ソラの次は

ねこ沢ふたよ@書籍発売中

第1話 ソラの次は

 私の携帯には、昨日政子と交わしたメールが残っている。


 「美幸、就職おめでとう! 将来、自分の喫茶店開きたいって言っていたし、レストランへの転職は夢への第一歩だね!!」

 

 政子からのエール。

 政子は、私の幼馴染だ。

 私と政子と、それに政子と結婚した一平。幼稚園の頃からの幼馴染三人なのだ。


「ありがとう! 今度、一平と食べに来なよ!!」


 私は、そう返した。

 自分でそう送ったくせに、チクンと私の胸の奥の古い傷が痛む。


 ……私は、私を褒めてあげたい。


 三年前、政子と一平の結婚を、満面の笑みでお祝いした。だから、こうやって今でも政子とやり取り出来ている。友達を失わずにすんだ。


 政子と一平と私。幼馴染三人。仲の良い三人。学生の頃、政子も私も、優しいイケメンの一平に恋をした。そして、美人で積極的な政子と恋に奥手の私。政子と一平が結ばれて、私がお祝いすることになった。本当に自然な流れだった。


 三年前の政子と一平の結婚式のあの日。

 私に出来る精一杯は、幼馴染として笑顔で二人をお祝いすることだけ。

 まだ、一平へのくすぶる想いは正直あるけれど、私は、もうこの恋は諦めている。

 代わりと言っては変かもしれないが、今は夢に邁進しているのだ。


 そして本日、夢の第一歩としてここで働き始めた。


 最初に与えられた仕事は、ホールのウエイトレス。

 白いシャツに黒いパンツ。店のロゴの入ったギャルソンエプロンをして、先輩に教えてもらった通りに注文をとって料理を運ぶ。

 学生の頃に、ファミレスでバイトした経験があったから、仕事はそれほど苦労もなくこなせる。

 イタリア語の本格的な料理名は難しいけれど、自分の店を持つという将来の夢につながっていると思えば、やりがいは十分過ぎるくらいにある。

 

 熱心に取り組めば、教育係をしてくれた先輩にも、すごく褒められた。

 これ、私にむいている仕事かも。

 ゆくゆくは厨房も覚えて……。なんだか、広がる夢にワクワクしてくる。


 ドレミファソラシ……。


 ワクワクしてくると頭の中でいつも流れるメロディ。

 この歌って素敵だよね。ファはファイトのファでソは青い空、ラはラッパのラ。そして、シは幸せのシ。何気ない子供じみた歌だけれども、ファイト出して上向いて空を見れば、最後には、幸せのシが待っているのだ。

 頑張ろうって気になってくる。


 私は、幸せのシを目指して、今、頑張っているのだ。


 張り切って忙しくホールで働いていると、見覚えのある姿が目に入る。

 い、一平?


 ドキリとする胸。

 一平には、政子に遠慮して直接は言っていなかったけれど、ひょっとして、心配して様子を見に来てくれたのかも。

 私の脳裏に、政子の姿が、罪悪感と共にチラリと浮かぶ。

 少しぐらい。少しぐらい、ときめいても良いよね? だって一平は初恋の相手だもの。

 

 ちょっとドキドキしながら、一平のテーブルに近づけば、そこには、若い女性の姿。


 え、誰?


 黒い疑惑に怪訝な顔で、水を持って注文を取りに行けば、一平が目を見開く。


「一平?」

「みみみみみ美幸?? なんで? え、その恰好……ここで働いているの?」


 とんでもなく焦る一平。

 焦るよね。どうみてもデートだもの。

 フェミニンふんわりを意識したいでたちの若い女の子と、ラフだけど女子ウケを意識した、清潔感のあるシンプルなシャツの一平。二人きりで人気のお洒落なレストラン。


 まさか……浮気……? 一平が?


