10 勝利条件

 側頭部に蹴りを叩き込まれたグレートベアーが大きくバランスを崩した。

 そしてそのまま地面を転がり、生い茂る木々をなぎ倒していく。


「よし!」


 最低限の手応えを感じられ思わず声を上げた。

 心拍数が上がり激しい頭痛が頭に響き始めているが、その代償から得られる対価としてはあまりに大きい。

 素人の近接格闘で叩き出せる成果としてはあまりにもだ。


 だが、まだ圧倒的に足りない。

 あくまで最低限だ。


 勝ち目がないところから、勝てる可能性が感じられるところまで能力を引き上げられただけで、その一撃で屠れるなんて事は無い。


「……ッ!」


 側頭部に全力の蹴りを叩き込んだにも関わらず、脳震盪を起こした気配もなく立ち上がったグレートベアーはその場で勢いよく腕を振るった。

 そのモーションで繰り出される攻撃は知っている。


(斬撃……ッ!)


 鋭い爪と剛腕から繰り出される斬撃だ。

 以前後方支援ながら戦った事が有るから知っている。

 だが、その威力は桁違いだ。


 大幅に強化された動体視力と聴力に嗅覚、脳の演算能力の全てを駆使して、それでも辛うじて攻撃を躱した次の瞬間、後方に生い茂る木々が十数本単位で薙ぎ倒される轟音が耳に届いた。


 その音だけで、通常有識者の中で語られるグレートベアーの強さではないのが理解できる。


 十中八九、今の状態でも当たれば即死だ。

 やはりこの怪物はSランクのパーティーが全力で戦ってようやくどうにかなる程の化物。


 だからといって、やる事は変わらない。

 再び放たれた斬撃を掻い潜りながら接近し、勢いそのままに胴体にドロップキックを叩き込んだ。


 そして先の一撃のように木々を薙ぎ倒しながら地面を転がるグレートベアーを、同じく体制を崩し地面を転がりながら目視で確認しつつ確信する。


(ワンチャンあるかと思ったけど……まあ殺し合いって意味での勝ち目はねえな。つーか頭痛ぇ…………鼻血まで出てきやがった)


 普段から前衛を張っている人間が同じ事をすれば話は別かもしれないが、こちらは基本後方支援を担当していた薬剤師だ。

 近接格闘の経験も殆ど無ければ、ベースとなる肉体のスペックも足りない。

 故に半ばごり押しで表面上なんとか優性に戦えてはいるが……視界の先でやはり平然と立ち上がって来るグレートベアーを見て分かる通り、こちらの一撃一撃が軽く、殆ど効いていない。

 このまま戦い続けて勝てたとしても、それはかなりの泥仕合の先の勝利だ。


 そしてそこまで体が持たない事は、自身の身長や体重などを考慮して限界ギリギリの量の丸薬を呑み込んでいる自分が誰よりも正確に理解できる。

 全ての能力値が限界突破し、五感からあらゆる情報を吸収できている状態と、それら全てを手放しかねない程の意識レベルの低下が強制的に理解させて来る。


 とにかく、言える事はただ一つ。


 此処から先、今の調子で勝ちにつながらない戦いを続けつつ、体の内側から蝕んでくる副作用と戦い続ける。


 アヤが戻って来る、その瞬間まで。

 それができればこちらの勝ちだ。


「まあ分かりやすい勝ち方が見えている分、楽勝だよお前の相手は」


 未知の病への対処と比べれば。

 旧来の医療従事者として活動していく事と比べたら。


 決して向いているとは思えない冒険者なんて仕事を副業としてやっている真の目的の成就と比べれば。


 圧倒的にイージーだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る