出発地点がハニトラだったことがバレて好感度ゼロから再出発する口説き話(※注意※左記の文章には間違いが含まれています)
やなぎ怜
前編
「それ……本当ですか?」
柱の陰から幽鬼のごとき形相で現れたオフィーリアに、その場の空気はただちに凍りついた。
「ち――違うんだ、オフィーリア。誤解だ。私は貴女のことを愛して――」
「今現在どう思っているかについては聞いていないんだよ、アルジャノン。わたしは過去について聞いている」
オフィーリアにぴしゃりと切り捨てられて、アルジャノンは思わず息を詰めた。
オフィーリアの冷ややかなまなざしが、アルジャノンからその直属の上司であるモーガンへと移る。モーガンも顔を引きつらせて、己の先ほどの言葉がたいそうな失言だったと悔いている様子だった。
――いや~大変だったねえアルジャノンくん。帝国宮廷に魔法使いとして潜伏するのみならず、最強の魔法使いを色仕掛けでオトして帰ってくるなんて大仕事、君にしかできないよ!
「ふ~ん……色仕掛けだったんだ……ふ~ん、そっか~」
「ち、違う!」
「ふ~ん、じゃあモーガンさんがウソ言ってるんだ?」
「そ、それは――」
「ふ~ん……」
「オ、オフィーリア……」
この凍えるような修羅場を生み出したモーガンは冷や汗をかきまくっているし、突如として当事者にされたアルジャノンは半分涙目である。
「違うんだ、オフィーリア。私は本当に貴女のことを愛している……! これは、神に誓って嘘じゃない!」
どうにか挽回できないかとあせりまくっていることが丸わかりの、上ずった声でアルジャノンが言う。
しかしオフィーリアの返答は「そう」という、無味乾燥なそのひとことだけだった。アルジャノンは泣きそうだ。
「オ、オフィーリアくん……その」
「……ご心配なく。この国を出て行こうなんてことは考えていませんから。――今のところは」
オフィーリアの言葉の最後、「今のところは」という部分に妙に力が込められていることに、モーガンも気づいてますます顔を引きつらせた。
「ま、待ってくれオフィーリア――」
「まだ仕事があるだろう。わたしも仕事がある。それじゃあ――失礼します」
「オフィーリア……!」
「今はあなたと話したくない。追ってきたら許さない」
くるりと背を向けるや、心なしかブーツのかかとを力強く鳴らしてオフィーリアはその場を去って行った。
残されたふたり――アルジャノンとモーガンは、互いに視線を交わすことすらせず、しばらく沈黙を続けた。両者ともにその顔色がびっくりするくらい悪かったのは、言うまでもないことだろう。
アルジャノンはスパイだった。母親が帝国民だった血筋を利用し、帝国宮廷お抱えの魔法使いに首尾よくのぼり詰め、王国に情報を流していた。
オフィーリアはその帝国宮廷お抱えの魔法使いの中で、「最強」の呼び名をほしいままにしていた才媛だった。しかし平民の出で、加えて孤児だったこともあり、ロクな後ろ盾もなく馬車馬のごとく働かされていて、なおかつ当人には不当な扱いを受けているという自覚すらなかった。
アルジャノンの、オフィーリアに対する感情は同情から始まった。「最強」と呼ばれながら、恐れられ、あるいは軽蔑されて、虐げられていたオフィーリア。階級主義が蔓延する帝国宮廷はオフィーリアを生かさず殺さず、利用するだけ利用して、都合が悪くなれば捨てるだろうことは、だれの目にも明らかだった。……オフィーリアを除いて。
そんなオフィーリアを王国に寝返らせることができれば、帝国の力を大いに削ぐことができる。アルジャノンもまた、帝国宮廷に跋扈する、狡猾な貴族たちとそう変わりはしなかった。オフィーリアに知恵をつけてやれば、彼女は帝国に失望するだろう。そういう打算を持って、アルジャノンはオフィーリアに近づいた。
帝国宮廷の魔法使いの中で、オフィーリアは一番若く、一番体が小さく、そして一番みすぼらしかった。……そして、一番無垢だった。
他者の懐に飛び入ることに長けていたアルジャノンの手にかかれば、世間知らずのオフィーリアなどひとたまりもなかった。それとなく情報を引き出すのも簡単だったが、最初に「そんな風に情報を話してはいけないよ」と諭せば、オフィーリアはすぐにアルジャノンを信用した様子だった。
だれからも顧みられないオフィーリアは孤独で、それでいて抑圧だけはされていた。それゆえに彼女から機密が流出するなどとは帝国宮廷は初め、考えてもいない様子だった。オフィーリアは、はた目から見ればおどろくほど従順な帝国臣民だったからだ。
けれども帝国宮廷も馬鹿ばかりの集まりでは決してない。じきにオフィーリアから機密が流出していることを突き止めた。しかし、アルジャノンら王国側がそのように帝国側が気づくよう、仕向けたのもたしかだった。オフィーリアを帝国から見限らせ、王国側へと寝返らせるためだ。
オフィーリアへ逮捕状が出たのを見計らい、アルジャノンは亡命を勧めた。スパイであるアルジャノン自身にも当局の手は迫っていたので、共に王国へ身を寄せようと提案すれば、オフィーリアは疑う余地も見せず、素直にうなずいてくれた。
そのころにはアルジャノンの中にあった、オフィーリアへの同情は、愛情へと変わっていた。
純粋に自分を慕ってくれる、歳下のオフィーリアと言葉を交わすことに、アルジャノンはいつからか安らぎを覚えるようになっていた。同時に、どうしようもない後ろめたさも。
スパイ失格だと何度も己を責めたが、それでもオフィーリアに対し、一度抱いた愛情の火は消せはしなかった。
「王国に逃れられれば、私たちにも未来はある」――その説得をオフィーリアが一も二もなく受け入れたのは、その言葉を口にしたアルジャノンが、本気だったことも大きいに違いなかった。アルジャノンは、オフィーリアが亡命を断っても、意地でも彼女を国外脱出させるつもりだった。オフィーリアを、愛していたから。愛してしまったから。
そんなふたりが結ばれたのは、無事、王国にたどり着いてからだった。もはやしがらみなどないとばかりに攻勢を仕かけたアルジャノンのアプローチに、オフィーリアが陥落するのはすぐだった。
アルジャノンがすぐにオフィーリアに告白をしたのは、彼女の人間関係が広がる前を狙っていたこともある。アルジャノンは決して無垢な人間ではない、狡猾な男だった。オフィーリアと違って。
けれども惚れた弱味だとか、惚れたほうが負けなどという言葉はまったくその通りで、オフィーリアを前にするとアルジャノンの狡猾さはまったく形なしとなる。アルジャノンはオフィーリアが今や好きで好きで好きで仕方がなくて、嫌われたくないから要らない嘘はつかなかったし、「カッコイイ男」でいるように努めていた。しかし、それらは今や完全に裏目に出ている。
オフィーリアが去った廊下を、いつまでもいつまでも見続けているアルジャノンはゾンビみたいだったし、そこにはもう「カッコイイ男」の面影などみじんもないのであった。
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