第39話 キックオフパーティー 3

 言及、言及、言及。

 事情を知らない人々からの追及の嵐。

 やかましいほどの囃し立て、そして喧騒へ。

 何もかもが目まぐるしく、対応に手が負えないと理解する。


 とりあえず、手に持った酒を一気に飲み干した。どくどくと心臓が唸りを上げて顔も熱く、頭はボーっとしている。


「はぁ......はぁ」


 ――おのれ、カイレン!最後の最後で......!


 やけになっているのは自覚している。でもグラスが傾いて仕方がない。

 こうでもしてないと気が気じゃなかった。


 群衆の面前で突然の公開婚約発表。カイレンの暴走予想案の中に一応含まれてはいたが、実際に実行されると想像以上に周囲からの追及が手痛い。

 祝す声もあったが、煽る声、妬む声、等々。もう何が何だか分からなくなってきた。


「エディゼート様!グラシア・アカデミアとは一体いつから構想されてたのですか?」


「......後で話します」


 やんわりと話を断る。


「エディゼート様!一体いつからカイレン様と――」


「......後で、話します」


 それとなく話を断る。


「エディゼート様!自分も、いつか同じ結婚式場で......」


「......叶うといいですね、お祈りしてます」


 柄にもないことを口に出す。


「......」


 周囲の声を遮断するように、心を空っぽにして夜空を仰いだ。

 きっと、相当間抜けな顔をしていることだろう。


 ――今すぐ帰りたい


 当のカイレンはカイレンで僕と同じような状況に巻き込まれていたが、何故か楽しそうに会話をしていた。それもそのはず、カイレンなのだから......。


 回復魔法をかけることなく、火照る体をそのままに立ち尽くしていると、


「――ほら、みんな落ち着いて。エディが魂の抜けた抜け殻みたいになってるでしょ」


 そう言ってくれたのは、感情を読み取れる唯一無二の存在、願人だった。


 僕としては露骨にぐったりとした様子を露わにしていたつもりだったが、その一声が届くまで人々の質問攻めは止まらなかった。


「ほら、ちょっと行こう」


「ん?どこに......」


 願人に手を引かれる。


「ほら」


「え、うわぁっ!?」


 突如として自分の意思とは無関係に浮かび上がる体。

 僕の目には願人の周囲に願力の光が満ちているのが映った。


 ――僕は願人に誘拐されるまま、宙を舞って会場を後にした。




――――――




「......いいのか?もうすぐお前の命名式が始まるっていうのに」


 僕らは今、村の遥か上空雲にも届きそうなほどの高さで滞空していた。

 この高さまで来ると夜風が少し吹いており、地上では考えられないほどの静けさが辺りに満ちていた。


「まだ大丈夫なはずだよ。それより見て、ほら」


「ん......」


 願人が指さす先、そこには地脈異常の影響で荒廃しきったはずの大地がものの見事に整備され、すでに街と呼べる程の建物が軒を連ねていた。


「......すごい。お前も頑張っていたんだな」


 素直に感心した。


「そうだよ。私もカイレンとエイミィの記憶を受け継いでいるから、みんながここに来るまで少し時間がかかるってことはわかってた。だからみんながここに来た時に驚いてもらえるように頑張ったんだ」