「誰よ?」

「あ、あの! 一平さんのお知り合いの方ですか? 私、春香っていいます!!」

「あなたには聞いていないの。一平、この女とどんな関係?」

「あ……えっと、妹!」

「は?」


 しどろもどろで誤魔化す一平。

 ほほう、幼馴染で両親の顔どころか、祖父母の顔まで知っている幼馴染に、その誤魔化がきくと思うのか? これは、相当焦っているな、一平。


 私が何年、お前と一緒にいると思っている? お前に妹がいないことは、とっくの昔に知っているんだ。

 怪しい。怪しすぎる。


「え……」


 誤魔化す一平に悲しそうな表情を浮かべる春香。

 そりゃ、そうだよね。

 たぶん、この子は一平とただならぬ関係。

 男が自分を妹だなんて知り合いに紹介すれば、そりゃあショックだよね。


 春香とは初対面だし、幼馴染の政子の気持ちを考えれば、『敵』なんだろうけれども、少し春香に同情する。

 そう、悪いのは、政子と結婚していながら春香とデートしている一平だ。 


「一平?」

「一平さん?」


 女二人の冷たい視線に、自分が最悪の返答をしたことに、一平は気づく。


「ま、間違えた!! 取引先の社長!!」

「え……」

「ふうん。社長ねえ」


 どうみても、二十代前半の春香。

 そんなわけあるか!! この若さだぞ? どんだけ新進気鋭のやり手社長だよ。


 青ざめている春香の顔から全てを察したわ。やっぱり浮気ね。

 この誤魔化しようから考えて……私の口から政子にバレるのを恐れているのね。

 ということは、一平は政子と別れるほどの気持ちはない。つまり、春香とは、遊び? え、最低。

 私の中で、初恋の幼馴染一平の株はブラックマンデーもリーマンショックも真っ青なくらいのレベルで大暴落する。

 さっきまでのトキメキどこいった。てか、返してくれ。私の貴重なトキメキの数々。


「美幸、頼むよ。政子には、ね。黙っていてよ」


 なんて最低に最低を上塗りするような頼み事。

 どうしよう。政子に連絡しようか迷うが、巻き込まれるのも困るし。

 チラリと一平の顔を見る。


 一平の顔面は、私の好みドストライクの顔。この顔で頼み事されると、昔から弱いのだ。この、子犬のようなクリクリの目が悪い。

 

 最低……だとしても、春香とは本気ではないなら、これを機に一平が浮気をやめてくれる可能性もあるのよね……。

 じゃあ、ここで一平を助けたとしても、政子を裏切ったことには、ならないよね?  


 しばらく考え込んで、私は、結論を出す。


 ここは黙っておこう。そうしよう。

 だって、厄介事は、なるべく避けたいじゃない。決して、一平の子犬のような瞳に負けたわけではないのだ。たぶん。

 

「一平。今回だけだからね」

「美幸! ありがとう! 助かる!」


 一平はホッとしているが、春香がワナワナと震えている。


「ちょっと、一平さん! どういうことですか? 政子さんとは、もう別れたも同然だって、離婚するって言っていたのに!!」


 一平よ……そんなこと言っていたんだ。


「春香、落ち着いて。違うんだよ」

「何が違うんですか!!」

「へえ? 何が違うの?」

「いや……その……」

「一平さん!! 私に何て言いました? 春香と出会って、幸せってことが初めて分かったって、初めてこんなに人を好きだって思えたって言ってくれたんですよ? 忘れたんですか?」


 うわ……。絵に描いたような浮気男の誘い文句。

 それを春香は心から信じていたってことか……。


 怒る春香を、一平が必死になってなだめている。


 こんな茶番に付き合っていられない。

 好きにやってくれ。

 冷たい視線を一平に向けて、私はカウンター奥に戻る。

 気分悪い。

 

 先輩に許可をとって、一旦休憩室へ。

 こんな嫌な気分で接客なんて出来ない。


 私は、休憩室で水を一杯飲んで、心を落ち着ける。


 休憩室に備え付けられたモニターを見れば、店内の様子が映っている。

 これは、休憩中の従業員でも店舗内のトラブルを把握できるようにするため。

 

 音声のない画像の隅で、一平と春香がずっと揉め続けている。


 浮気……か。


 政子が知ったらどうするだろう?

