スモーキング・シンドローム〜タバコを吸うほど強くなるヘビースモーカーのダンジョン攻略〜

あんぽんタソ

プロローグ

第1話 末期


「ご家族の方にお話があるのですが……」


「ゴホッ、ゴホッ、ヒュー、ヒュー、がぞぐはいばぜん家族はいません


 今日、初めて出会った医師は若く、苦しそうに咳を連発する男に真摯に向き合った。


 3週間前、男に伝えられた病名は『喘息』。男は処方された吸入薬を頼りに、激しい咳と嘔吐に耐えてきた。

 しかし、4日前、胸に激痛が走り、病院に駆け込んだのだ。レントゲン、CT、気管支鏡検査を受けて、今日、検査の結果を聞くために病院へやってきた。


「タバコ、まだ吸っていらっしゃるんですか?」

「ヒュー、ヒュー」


 男は医師から目を逸らし、苦し紛れに頷く。


常世田とこよださん。まずはタバコを辞めると約束してください。その上で重要なお話をさせて頂きます。約束できますか?」

「ヒュー、ヒュ――ゴボッ、ゴハッ! ゴホッ! ヒュー! ヒュー! 無理っ!」


 医師は困惑した表情で溜め息をつき、激しく咳を繰り返す男を哀れんだ。


常世田とこよださん。今の状況、ご自身ではどうお考えですか? タバコが原因なんですよ?」

「わがっでる! ゴボッ! 頼むから咳を止めてくれ! 胸が痛いっ! ゴホッ! ゴハッ!」


 医師はCT検査の結果を見ながら、決心した様子でこう告げた。


「肺癌です。タバコを辞めるなら、その痛みを和らげ、少しでも長く生きられるように尽力します。ですが、タバコを辞める気がないなら、治す気がないと判断します」


 男は、医師の言い回しから、自分の命があと僅かであると察した。それは医者から言われなくても何となくわかっていたことで、経験したことのない激しい痛みが、自分の寿命を知らせているのだと痛感していた。



 だからこそ、タバコが吸いたくなるのだ。



 タバコのパッケージに、こう書かれていたらタバコを吸うことを躊躇ためらっていたかもしれない。


『タバコを吸うと100%ニコチン依存症になります。あなたは毎日一箱以上のタバコを吸わなければ生きていけなくなり、やがて死に直結する病気を患うまでタバコを吸い続けるでしょう。そして激しい痛みに襲われてもタバコが辞められず、確実に寿命が縮みます』


 今でこそタバコのパッケージには、癌のリスクなどの記載があるが、昔はそんな警告はなかったのだ。

 警告が発せられた時には既に遅く、もうニコチン依存症になっていた。



 辞めた方がいいことなど百も承知だ。



 まるで自由に辞められるみたいに言うのはやめてくれ。



 この依存症がそれを許さないのだ。



 男の名は『常世田とこよだ龍泉りゅうせん』。44歳独身。5年前に精神を病んだ彼は、仕事を辞め、妻とも別れ、生活保護に頼って一人暮らしをしている。


 彼はもう4日寝ていなかった。咳と痛みで眠れないのだ。フラフラになりながら、薬局で痛み止めと咳止め、頼みの綱の吸入薬と抗がん剤を受け取る。


 吸入薬を使用すると、少し咳が治まった。


 この、ちょっとした環境の変化や、ホッと一息ついた時が、ニコチン依存症にとって喫煙欲求が最大に高まるツボなのだ。


 常世田はここぞとタバコに火をつける。


「ゴハッ! ゴボッ! ごえええ!」


 咳をしすぎると吐くという事を知っている人は少ない。胃に溜まった痰が猛烈な勢いで逆流してくるのだ。故に、上級者は痰は飲まないし、吐く前に薬を飲むことはしない。


「フーッ! フーッ! ふぅ〜、すぱー」


 医者に命に関わる忠告を受け、それでもタバコが美味いと感じるのは末期である。


 常世田は激しく咳を繰り返しながら、タバコをぷかぷかふかし、鮮やかな命の雫を吐き捨てる。


 自転車に跨って漕ぎ出すと、さっきまでの苦しみが嘘のように風に乗って去って行った。それは吸入薬と飲み薬による恩恵なのだが、彼には最も強い薬を処方した医師の救いの手が届いていなかった。



 常世田は真っ直ぐ走らせているつもりだが、それは明らかにフラついていた。


 歩行者用信号が点滅し、赤に変わるも、車道用の信号が青である内に渡れるであろうという思惑は、急に加速して右折してきた大型車には『信号無視の自転車』にしか見えなかった。



 常世田には見えた。



 大型車に『危』の表示板が。



 急ブレーキと共に内側のタイヤが宙に浮く瞬間が。



 普段は見えない車体の下側があらわになる。



 明らかに転倒したそれは、誰もが振り向く轟音を立てながら、常世田に向かって突っ込んできた。


 避ける間も無く常世田は巻き込まれる。しかし、そのスピードは大したことはなかった。


 常世田は転倒し、膝と肘を擦りむく軽傷を負った。


 ここまでは良かった。



 問題は臭いである。それはすぐさま『ガソリン』であるとわかる刺激だった。



 常世田は二つの事を同時に理解する。



 一つはトラックがタンクローリーであり、積荷のガソリンが漏れた事。



 もう一つは、自分の手に火のついたタバコが握られている事。




ドオオオオオオオオオオオオオン!




 その交差点には、盛大なキノコ雲が上がった。爆心地には、黒焦げのトラック、巻き込まれた他のクルマ、火傷を負った大勢の人たち、原型を留めていない自転車。


 常世田はそこから20メートル離れた花壇に仰向けになっていた。


 その亡骸は、タバコが好きだった彼にはピッタリの黒焦げで、口からは煙を吐き出していた。




完。



かん。



かかかかn


knnnんんん


ピーーーガガガガ




「ほう。これは逸材」




――――――――――



あとがき



これは現代ドラマの1話完結で終わるはずだった1人の男の数奇な人生。


単発を連載化するなんて初めてなので、作者が1番戸惑っております。


くれぐれも、タバコの吸いすぎにはご注意下さい。


応援やご意見、星評価などお待ちしております!



あんぽんタソ



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