 横目に映る願人の表情は少しだけ切なさを感じた。


「......そっか。でも明日から、僕たちはこのグラシアをお前たちと共に切り拓いていく。だからそんな顔するな」


「あはは......。そんな顔をしてたつもりはなかったのだけれどなぁ」


 誤魔化すように、願人はわざと笑ってみせた。


「でも、半分はカイレンのはずなのに、もう半分もエイミィのはずなのに。二人の強さをもっているはずなのにって考えた時に、少し不安に思うことがあるんだ」


 具体的な悩みは話さなかったが胸の内を明かすように、願人はぽつりと呟いた。


「......それは、自分が願人ということが原因なのか?」


「まぁ、そういうことになるかもね。はは」


 生まれながらにして自身の存在そしてその在り方を知覚し、人々のために尽くさねばならないという使命を与えられる。

 真に人間ではないが同じ感情をもつ存在として、先のことを考えると不安になるのだろう。


「僕自身、正直なことを言うとお前が抱える悩みに対して的確な言葉を言ってやることはできない。せいぜい、隣にいてやることくらいだ」


「ううん、それだけで十分」


 僕らは互いに顔を見ず、夜空を眺めていた。


「何なら、一緒に住むか?」


「あぁ、いや。それは遠慮しておくよ。人間は、人間同士でいるべきだよ」


 僕らの仲を邪魔したくないのか、願人はそう言って断った。


「それじゃあ気が向いた時にでも来ればいいさ」


「うん、ありがとう。でも、あまり私を誘惑しないでね。願人である私が誰か一人に依存して力を使うことになると、その先に待つ結末は必ずよくないことになるから」


 願人は雲間に滲む青白い月を見つめながらそう言った。

 その言葉の意味は、完全にはわからずとも伝えたい事だけは何となくわかった。


「過去に、本当にそういうことがあったのかな」


「あくまでも、おとぎ話だけれどね」


「そっか」


 天地を翻すほどの絶大な力を持ち、尽きることのない命を備え、人と同じ感情を抱えている願人が、誰かのことを愛してしまう。

 それにより起こりうる事態を危惧し、またその感情を利用しようとした愚かな人間によって願人は魔願樹ごと姿を消してしまうほどまで追い詰められてしまった。


 圧倒的な力を持つ者でさえも、備わった感情を揺るがす脅威の前では破滅してしまうという教訓を綴った、この世界では有名なおとぎ話だった。


 ――きっと、そのことを願人は言っていたのだろう。


「まぁ、悩み事を抱えているのは僕も同じ。時々、カイレンには少しだけ申し訳ないと思うときがあるんだ」


「......どうして?」


 その理由は、極めて不安定なものだった。


「いつか僕は僕でなくなってしまうかもしれない。最近、何となくそう思うようになってきたんだ」


「そうなの?」


「あぁ。多分だけど、僕のこの身体は僕のものじゃない。別の人の器に、エディゼートという心が入り込んだんだと思う」


 グラシアの一件の際、願力の消耗によって摩耗した精神に誰かが侵入してくるような感覚を確かに感じた。

 それだけではない。何かをきっかけに、一時的な記憶がなくなった状態で意識が戻ることや、目を覚ました時に悲しい夢を見ていたような喪失感が残るようなことが度々あった。


 ――間違いなく、僕以外の誰かがいる


 そう思えるのは確かだった。

 しかし、このことをカイレン本人に言い出せずに時が過ぎていた。


「......そっか。そういうことがあって、カイレンに申し訳ないって思ってたんだ。エディは優しいんだね」


「そうなのかなぁ――えっ......?」


 ――願人は半透明の片翼を大きく広げ、僕を抱きしめるように包み込んだ。


 突然の出来事に、体が硬直して動かなかった。


「はは、誘惑しないでねって言ったそばからエディを抱きしめちゃった」


「......まぁ、お前も半分カイレンなんだから仕方ないだろ」


 翼越しに、願人は僕の周りに腕を背後から回していた。


「半分、エイミィでもあるからね」


「......えっ?」


 ――なんで、エイミィの名前が?


