化か?


「こりゃ迂回しても無理そうだなぁ」


 おやっさんがボヤく。

 おやっさんは三人で旅してきた道中で何度も成長を繰り返し、もうすっかり見慣れたいつものおやっさんの姿になっていた。


(おやっさんは、心残りをすべて解消できたんだろうか)


 おやっさんのヒゲにはちっちゃな氷柱つららが垂れている。


「もしかしたら私のせいかも」


 俺の貸したジャケットの上から防寒具を着込んだ堕天女神アイルハットが呟く。


「どういうことだ?」


「ほら、私って渡航の女神でしょ? だから私が存在することによって、人間たちの旅の安全が保証されてたわけ。その私の力が衰えてきてるから」


「だから道がなくなったって?」


 アイルハットはこくんと頷く。


 最初は感情がないのかと思うほど淡々と振る舞っていた彼女だったが、共に旅することによって彼女の中にある生真面目さ、敬虔さ、そしてほんのちょっぴりの天然さを俺たちは知っていた。


「しかし困ったな。もう目と鼻の先なんだけど」


「……ファルシオン神殿、か」


 枯れ木の魔女ミストリアの残した最後の置き土産。

 結局、異世界へと通じる他の手がかりを旅の中で見つけることは叶わなかった。

 代わりにわかったのは、あのミストリアが本当にすごい魔女なのだということ。

 で、女神アイルハットの証言(ファルシオン神殿は天界や異界に繋がっている人間界唯一の場所)に従ってここまで来たはいいものの……。


「にしても寒い。じっとしてたら凍えちまう」


「一旦引き返すか、タマ?」


 おやっさんがおやっさんになってから、旅の手綱はおやっさんが握るようになっていた。

 もう日本にいた頃と俺たちの関係性はほとんど変わらない。

 とはいえ、おやっさんの記憶は一体どこまで戻っているのやら。

 何度か尋ねてみたけど、毎回曖昧に誤魔化されるばかり。


「いや、引き返す必要はない」


 アイルハットが初めて会った頃のような冷たい口調で話す。


「アイル……?」


 俺の声にアイルハットは寂しそうに微笑む。


「悪い、タマ、ミキオ。私はここまでだ」


「え?」


「ようやくわかったよ、私がなぜ堕天させられたのか」


 どこか晴れ晴れとした表情のアイルハット。


「どういうことだ?」


「お前たちは異なる世界から現れた。これは異常なことだ。通常ありえない。それほどの大きな因果カルマの歪みを生んでいる」


因果カルマ……?」


「あぁ、お前たちはこの世界に存在していてはいけない存在。だからお前たちを排除しようとする勢力がひっきりなしに現れる」


「悪魔……か」


 木こりのフランクのところに現れた魔獣。

 生贄の少女イステルを殺そうとしたバフォメット。

 砂漠で遭遇した赤子の声を真似る悪魔。

 レッドドラゴンに寄生してた小鬼インプ

 言われてみれば心当たりは多い。


「と、同時に別の勢力も現れた。お前たちを元の世界に戻して因果カルマを正そうとする勢力だ。それが……」


「アイルたち神ってことか」


 こくり。

 アイルハットが小さく頷く。


「堕天して以降、私の力は衰え続けてきた」


「それなのに俺たちを加護で守ってくれてたのか……」


「それは別にいい。私がしたくてしたことだから。それに、どうせ天界に戻れば力は戻る」


「じゃあ……『ここまでだ』なんて言うなよ! せっかくここまで一緒に旅してきたんじゃないか! 最後まで一緒に……」


 俺の言葉をアイルハットは優しい笑みで制す。


「ほんとに優しいな、タマは……。世に存在する全てにはそれぞれ役割が与えられている。私が渡航の女神であるように。タマ、ミキオ。お前たちにも役目があるのだよ」


「そんな……わかんねぇよ、俺……自分の役目なんて……」


「そうか? タマは十分役目を果たしてると思うぞ? だって子供だったミキオを連れてここまで旅してきたんだ。十分役目を果たしてるじゃないか」


「そんな……」


 おやっさんがヒゲ氷柱つららに覆われた口を開く。


「じゃあよ、アイル? 俺の役目はなんなんだ? この年寄りに今更なにか役目なんて果たせるのか? しかもなんで子供になってた?」


「ふっ……それはいずれわかるよ。もうすぐね」


「うぅむ……」


 腕を組んでヒゲを触るおやっさん。

 考え事をする時のいつものクセ。


「さてと、ゆっくりと話をする時間もなくなってきたようだ」


 ドバァ──!


 冷たい海の中からクラーケン、巨大タコ、魚人が現れる。


「さぁ、邪悪な悪魔が因果カルマを修正しようとやってきた。ここでお別れだ、タマ、ミキオ」


「でも! アイル! こんなところでお別れだなんて……」


「走れタマ! 私なら大丈夫! 神だぞ? すぐに復活するさ。そして、神はいつでもお前たちのそばにいる。だから……」


 アイルハットの姿が溶け、一本の虹へと変わっていく。


「大好きだったよ、タマ、ミキオ……」


 その言葉を最後に、アイルハットの姿は完全にかき消えた。

 虹のふもとにはアイルハットの着てた俺のジャケットが落ちている。


「……行きましょう、おやっさん」


「いいのかい? あれ、拾わなくて」


 ジャケットに目をやるおやっさん。


「ええ、いいんです。だって……アイルがまた戻った時、あの格好じゃ寒いじゃないですか」


「そうか、なら……アイルの想いを無駄にするな。行くぞ」


「はい、おやっさん!」


 俺たちは長らく旅を共にしたアイルハットとの別れを告げ、吹雪く氷の大地へと伸びる虹の上を全力で駆け出した。

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