 強気で積極的な政子。

 政子、昔から、怒ったら怖いんだよね……。

 ブランコを横取りした男子に水をぶっかけたのは、幼稚園の頃でしょ。小学校では、いじめっ子をぶん殴って、先生にやり過ぎだって叱られたっけ。その叱った先生にも、政子は猛抗議して、結局先生が政子に謝った。あの時の先生の顔、血の気が引いて勘弁してくれって、半泣きだった。


 味方にすれば頼もしいけれども、敵に回せば、誰よりも怖いのが政子。


 一平が私に見つかったことを機に今日、政子にバレる前に浮気を止めてくれれば良いのだけれど、あの春香の様子をみていると揉めそうだな。

 

 幼馴染の三人。どうやら、大人になってもずっと仲良くとはいかないようだ。


 フウ……。


 私が深いため息をついたタイミングで、携帯が鳴る。

 政子からの電話だ。


 慌てて電話を取れば、明らかに不機嫌な政子の声が聞こえてくる。


「ねえ、そこにいるよね? 一平」


 政子の低い声。


「え……そう? そうなの?」


 私の声が上ずる。


「携帯の位置情報がさ……一平がその店にいるっていっているんだ」

「ほ、本当? あ、わぁ!! 本当だぁ。一平がいたわぁ」


 携帯の位置情報で裏を取られていれば、誤魔化しようがない。


「若い女と……一緒よね?」


 何か証拠を掴んでいるのだろうか。

 ズバリ言い当てる政子の言葉に私は、返答に困る。

 どう返答したらいい? はい、目の前にいます。春香って言う名前の女と。なんて、言えるわけがない。


「私、知っているのよ。一平が最近、仕事だって言いながら何をしているのか」


 政子の冷静な口調が逆に怖い。

 静かに静かに、ドロリと私を追い詰めてくる。


「名前は……春香って言ったかしら? 残業とか出張とか。男って馬鹿よねぇ。そんな嘘、洗濯物一つでバレバレなのに」

「せ、せせ洗濯物?」

「ええ。そうよ。出張帰りの洗濯物。普段丸めてぐちゃぐちゃにして持ってくるのに、折り畳まれいたら……それは、女が畳んだって分かるじゃない?」


 フフッと政子の小さな笑い声まで聞こえてきて、私は怯える。

 一平!! バレバレじゃないの!

 こんなのどうやって庇えば良いのよ!!


「春香って名前も、すぐに検討がついたわ。だって、一平のネット検索履歴! あいつ馬鹿だから、春香と自分で相性診断なんてしているの」


 一平の馬鹿! 何やっているんだあいつは!!

 政子は、確信しているのだ。一平が、このレストランへ春香と一緒に来ていることを。おそらく、あの馬鹿のことだから、レストランの検索履歴や、予約の痕跡でも残していたのだろう。


 コツコツコツ……政子の話し声の後ろに、ヒールの靴音が響く。


「ま、政子……お出かけ中?」

「うん。そっちへ向かっているわ」


 こ、こっちへ向かっている?


 今日こそ、その現場をおさえると意気込む政子。

 電話の向こうでコツコツと足早な靴音が響く。


「あ、ねえ。レストランだし、切れ味の良い包丁、使っているよね? それって借りられるのかな?」


 政子が、怖いことを言い出す。

 夫の浮気現場へ突撃する妻が、包丁を所望? それ、何に使うのかな?

 悪い未来しか見えない。怖すぎる。


「い、いいや。無理だし。包丁一本サラシに巻くくらいに、包丁というものはぁ、料理人の魂だから!!」


 何とか、何とか断る。


「お客様の使うナイフ一本でも良いんだけれど?」

「な、ナイフはぁ! お客様の魂だからぁ!! か、貸せないかなぁ!!」


 なんだよ! お客様の魂って!

 苦しすぎる言い訳。

 だけれども、初出勤の日に職場で知り合いの殺傷沙汰は困る。

 どうしよう……。


「そう……じゃあ、どうしようかしら」

「あ、先輩が呼んでるわ!! し、仕事に戻るね!!」


 これ以上話していれば、私の立場がドンドン悪くなる。

 一平の浮気のせいで、私まで政子に恨まれるのは、困る。かと言って、この状況で政子の味方をすれば、最悪、一平殺害の共犯者にさせられてしまいそうだ。


 とにかく、電話を一旦切る。

 い、一平に報告しなきゃ。


 休憩室を飛び出した私は、のん気に春香と話し合っている一平に、政子がこの店に向かっていることを報告する。

 一平と春香は、テーブルの上で手を取り合って……ふうん。これは、春香とも別れる気はなかったな。


 「誤解だよ、春香!」「そうなの? 一平さん!」てな感じに誤魔化して、仲直りするつもりだったな。ますます、最低だ。


 こっちは、政子との電話で冷や汗をかいていたというのに。何を楽しそうにしているのだ。誰のせいだと思っている。

 腹立ってきた! 私の初恋返してくれ!