「どうして、エイミィが?」


「ふふっ、顔が真っ赤だよ」


 願人は腕だけを放して僕の顔を覗いていた。


「こ、これは酒で酔っているだけで......」


「私の前で嘘はバレバレだよ?」


「......」


 心のざわつきを無視することができなかった。そして、察してしまったその言葉が意味することも。


「本人は気づいていないかもしれないけど、半分カイレンの私ならわかる。少しずつだけど、エイミィの中でエディの存在は大きくなっている」


「でも、それがその......誰かを好きだという感情とは言い切れないんじゃ......」


「いい?エディ。人の心は人それぞれ。好きという気持ちの程度に違いはあるかもしれないけど、エイミィの中でエディという存在は特別なんだ」


 エイミィの気持ちを本人のいないところで聞くことになって、なんだかずるいことをしている気分になった。


「特別、か。でも......それでも僕は無責任なことはできない」


「無責任?」


 願人は僕の顔を覗き込んだ。


「あぁ。もちろん僕もエイミィのことが好きだ。だけどもそれはカイレンに対するものとはわけが違う。僕はまだ、エイミィのことを愛せるほどの時間も余裕もない」


 実際、エイミィに好意を抱いてもらえているという事実は嬉しいことだ。だが、僕という人間の程度を考えた時に複数人を選べるほどの余裕が今の時点ではなかった。


 カイレンは不思議と僕を欲する存在に対しては寛容に受け入れていた。本人曰く、僕という存在はカイレン一人が独占できるものでないからというらしいが。

 人を気持ちごと受け入れられるということは、ある種の心の強さなのかもしれない。


「......そっか。でも、エディがエディでよかった」


「ん?どういう意味だ?」


 すると願人は僕を解放するようにその場から少しだけ距離をとった。


「人の気持ちを考えられる、優しい心がエディに備わってくれて」


「......」


 照れくささにも似たもどかしさを前に、すぐに言葉が出なかった。


「優しさというより、僕はただの臆病だ」


「ううん、そんなことない。普通の人間は自分の気持ちだけで手一杯だけど、エディは違う。だからみんなエディのことが好きなんだ」


 魔願樹を背にして願人はそう言った。


 一つ一つの選択の重大さがあまりにも大きすぎたせいだろうか。確かにこの世界に来てからというもの、何かをするにも様々な考えを常に巡らせていた。そのおかげで今こうして自分が生きていられたのかもしれない。それは確かなことだろう。


「なるほど。じゃあ僕は今まで臆病に立ち回ってきてよかったんだな。そのおかげで今の僕がこうしていられるって言いたいんだろ?」


「うん!」


 願人は満面の笑みを浮かべた。


「だからエディ、これは私からのお願い。もしエイミィが自分の気持ちに気づける時が来たら、その時は真剣に向き合ってあげて」


 僕の手をとって、願人は祈るように少し下を向いた。


「もちろん、当たり前だ。ただ、エイミィの気持ちに気づいてしまった以上いつも通り接することができるのだろうか......」


 こればかり少し不安だ。他人からの好意はありがたいはずなのに、それとまた違った気恥ずかしさにも似た感覚がいろいろと邪魔してきそうだ。カイレンの時のように、自分から思いを伝えればその感覚はなくなるのだろうが。


