第28話 生きるか死ぬかの工場見学



 *11



 廃工場の中に入るのは簡単だった。


 およそ入り口と呼べるものなんて、無いにひとしかったからだ。



 なぜなら、老朽化ろうきゅうかしてさびれたコンクリートの壁には、ひび割れて、たくさんの亀裂があり。


 その亀裂は簡単に、人が入れるほどの大きさだったからだ。



 僕と灰玄かいげん心絵こころえは、その亀裂の中にい入るようにして、廃工場の中に侵入した。



 そして廃工場の中は、まるで現代社会から見捨てられ、孤独で荒れ放題の空間だった。



 何年もの間、人の出入りが無く──人間の足跡をこばみ続けたような雰囲気である。


 こんな場所に──本当にローザが居るのだろうか。



 それに、呼吸をする度に、真夏の夜の湿った空気と、ほこり臭い廃工場内の空気の両方が、いっぺんに胸の中を満たしていく。



 はっきり言って早く帰りたい。


 一分でも長居したくは無い場所である。



 それにしても暗い場所だ。


 まあ、放置されて誰も使っていない廃工場だから、当たり前と言えば当たり前なのだが。



 もし携帯電話のライトが無かったら、完全になにも見えないぞ。


 それに──このトランシーバーのようなものは、爆弾の起爆スイッチの道具だと灰玄が言っていたが。


 アタッシュケースの中を開けて、爆弾を見た時は導火線が無かった。



 つまりこれは、爆弾を起爆させるための遠隔装置なのだろう。



 しかし──この音はなんだろう。


 僕が廃工場の中を歩く度に、バリバリと変な音がする。



 それに、堅いプラスチックの破片を踏んでいるような感触も伝わってくるぞ。


 気になったので、コンクリートの床を携帯電話のライトで照らすと──コンクリートの床全体に、一面びっしりと埃まみれで、色褪いろあせた注射器や、以前は何かの医療いりょう器具だったと思うような、部品や硝子片がらすへんが散乱していた。




 「うげっ……。なんだこれ」




 驚きのあまり、声が出てしまったが──すぐに、その驚きは怖さの感情として、僕の心を支配した。


 なにより、一番怖いと思ったことは、き出しになった注射器も散乱しているので、うっかり注射針が足の裏に刺さって、そこから黴菌ばいきんや雑菌が体の中に入ったら、洒落しゃれにならないと言う怖さだ。



 スニーカーをいているから、注射針が足の裏に刺さってしまうことは、無いと思うが。


 今は真夏なので、ちょっと近くのコンビニなどに行く感覚で、ビーチサンダルなどを履いて来ていたら大変だった。



 ────いや。


 それは僕に限ってのことだ。



 心絵は着物だから、スニーカーでは無く、草履ぞうりを履いているし。


 灰玄はハイヒールだ。



 しかもよく視ると──灰玄は素足でハイヒールを履いていた。


 足の裏は、ほぼ無防備と言っても過言では無い。


 と言うか──完全に無防備だ。



 にしても──おかしいぞ。


 三人で歩いているのに、バリバリと音が鳴っているのは、僕が歩いている時だけだ。



 僕が止まると、二人は歩いているのに、音が無い。



 不思議に思い、二人の足下をライトで照らしてみると──二人ともコンクリートの床に足はついているのに、まるで体重が無いかのように、注射器や硝子片の上を歩いている。



 二人が歩いてきた道を照らしてみると、注射器や硝子片は割れていなかった。



 いったい──どんな歩き方をしたら、体重をかけずに歩けるのだろうか。



 いやいや、問題はそこじゃ無いな。


 どんなに軽い人だって、注射器や硝子片よりも軽くなくては、絶対に歩いている時に、僕みたいにバリバリと音が出るはずだ。



 もしかして、この二人は体重を自在にコントロールできるのだろうか。


 でも、その考えはあり得ないだろう。



 だったら──宙に浮きながら歩いて──いやいや、その考えもあり得ない。



 うーん……、どうしても気になったので、二人の足下をライトで照らして、目を凝らしてよく視てみた。


 ──ん!?