「一平、政子がこっちへ向かっているわよ」

「ま、政子が?」

 

 一平が怯える。そうだよね、一平だって、政子が怒ったら怖いってことは知っている。知っているのにどうして浮気なんてしたのか。本当、分からない。


「丁度良いじゃないですか!! 一平さん! 私達のことを政子さんに話して、さっさと別れてもらいましょう!!」

「え? 春香?」

「だって、そうでしょ? 向こうから来てくれるって言うんですよ? 私達がどれほど愛し合っているか説明して、政子さんには身を引いてもらうほうが、みんな幸せになるんです!」


 政子のことをよく知らない春香が、愛を掲げて意気込む。

 逆鱗に飛び膝蹴り喰らった龍のごとくに怒り狂ったあの政子相手に、春香がどう挑もうというのか……。風車に向かうドン・キホーテのごとく無謀というものではないか。



「無理だって。てか、春香、黙っていろ。それどころではないってば」

「大丈夫です!! いざとなったら、こっちにだって考えがあるんです! 絶対負けません!!」

「いや、勝ち負けじゃないから」

「どうするのよ、一平!! あなたが悪いんだからね。こんな女と浮気して」

「こんな女ってなんですか? あなた、一平さんのご友人だそうですけれども、失礼じゃないですか!!」

「いや、そもそも既婚者に手を出す女は最低でしょ?」

「ちょっと順番が違っただけでしょう? 本当の恋って、止められないんです!!」


 この、脳内お花畑女め!!

 私だって、ドラマや小説の中のそういう不倫物は、切なくキュンキュンしながらみているが、それにはもっと葛藤とか情緒とか、必然があるだろうが。

 それがなかったら、ただのクズだ。


「ちょっと魔が差したんだって」

「魔ってなんですか!! 魔って!!」


 突然の修羅場の気配に、状況は混乱している。

 政子に怯える一平。間に挟まれて困る私。誤魔化す一平。怒る春香。


「政子がここに? 嘘だろ? やばいって!!」

「どうして、やばいんですか!! だって、政子さんとはもう冷え切った関係だったんでしょう?」

「平謝りに謝って、政子に許してもらうしか……いや、それも今は無理か?」

「謝る? 許してもらう? それ、一平さん、どういうことですか!!」

「春香は黙っていろ!! ああ、どうしたら良いんだよ!」

「それって、政子さんとは、別れる気がないってことですか?」


 涙目で、春香が一平を見つめる。

 一平が、自分を愛しているって、信じて疑わなかったのだろうな。

 さっきは、お花畑女呼ばわりしてしまったが、春香をお花畑状態にしてしまったのは、一平だ。

 一平がやっぱり最低だ。


「……」

「一平さん?」


 春香の声が震えている。

 ツウッと、一筋。春香の頬を流れた液体は、思ったよりも、とっても綺麗だった。


「ああ、そうだよ!! 俺は、政子と別れる気はない! だって考えてもみろよ。政子は、幼馴染だぜ? 政子と別れたら、俺は今までの人生を全部捨てるようなもんだろう? その……ちょっと考えれば、春香だって分かるだろう?」


 観念した一平の放った酷い言葉は、春香を奈落に突き落とすには、十分だったようだ。

 信じていた物を失って、みるみる青ざめる春香。

 春香にかける言葉が見当たらない。

 

「とにかく、政子がここに来るんだろう? 俺は、もう逃げるしか……」


 ピロリロ


 私の携帯が鳴る。メールが来たことを知らせたのだ。

 恐る恐る携帯をみれば、政子からのメールだった。


 「あと五分で着くから、逃げないように引き留めておいてね♡」


 あと……五分……。

 断頭台へ登る階段の前に突き出された気分だ。

 一平と私は、二人で政子からのメールを見て青ざめる。

 