「ふふっ、大丈夫だよ。もしかしたら、互いにあるその感覚によってエイミィが自分の気持ちに気づけるかもしれないから」


「......そっか。はぁ、カイレンにはどう言うべきか。でも一度、話しておくべきではあるけどな」


 こう言っておいてなんだが、僕はカイレンからエイミィのことをどう思っているのかと聞かれたときにすぐに答えることができないだろう。

 誰かのものになって欲しくない、離ればなれになって欲しくない。このようなカイレンに対する感覚をエイミィに直接当てはめることはできないだろう。


「そうだね。まぁ、カイレンもエイミィのことは大好きだから問題はなさそう。これは私が保証するよ」


「わかった。......はぁ、そろそろ行くか?」


 少しの間であったが、スケジュール的にもうすぐ願人の命名式が執り行われる時間が迫ってきているだろう。


「そうだね。これでようやく、私にも名前が付けられる」


「一体、二人はお前にどんな名前を付けるんだろうな」


 願人の命名はその願人を形成した人物が決めることとなっていた。つまり、カイレンとエイミィがその役割に当たる。


「案外、安直なものかもしれないけど、それも悪くないね」


「そうかもしれないな。ほら、行こうぜ」


 願人に向けて手を差し出した。

 そのまま首を縦に振って頷くと、願人はゆっくりと広場に向けて降下していった。


 ――もう酔っ払う必要もないな


 そう思い僕は自身に回復魔法をかけた。




――――――




 僕の予想通り、式が始まる時間前に広場に戻ってきた。

 周囲の人々は突然消えた僕と願人の行方を捜していたのか、僕らが広場に姿を現すと安堵を表情に浮かべていた。


「あはは、ごめんなさいね。ちょっと気晴らしに出かけてたんだ」


 願人はそう言うとステージの方へと向かっていった。

 遠目に映るステージのそばでは既にカイレンとエイミィが楽しそうに会話をしながら待機していた。


 ――名付け、か


 僕もカイレンからエディゼートの名を付けてもらっていた。

 本人曰く意味することは願魔導師らしいが、今のところ名前が原因で僕の正体が暴かれたことはない。カイレンなりの造語か何かなのだろう。


「――二人とも、空の彼方で何をしてたの?」


 突然、背後から声を掛けられた。


「ん?あぁ、アレザか。びっくりした」


 振り返るとそこには一人アレザの姿があった。


「あれ、アベリンとベリンデは?」


「その言い方だと、まるで僕がいつも二人を拘束しているみたいじゃん」


 ――いや、そうじゃないのか?


 でもアレザが一人でいるだなんて珍しい。


「二人は少し食べ過ぎたみたいで広場の外れの木陰で休ませているよ。ふふっ、可愛いね」


「なんだか気の抜けたような声なのに、お前がそう言うと少し怖いな......」


 テンションがころころと変化したり、おっとりしてると思ったらそうでもなかったり。アレザは実に人間性が掴みにくい存在だった。ただ、魔願帝である限り潜在的に悪の感情を持っていないことは確かだ。