 こいつら……歩いてはいるが、コンクリートの床の上を歩いていないぞ。



 原理なんて分かるわけも無いが、コンクリートの床から少し上にかけて、目に見えない透明な床でもあるかのように、音も無く空中を歩いている。



 こいつらは──まさに謎だ……。




 「あっ。あの下が怪しいわね」




 灰玄が指を差した方向を見ると、地下につながる階段があり、そこから人工的な灯りが漏れている。




 「あの馬鹿女は、この下ね」




 断言する灰玄。




 「──何で分かるんだ?」


 「女の勘よ」


 「勘……ねえ……」


 「アタシはちょっと準備があるから、鏡佑きょうすけと心絵家の小娘は先に下りてなさい」


 「え? 嫌だよ。下りて危ない目に──」


 「だからさっきも言ったでしょ。危なくなったら助けてあげるから。それと、心絵家の小娘。アタッシュケースはここに置いといていいわよ。手伝ってくれてありがとね」




 言って、アタッシュケースの中身を開けて、爆弾を持ちながら、うろちょろする灰玄。


 きっと、爆弾の設置場所を決めているのだろう。




 「なにしてんのよ。さっさと行きなさい」




 灰玄に背中を押された。


 比喩ひゆ的な意味では無く、物理的な意味で。



 つまり──早く地下につながる階段を下りろと言うことだろう。



 やれやれ、どこまでも自分勝手なやつである。




 「準備が終わったら、すぐにアタシも下に行くから、何かあったら大声で助けを呼びなさいよー」


 「はいはい。分かりやしたよ……」




 言って、地下につながる階段を下りる僕と心絵。


 ていうか、助けを呼べって……お前は殺人陰陽師のくせに、どこのヒーロー気取りだよ、まったく。



 と言うか──やけに長い階段だな。


 地下四階分ぐらいの長さはある階段だ。



 そして、階段を下りるにつれて、人工的な灯りもより強くなっていった。



 灰玄の言った通り、ローザがこの下に居るのだろうか。


 そう考えると、あの沖縄での悪夢を思い出してしまう。



 だが、どんどん階段を下りて、人工的な灯りが強くなるのと同時に、一つの懸念けねんが生じた。


 それは──もし、この階段を下りた先に、ローザみたいな奴らが、うじゃうじゃ居たらどうしよう。と、言う懸念である。



 あっ。そういえば──相変わらず無言で、僕の後ろをついて来る心絵は……ローザのことを知らないんだよな。


 いくら怪力の心絵でも──ローザには敵わないだろう。


 あの灰玄と互角に渡り合って闘えるほどなのだから……。

 



 なので──僕は階段の下まで着くと、いつでも大声を出して灰玄を呼べるように、目一杯めいっぱいまで酸素を吸い込み、そのまぶしいほどの人工的な光りの中に、心絵と一緒に入った。



 入った──のだが。



 人の気配が無い。



 それに、なんだかこれは──研究所そのものと言った感じである。



 映画などで出てくるような、オペレーションルームにある、たくさんの大きなモニターが、僕を出迎えた。


 その周辺には、スーパーコンピューターのような、背の高いとても精密そうな機械が所狭しと並んでいる。


 しかも凄く涼しいぞ!


 逆に──少し肌寒いぐらいだ。



 いったい、電力はどこから供給されているのだろうか。



 僕が機械の周りを歩いていると、奥の方から、二人の男性の声が聞こえた。



 やっぱり人が居たのか……ローザみたいな危険人物だったらどうしよう……。




 だが、会話の内容は聞き取れないが、とても穏やかな口調で話しているのは分かった。



 なので、とりあえず様子を見るため、背の高い機械に隠れながら、忍び足で声のする方に行ってみた。



 すると、白衣を着た男性二人が、周辺にある──たくさんの大きなモニターの中でも、一際ひときわ目立つ、一つの巨大モニターを見ながら、横に伸びた途轍とてつもなく長いパソコンのキーボードのようなものを、ローラーと背もたれのついた椅子に座り、その椅子で移動しながら、キーボードのようなものに何かを打ち込み、作業をしている。



