第29話 次なる試練

 俺は大きく息を吸って言った。


「お、遅くなってすみません……」


 俺はそう言うと、それ以上テシリア嬢を見ていることができずにうつむいてしまった。


 数秒、実際は一秒くらいかもしれないが、俺にはとてつもなく長く感じる間があった。そして、テシリア嬢から返ってきたのは、


「本当に、どれだけ待たせれば気が済むのよ」

 と、いつもどおりの塩対応な答えだった。


(そうだよな……遅すぎるよな……)

 なんで、俺はあの時すぐにさらわれていくテシリア嬢を追わなかったのか。

 かなわないまでもあの魔物を討とうとしなかったのか。 

(本当に俺はだめな男だ……テシリア嬢の婚約者でいる資格なんてない……)

 俺は、情けなくてその場から逃げ出したい気持ちを必死で抑えた。


 その時、

「うふ……」

 という小さな笑い声が聴こえた。

(……?)

 不思議に思って俺は恐る恐る顔を上げた。

「嘘よ」

 テシリア嬢が優しく微笑んでいる。

「え……?」

 俺はそんなテシリア嬢の笑顔から視線を外せなくなった。

 そして、彼女は言った。


「来てくれてありがとう、ノッシュ」


 テシリア嬢が俺に向かって初めて、輝くような笑顔を見せて言ってくれた。

 しかも俺の名を呼んで。


「あ……あ……」

 俺は言葉が出てこなかった。


 テシリア嬢は輝く天使の笑顔のまま俺に手を差し出した。

 俺も彼女の手を取ろうと手を前に出したが、その手は情けないくらいに震えていた。

 そんな俺の手に、テシリア嬢はそっと自らの手をのせてくれた、眩しい笑顔とともに。


「随分と暑そうだなノッシュ、顔が真っ赤だぞ」

 いつの間にかそばに来ていたオルダに言われて、俺は自分の顔が火照ほてりまくっているのに気がついた。

「余計なことは言わないの、オルダ」

 母がたしなめるように言った。


「いえ……嬉しくて、その、テシリア嬢が天使のようで、まぶしくて……」

 と慌てた俺は、今しがた思っていたことをそのまま口に出して言ってしまった。


「「あらまぁーーーー♡」」

 母とアリナの声がシンクロする。


 すかさず、

「ななな、なんてこと言うのよ、いきなりみんなの前で!」

 と、今度はテシリア嬢が顔を真赤にして怒り出した。

「ごごご、ごめんなさい、思ってたことがそのまま……」

 もう、俺はオロオロするしかなかった。


「もう、ノッシュなんて大嫌いっ!」

 そう言って、テシリア嬢はプイッと横を向いてしまった。


 ノッシュなんて大嫌い―――


 大嫌い――― 


 大嫌い―――


 俺の頭の中でテシリア嬢の言葉がリフレインのように響いた。

 俺はその場でガクッと膝をつき、両手を床につけて項垂うなだれた。


「もうだめだ……」

 俺は口に出して言った。

「はいはい、そんなところで膝ついてないで行くわよ」

 と、母が俺の肩をポンポン叩きながら言った。

「でも……」

 俺はそのままの姿勢で顔を上げて言った。

(なんでそんなに普通にしていられるんだよーー)

 我が母親ながら残酷だなと思いながら、俺はゆっくりと立ち上がった。


「ところで魔王はどう?」

 魔王の様子を見ているマリルにアリナが聞いた。

「気を失ってるだけだな」

 魔王の手首や首筋に手を当てながらマリルが言った。

「まあ、こいつは殺しても死なんだろうからな」

「こ、殺しても死なない!?」

 俺が驚いて聞いた。

「ああ、多分首を切り落としても復活してしまうだろう、魔力さえ残っていればな」

 マリルが言った。


「首を切り落としても死なないって、とんでもないやつですね」

 俺が呆れて言った。

「ああ、とんでもなく鬱陶うっとうしいやつだ」

「そう、とんでもなく傲慢でね」

「とんでもないバカなのよ」

 マリルの言葉に、母とアリナが続けた。


(とんでもない言われようだ……)

 そこで、俺はさっきの魔王の攻撃のことを思い出した。

「さっきの魔王、俺に向かって魔術で攻撃しようとしたんですけど、だめでしたよね?」

「そりゃそうよ、結界を張ってたんだから」

 アリナが言った。


「それじゃ、なんで撃ってきたんでしょう?」

 だめだと分かっていて撃ってくるとは。一か八かという雰囲気にも見えなかったが。

「あいつがバカだからよ」

「傲慢だしね」

 アリナと母が容赦なく言った。

「自分には魔力無効化結界なんて効かないと根拠もなく思ってたんだろうな、バカで傲慢なやつだから」

 と、とどめにマリルが言った。


「では、こいつを封印してしまおう」

 倒れている魔王から目を上げてマリルが言った。

「よし、ノッシュ来い」

オルダが言った。

「はい」

 そして、魔王を持ちあげようと俺が頭を、オルダが脚を持った。

 フードの下の顔は浅黒く耳が長かった。


(エルフ……なのか?)