「そんなことよりもさっ。ねぇねぇ、上で何を話してたの?」


 ずいっと、アレザは距離を縮めてきた。


「というか、僕らは雲と同じ高さまで飛んでいたのに」


「ふふっ、有翼人の視力と魔法をもってすれば丸見えだよ」


「......」


 そういえばそうだった。種族によって、基礎能力が違うのだった。

 得意とする魔法も、願力を体内に巡らせることによる恩恵の種類も、覚えだしたらきりがないほど多種多様だ。

 アレザの視力強化もその一種なのだろう。


「まぁ、あれだ。願人と互いに苦労してるなって話してた」


「本当に?」


 間髪入れず疑問が飛んできた。


「お前な......。察しのいいお前なら人が言いたくないことがあることくらいわかるだろ?」


「ふふっ、ごめんね。これは僕の悪い癖なんだ。興味のある人に構わずにいられなくなっちゃってさぁ~」


「......」


 アレザはそう言うとわざとらしく大股で僕の周りを歩いた。


「ねぇ、エディが言っていたグラシア・アカデミアだっけ?」


「あぁ、それについてなにか聞きたいのか?」


 するとアレザはぴたりと動きを止めた。


「そう!まぁ、聞きたい事というか、感想というか。とにかく!エディってすごいんだね」


 何故か、アレザはその言葉を満面の笑みを添えて伝えてきた。


「すごいって言ったって、まだ考案段階に過ぎないさ。それに僕一人ではこの計画は達成できない。当たり前かもしれないけど、たくさんの人の力が必要だ」


 設備や体制の準備はおろか、そもそも開拓すら始まっていない。口に出すだけなら誰にだってできることだ。


「......そっか。でもすごいよエディは。実はね、僕もエディと比べたら小規模で自己中心的なものだけど、同じようなことをしてるんだ」


「えっ、そうなのか?」


 なんと、詳しい内容はわからないがアレザは自分が何かの団体の運営者だと明かした。

 驚きの感情そしてその意外性は、当人の性格のギャップからきているものなのだろうか。


「うん。僕の大好きなものを集めた、僕だけの楽園。人はそれを孤児院だって言ってるけど、その実は全くの別物」


「まぁ、そうだとしてもアレザは院長、ってことか」


「あはは!そうかもね」


 アベリンとベリンデへの接し方から窺えるように、年若き子供が大好きなのだろう。


「一応僕にも魔願帝や院長としての立場があるから、エディの目標を応援したいなって」


「そっか......あー、こう言っちゃなんだが、普段のふやけた様子のお前からは想像できないというか、なんというか」


 見た目こそ黙っていれば全身を純白で纏ったアレザは神秘そのものと言える風貌を持っている。むしろたれ目や常に静かに微笑んでる表情からは慈悲深さすら感じる。

 しかし性格はよくわからない。クレウルムに対しては素っ気ないが、僕に対してはそうでもなく、アベリンやベリンデそしてカイレンやエイミィとはとても親し気だ。


「まぁ、僕は僕の大好きなものを手に入れるためには全力だってことだよ」


 僕の考え事にちょっとした答えを提示するように、アレザは口を開いた。


「全力か。はは、通りでカイレンとエイミィと気が合うわけだ」


 二人も自分の好きなことにひたむきだ。良くも悪くも、それが彼女たちらしさでもある。


「ふふっ、それもあるけど何より二人も可愛いからねぇ」


「ははは......そう考えるとクレウルムに可愛げは......」


 別にないわけじゃないとは思うが、アレザの言う可愛さとは毛色が違うのだろう。

 普段は少し荒っぽいが、いじりがいのある面白いびっくり箱のようなクレウルムはアレザのお眼鏡にかなわなかったようだ。


「まぁ、あとでまたたくさん話そう。僕はアベリンとベリンデのところに行ってくるね」


「あぁ、じゃあな」


 僕はアレザに手を振った。


「うん!またね~」


 調子よさげにアレザは大きく手を一振りすると広場の奥へと姿を消していった。


 ふと、ステージの方に目を向けるとセノールが拡声器をもって階段を上がっていた。

 キックオフパーティー最後の催し。願人の命名式が始まろうとしていた。

 人々の視線はステージ上に集中し、今か今かとその時を待ちわびている様子だった。


 ――二人は、一体どのような名前を付けるのだろうか


 そんなことを考えながら、セノールの言葉を待っていた。






――――――






 音楽は鳴り続けたまま、命名式はセノールの言葉で開始した。


「それでは皆様お待たせしました。本日のパーティーも残すところ最後の願人命名式となります。本来であれば建国の儀の場で行われるものですが、この度グラシアは特別区として制定されるためこの場で執り行うことにいたしました。それでは命名者のカイレン様、そしてエイミィ様、並びに願人の登場です!どうぞステージ上へ」


 拍手と熱気、そして軽快な音楽と照明と共にカイレンとエイミィ、そして願人はステージの上へと上がっていった。全員緊張した様子もなさそう、と思ったがエイミィはいつもより辺りをきょろきょろと見渡して落ち着きのない様子だった。

 それも当然、僕と同じで大勢の前で立つという経験がなかったのだ。性格も淑やかな方だからなおのことだ。


 心の中で頑張れと応援しつつ、全員の登壇を眺めていた。


「それでは皆様お揃いのようですね。――では、これより命名式の開始をここに宣言します!」


 セノールが声を張り上げると会場の内外から声が上がった。

 本来厳粛な空気の下行われる命名式も、カイレンの手腕にかかればこの通り。まるで何かの祭りのように大盛り上がりだ。


「では、カイレン様とエイミィ様は願人と相対するようにお並びください」


 セノールの言葉に従うように、カイレンとエイミィは願人と向き合った。

 すると願人は片膝をついてこうべを垂れた。その様はまるで王命を授かる配下の姿ようだった。

 場の雰囲気に似つかぬような、格式ばった行為。最低限、儀式の形は順守する――かに思えた。


「ねぇ、顔を上げて」


 カイレンは願人に対してそう語り掛けた。

 すると願人はカイレンの言葉に従うように顔を上げた。


「やっぱり、こんな雰囲気でこうするのは相応しくないね。ってことで、セノールさん!予定変更!やっぱり私の段取りでやるね」


「承知いたしました。では、閉式まではカイレン様にお任せします」


 予定にもないことをカイレンは口にしたが、セノールは一切動じることなくあっさりと了承した。


「ふふっ、ありがとね。じゃあ、そういうことで立ってくれるかな?」


 カイレンは周囲の人々の反応に構うことなくそう言った。


 一般人の面々はパフォーマンスの一種だと思っているのか特にこれといった驚きの反応を示すことはなかったが、一方で身分の高そうな招待客や高齢の職員などはやれやれと呆れるような表情や仕草を見せていた。


