ex 誤算 下
時刻は僅かに遡る。
(あそこまでボロボロになるまで頑張ってたんだ。うまく行ってくれると良いが……)
仕事を終えた元理学療法士の運び屋マチスは、薬剤師の青年を背負い駈けていくアヤという少女の背を見送りながら心中でそう呟く。
そう呟いてから、改めて考える。
(しかし……珍しい組み合わせの二人だったな)
薬剤師と弓使い……ではない。
そんな組み合わせならありふれている。
『もしかしたらまた利用する事が有るかもしれないっすけど……その時は今見た事はレインさんには黙って置いて貰えると助かるっすよ』
去り際にそんな事を告げて行った彼女をただの弓使いと形容するのは絶対に違う。
そう考えていると、少し前の光景が脳裏にリフレインしてくる。
◇◆◇
あの時、戻ってきた青年の意識は失われていた。
聞いたどころによると原因は身体能力を強化する類いの薬のオーバードーズとの事だ。
曰く意識を失う前に薬の効果を中和する薬は服用してあるらしく、だとすれば……いや、例えそうでなくともこの場で自分にできる事は少しでも早く王都に戻る事だけとなる。
……自分には。
二人を乗せてすぐに飛び立った直後、アヤという弓使いの少女は言った。
「すみません……これからマチスさんのすぐ近くで嫌な事をやる事になるっすけど……すみません。今だけは許して欲しいっす」
「……?」
少女が意味深な発言をしたので後ろに控える二人の方に視線を向けて……思わず目を見開いた。
「アンタそれ……」
「治癒魔術っす……これで少しでも薬の副作用を抑えられれば……」
弓使いの少女は薬剤師の青年に治癒魔術を施していた。
それはまるでかつての自分の商売敵の賢者のように。
「アンタ……賢者だったのか?」
「志した事があるだけの弓使いっすよ。練度も精々三級ってところっすね」
「志しただけって……」
賢者になる事ができるのは才能のあるほんの僅かな人間だけだ。
……治癒魔術を習得できる人間は、本当にほんの僅かな人間だけなのだ。
それができるというだけで……大した実力が無い半端者でも食いっぱぐれる事が無い程に。
それなのに……発動できるところまで身に付けているのに。
「なんでそれを止めて弓使いなんか……」
賢者という職業を持ち上げている訳ではない。
弓使いという存在を卑下している訳でもない。
訳では無いが……それでも一般論として賢者を志し最低限の結果を残しておきながらフェードアウトするのは、賢者に良いイメージを抱けていない自分のような旧医療従事者からしても大きな疑問となる。
そしてそんなマチスの問いに、苦笑いを浮かべて彼女は言った。
「実は私のお父さんが外科医なんすよ」
「……外科医」
「ほんと尊敬できる凄い人なんすよ私のお父さんは」
そして一拍空けてから言う。
「それを見て育って……賢者って仕事の事も知って。そしたら思ったんすよね……治癒魔術があればお父さんの仕事をサポートできるんじゃないかって」
「……」
「浅はかっすよね。正直私は医学のいの字も理解できないような馬鹿なんで、色々と頭回って無かった訳っす。誤算でした。大誤算っす。びっくりさせようと黙って勉強していたこの力で、本気でお父さんを助けられると思った。思ってた」
「……」
「お父さん見たいなお医者さんが築き上げてきた医学と、奇跡みたいな力を使う治癒魔術。この二つを組み合わせたら……もっと多くの人が助けられるんじゃないかって思った。だけど思慮が浅かったんすね。最終的に勘当されちゃいまして……それでフェードアウトっす」
「勘当って……」
「マチスさんならお父さんの気持ちも分かるんじゃないっすかね」
「……」
「マチスさんにお子さんが居るのかは分からないっすけど、自分の子供がそんな事言い始めて、実際に治癒魔術まで覚えていたら……嫌っすよね。なんで私は気付かなかったんだろう……そりゃ医学書を全く理解できない馬鹿っすよ私は」
言われて、考えて……分かってしまう。
多分、此処まで真っすぐに……もしかしたら現代医学のあるべき姿を体現できていたかもしれない娘を拒絶してしまった父親の心証が。
……追い詰められていたであろう同業者の心証が。
と、そこで気付いた。
あるべき姿。
その志を聞いて、旧医学と治癒魔術が共存共栄するようなやり方が、あるべき姿だと、賢者にマイナス的な感情を向けている自分ですら思える事実に。
……おそらく殆どの人間が到達できていないある種の高みに、かつての少女が到達していたという事に。
そんな少女に問いかける。
「……ちなみに、そうやって懸命に治療している事をその男に隠す理由はなんだ?」
「そりゃ……自分の父親の考える事も分からない位の馬鹿っすから。レインさんの考える事もきっと読めない」
そして一拍空けてから少女は言う。
「レインさんも賢者の所為で追い込まれている人なのは同じっすから……そんなレインさんに治癒魔術が使えるなんてカミングアウトをするのは怖いっすよ……親しい人に嫌われるのは、怖いんすよ」
「……そうか」
現状、自分がそんな事は無いと言っても何一つ信憑性を乗せられない。
言葉にそういう感情を乗せられるかどうか分からない。
……なんとなく、そんな自分が本当にどうしようもない人間に思えてきた。
そしてそれから特に会話も無く、少女の治癒魔術による治療は続けられる。
そんな中で、ふと思い出したように少女は言った。
「あ、マチスさん」
「なんだ?」
「行きの時は言えなかったっすけど……私はマチスさんが偽物だなんて思ってないっすよ。ああ、これはお世辞とかではなく」
「……なんでそう思う?」
思わず感じた疑問をそのまま吐き出すと、少女は言った。
「マチスさんと同じような事を言うお父さんを間近で見てきて、それでも立派だなって私はずっと誇りに思ってたっすから。そんな事だけで偽物なんて事は……絶対に無いんすよ。あってたまるか」
◇◆◇
結局今になっても賢者という存在にあまりいい印象を持っていない。
神の様な奇跡の力を扱うからか横柄な人間も多いし、それらを持ち上げ旧医療従事者を下げる一般世論も含め、とにかく良い印象なんて持てる筈が無いのだ。
……少なくない賢者が真っ当に不特定多数の誰かを助ける為に活動しているのを知っていても……それでも。
どうしたって切り離せなして考えられない感情はある。
だとしても。
だとしても、今日自分が運んだ少女は、あの薬剤師の青年共々うまくいって欲しいとは思う。
きっと紛れもなく、彼らは本物なのだろうから。
偽物ではないと言われても、それでも自分は偽物だと感じる程に……あの二人の存在は眩しかったから。
報われて欲しいと、そう思った。
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