 そして、さっき魔物が出てきた穴に魔王を放り込むと、待ち構えていたマルクとアリナが穴の前に立った。

 マルクは手に札のようなものを数枚持っている。

 アリナが小さな声で何かを囁やき、持っている魔杖をかざすと、マルクの手の上の札が光りだした。


「あれは……?」

「封印の護符だ」

 オルダが教えてくれた。

 護符はマルクの手から浮き上がって、玉座の後ろの壁に張り付くように、水平等間隔に広がっていった。

 そして護符が形作った線の上下に光る壁が現れて穴をふさいでいった。


「これで三十年は保つかしら」

「だといいな」

 アリナの言葉にマルクが答えた。

「この前の護符は百年は保つって触れ込みだったんだが」

 父が言うと、

「粗悪品を掴まされちゃったわね」

 と、母がチクリと言った。


(三十年後……)

 そう考えながら、俺は無意識にテシリア嬢を見てしまった。


(三十年後は俺とテシリア嬢はどうなっているんだろう……)

 すると、俺の視線を感じたのかテシリア嬢は俺を見て、すぐにプイッとそっぽを向いてしまった。

(やっぱりまだ怒ってる……)


 他の皆は魔王の間を出ようと出口に向かい始めている。

 テシリア嬢は元いたところからほとんど動いていない。

 できることなら彼女と一緒に戻りたい。

 だが、さっきの「大嫌い」が効いていて足を踏み出すことができない。


(ええい、ままよ!)

 俺は平手打ちの二、三発は覚悟してテシリア嬢へ歩み寄った。

「あの……」

「なに?」

「そろそろ皆も帰るので……」

「そうね」

 俺は一呼吸入れた。

「い……一緒に行きま……しょう」


(来るか、平手打ち……!)


「いいわよ」

 テシリア嬢はサラッと言った。

 なので思わず俺は、

「いいんですか!?」

 と反射的に返してしまった。

「だからなんで聞き返すのよ!」

「ごめんなさい!きっといやだと思って」

「別に嫌じゃないわよ」

「でもさっき俺のこと大嫌いって……」

「大嫌いよ」

「う……」

「でも一緒に行くのは嫌じゃないわ」


 大嫌いなのに嫌じゃない。

 嫌じゃないけど大嫌い。


(一体どういうことなんだぁああーーーー!)


 すると後ろから小さな笑い声が聴こえてきた。

 見ると母とアリナが面白そうに笑っている。

 思わず俺は聞いた。

「あの、どうすれば……」

「自分で考えなさい」 

「しっかりね」

 というのが母とアリナの答えだった。


「で、どうするの?」

 やや苛立たしそうにテシリア嬢が言った。

「い、一緒に……帰りましょう」

 俺はなんとか言葉を絞り出していった。

「わかったわ」

 そう言ってテシリア嬢は俺の横に並んで歩き出した。


 帰りのダンジョンでは魔物には出くわさなかった。

 恐らく魔王が封印されてしまったので活動できないのだろう。


 俺とテシリア嬢は並んでダンジョンを歩いている。

(さっきの“大嫌いだけど嫌じゃない”のことを詳しく聞きたいけど……)

 中々うまく言葉が出てこない。

 結局、

「あの……体調は大丈夫ですか?」

「大丈夫よ」

 という話で終わってしまった。


 すると、

「もう少し何か必要ね」

「そうね、何がいいかしら?」

 と、後ろで母とアリナが話すのが聞こえてきた。

「お祭りみたいなことなんてどうかしら?」

「あら、いいわね」


(何の話だ……?)


 二人の話は続いている。

「そうよ、せっかく魔王を倒したんだもの!」

「お祝いをしなくちゃね!」

「パーティといえば……」

「やっぱり……」


(やっぱり?)


「「ダンスよね!!」」

 母とアリナの声がシンクロした。 

「「ダンス!?」」

 俺とテシリア嬢も、振り返りながら声をシンクロさせてしまった。


 そして俺とテシリア嬢は目を見合わせた。

 いつもならここで、テシリア嬢にキッ!と睨まれるところだ。


 たが、今回は違った。

 なんと、テシリア嬢は微笑んでいたのだ。

 しかも、ついさっき見せてくれたまばゆい天使の笑顔ではない。


 何かを企んでいるような不敵な笑顔、例えて言うなら悪役令嬢の笑みだ。


 こうして、俺の次なる試練が始まった。

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