「わかった。ふふっ、実にカイレンらしいね」


 立ち上がった願人はそう言って笑って見せた。

 エイミィも、カイレンの行動を事前に知っていたのか願人の言葉に半笑いした。


「だって君には王として私の代わりになってもらうんだもの。立場は対等か、もしくは私の方が下になるからね」


「あはは、それじゃあこうしないと変だ」


 式の最中であるにも関わらず、二人は普段のように話し合っていた。

 世界最強の自由の前に、立ちふさがるものは何もなかった。


「それで、二人は私になんて名前を付けてくれるの?」


 願人がそう言うと、何かを示し合わせるようにカイレンとエイミィは互いを見て頷いた。


「私の半分を受け継ぐ君は、きっとどこまでも自由が好きで、龍のように大空を駆けていく存在になると思う。だから私が君に授ける言葉は――『イアルヴ』」


 それはカイレンが最も好きと称する飛翔魔法の詠唱だった。


「そして私の半分を受け継ぐあなたは、きっと何かを追究したいと思える存在に真っすぐで、その心は何者にも変えられない柔軟さを必要とすると思う。だから私からあなたに授ける言葉は――『カイゼル』」


 それはエイミィが最も得意と称する変質魔法の詠唱だった。





「「だから、私たちはあなたに、――『イアゼル』と名乗って欲しいんだ!!」」





 カイレンとエイミィの声は、拡声器を使わずとも会場中に響き渡った。

 そして二人の言葉を聞いた願人は目を輝かせて二人を見た。


「イアゼル......。うん!ありがとう、カイレン、エイミィ!」


 願人はそう言って腕と翼を広げて二人に飛びつくように抱き着いた。


 それと同時、場を盛り上げるように音楽は鳴り響き人々は拍手と歓声を上げた。


 ――『イアゼル』。たった今、世界で十三番目となる願人の名付けが完了した。もう、誰もかの存在のことを無機質な言葉で呼ばなくなったのだ。


「――イアゼル!おめでとー!」


 気づけば僕は柄にもなくステージ上のイアゼルに向けて声を張り上げていた。

 すると僕の声に気づいたのか、イアゼルはカイレンとエイミィを解放して僕の方を見た。


「ありがとー!エディ!」


 とても嬉しそうに笑みを浮かべ、イアゼルは大きく手を振った。


 相変わらず、一般人も観客として巻き込んだこのパーティーの盛り上がり方はすさまじい。

 広場にはイアゼルの名を呼ぶ声が後を絶たなかった。

 その声に統率はなく、皆思い思いのまま声を出して大騒ぎしていた。


「えー皆様大変盛り上がっていると思いますが、これにて命名式の閉式を宣言したいと思います。カイレン様、エイミィ様、そしてイアゼル様。大変、ご苦労様でした!」


 拍手が鳴り響いた。


 場の雰囲気を崩すことなく、セノールはとても手短にそう言って式を閉じた。

 その声を聞いていた者はどれほどいるのだろうか。しかし、そのことを気にする者はとていないように思えた。

 皆、雰囲気のままこのパーティーの一連の流れを楽しんでいた。


「パーティーもこれにて終了になりますが、明日のことなど忘れる勢いで楽しんでいきましょう!以上、司会のセノールでした!それでは!」


 セノールが一礼すると、再び拍手が起きた。


 徹底された格式排除の前では、フィナーレとなった今は何もかもが自由に思えた。現にステージから降り立ったセノールは拡声器を現場職員に手渡すと、解放するように葡萄酒を瓶ごと傾けた。

 何も知らされていないであろう招待客や職員の面々はパーティーの終わりの到来を察知できていない様子で周囲を見ていた。

 いろいろと気の毒にと思ったが、主催者がカイレンだ。こうなることはわかっていただろう。


 ――それにしても、明日から開拓がはじまるのに明日のことは忘れて、か


 実にこのパーティーに相応しい締めくくりの言葉だ。

 僕もカイレンも、そして皆も、明日のこと以前これからの不安すらも忘れるようにパーティー 後もはしゃぎまわった。



 ――そんなこんなで、グラシア開拓開始を祝したキックオフパーティーは幕を閉じた。しかしその熱量は尽きることなく、翌朝まで続いたのであった。

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