 その姿は、見るからに研究員と言った風である。


 そして、その白衣を着た二人の周辺は、何も無い広々とした場所なので、近づけない。



 さいわい──背の高い機械は、二人が居る距離から十メートルほど離れた場所まで設置してあるので、隠れながら会話はなんとか聞こえる。



 僕から見て、後ろを向いているので、はっきりとは分からないが。


 ローザのような危険人物には見えない。



 そう──危険人物には見えないのだが……。



 ローザの時と同様に、底知れない狂気を感じた。



 それは、白衣を着た二人の男性が巨大モニターの奥にある、そのモニターよりも巨大な強化硝子の中の光景を、まるで──それ・・が日常のように、平然とながめていたからだ。



 僕は──その巨大な強化硝子の中の異様な光景を目の当たりにして、我が目を疑い絶句した。



 なぜなら……。

 



 巨大な強化硝子の中には、大量の人間の死体が山積みになっていたからだ。



 そして──山積みにされた人間の死体が、まるで物扱いのように、大きな機械アームにつかまれて、大量の人間の死体がベルトコンベアーにせられ運ばれていく。


 その運ばれた先には巨大なプレス機があり、おびただしい数の人間の死体が、流れ作業で潰されていた。



 それはまるで──手の中で、完熟した柔らかいトマトをにぎり潰すかのようにして──プレス機で潰された人間の死体は、一瞬で血肉のジュースと化し、その血肉の液体はベルトコンベアーの終着点である大きな穴の中にみ込まれ、血肉の液体となった人間の残骸ざんがいたちが、その穴の中の闇へ──多量にこぼちていっている。



 なんだよ……これは……。


 本当に絶句としか言えない光景だった。



 いったい……こいつらは──なにが目的で、こんな非人道的なことを、しているのだろうか。




 真っ白になりそうな頭の中で、目の前で起こっていることを整理しようとしたが。


 その──あまりに異常すぎるそれ・・と、異状しかない現状に、考えなんて……まとまるわけも無く。


 ただただ……混乱するだけだった。



 だが、分からないで混乱する中から、一つだけ──分かることがある。



 それは──こんなモノを平然と見続けている、この白衣を着た二人の男性も……きっとローザのような危険人物に違いないと言うことだ。




 そして──僕のこいつらに対する感情は、人間の死体を平気で物のように扱う姿を見て。



 怒りにも似た感情と、ここに居ては危険だという恐怖の感情と、この残忍な行動を今すぐ止めたくても、止めることができない……自分に対しての臆病で無力な、自己嫌悪じこけんおの感情との狭間はざまで、僕の心の中は混濁こんだくしていた。



 その、混濁した感情のうずの中で、自分を見失いそうになっていると、突然、目がくらむ程の強烈な光りが、白衣を着た二人の男性の周囲を包み込み──


 ──僕の視界は、その閃光に奪われた。




 「おーい! 『材料』持ってきてやったぞ。それと、アタイの軍服を取りにきたんだけど──ちゃんと綺麗になってっか?」




 目を閉じているので、誰だか分からないが、どこかで聞いたことがある声だった。



 僕はその声の主を確かめようと思い、ゆっくり瞳を開くと──ローザが火のついた煙草たばこくわえながら、紫煙しえんくゆらせて立っている。



 そして──またしても、我が目を疑う光景を目の当たりにした。



 ローザの立っている横には、僕が前にローザに閉じ込められた、半透明のおりがあったのだが。


 前に閉じ込められた時よりも、遥かにしのぐ大きさの、巨大な檻だった。


 いや、問題はその檻の大きさでは無く……檻の中身である。




 その巨大な檻の中には──数えきれない人間の死体が、すし詰め状態になり入っていたのだ。

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