「もう! もう、いいです! 全部終わりです!!」


 突然、春香が、そう言って店を飛び出していった。

 春香の大きな声に、店中の視線が、私と一平に注がれる。


 そう、ここは、ちょっとお洒落な静かなレストラン。

 そして、私の職場……。

 

「す、すみません! お騒がせいたしました」


 私は、慌てて周囲に頭を下げる。

 

「ふう……。やれやれ」


 一平が、そう言って席にもたれる。

 

「逃げないの?」

「春香がいないなら、別に焦らなくても良いだろ。適当に誤魔化せるさ」


 一平は、そう言って笑う。大好きだった一平の笑顔が、今はとても醜く見える。

 春香が去ったテーブル。二つのグラスが残っている。

 恋に純粋なだけな娘だったのかも。

 別の場面で会って話せば、案外楽しく話せる娘だったのかも。


「春香の分のグラス、片付けておいてよ」


 一平に言われて、春香のグラスを片付ける。

 一平はお客で、私は従業員だし。このグラスが元で、政子と一平が殺し合っても困る。ここで、一平と言い争う理由は、私にはない。


 ほとんど飲んでいなかったのだろう、水がいっぱいに入った春香のグラスの横に、小さな香水の瓶。

 春香のかな? これも……片付けるべきだよね。

 私は、まだ中に液体の入った瓶を、ギャルソンエプロンのポケットにしまう。

 次にもし会えたら、春香に返してあげたい。

 一平からでなく私から返して、「忘れなよ、あんなクズ男」って、言ってあげたい。


 春香がいた痕跡がテーブル席から消えていく。

 喉が渇いていたのだろう。

 すっかり春香の痕跡の消えたテーブルに安堵した一平は、自分の前の水を一気に飲み干した。


 ◇◇◇◇


 青空の綺麗な晴れた日に、私は、政子に呼ばれて、政子の家へ向かう。

 久しぶりの政子の家。

 あの日からしばらくは、政子も私も、忙しかったから、二人でゆっくり会うなんて、本当に久しぶりだ。


 洋菓子店で買ってきたのは、シュークリーム。

 政子は、お皿に移して、紅茶を入れてくれる。


「まさか、あの女が、私に飲ませるための毒をあの日に用意していたなんてね」


 不敵な笑いを浮かべる政子。

 警察の話によると、あの日、春香は、政子殺害の計画を一平と相談するつもりだったのだそうだ。それなのに、愛してくれていてるはずの恋人の一平のあの態度。

 絶望した春香は、一平のグラスに、政子のために用意した毒を入れたのだ。

 私が見つけたあの香水の瓶。あれは、毒薬が入っていた。

 

 刑事に私もしつこく尋問されて困ったけれども、春香が素直に自首してくれたから助かった。

 上機嫌の政子の口からハミングが漏れる。

 ハミングは、あの曲。

 ドレミファソラ……そうか。政子と一平と私。三人で小さな頃に、一緒に歌っていたんだっけ、この曲。

 幼馴染の三人。仲良しでいつも一緒にいた。それが、こんな風に、バラバラになるなんて、あの頃の私達は思いもよらなかった。

 ずっとずっと、仲良しの三人でいられると思っていた。


「お線香あげていい?」

「もちろん」


 私が火をつけた線香の煙は、政子のハミングと共に晴れ渡った空を昇っていく。


「ねえ、美幸。どうして、一平を庇おうと思ったの?」

「え……。どうしてかな。な、なんとなくかな」


 政子の言葉に、私は苦しい言い訳をする。

 政子は、そう……。といって、自分の紅茶を一口すする。

 緊張のせいか、喉か乾いてしまった私も、政子の淹れてくれた紅茶に口をつける。


「ド・レ・ミ……」


 政子がゆっくりと音階をきざみ始める。


「ファ・ソ・ラ……ねえ、美幸。ソラの次は何だと思う?」


 政子は笑顔。でも目は笑っていなかった。

 テーブルの上には、見覚えのある香水の空瓶が一つ。


 私が最期に目にしたのは、政子のとても綺麗な笑みだった。

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