上書きマザーコンプレックス

渡貫とゐち

前編


 魔王が統治する世界――楽園エデン


 無敵の魔王に、手傷を負わせたひとりの人間がいた。


 彼は魔王と敵対する長命のエルフの秘策によって生み出された勇者であり、彼を討つため魔王は力を振るい、勇者を爆殺した……かに思えたが。


 爆発四散した勇者は、自らの力を分割して世界に解き放った。

 魔王の追撃により、勇者の力を宿した【白い輝きを放つ欠片】はさらに増えて、およそ20000の数となり、世界へ散っていった――――



 それから世界には、多くの勇者が誕生することになる。


 無敵の魔王に傷を負わせられる貴重な存在……勇者。


 世界は、彼らを蔑ろにはできなかったのだ。





 ――現時点での世界の支配者。≪魔王シオン≫と人間の間に生まれた子を『魔人』と呼ぶ。半エルフの子供なら世界中にたくさんいるが、魔王の血を引いた半エルフの子供は少ない。その差別化のためにも、魔人という呼称は必要だったのだ。


 純粋なエルフのように長命とは言えないものの……それでも人間の倍は生きるのが魔人だ。魔王の子供としては後期になるだろう……赤毛の≪ジュニア≫、緑髪の≪マィルメイル≫、金髪の≪シャゴッド≫……特にこの三人は同時期に生まれ、魔王城で顔を合わせることも多かった。


 前期、中期に生まれた魔人たちは、腹違いの『きょうだい』とは誕生の時期が微妙にずれているので顔を合わせることも接することも少なかったが……、

 だから後期となる彼らは運が良かったのだ。


 ……だが、顔を合わせることが良いことばかり……ということでもない。特にひとりが特別扱いされていれば、周りは良くは思わないのだから――。

 赤毛の少年は、その名の通り魔王から人一倍の寵愛を受けていた。

 特別扱い――魔王の、≪ジュニア≫だ。



「おい、おまえ」

「ん?」


 振り返ったのは、十歳になったばかりの赤毛の少年だ。……彼は目つきが悪かった。魔王の血が濃いとは言え、魔王には似ていなかった……なので目つきの悪さは母親似なのだろう。


 前髪で目元を隠したキノコ頭の少年シャゴッドは、(理不尽ではない)理由はなかったが、彼を見つけてついつい声をかけていた。

 喧嘩腰なのはいつものことだった。彼に友好的に話しかける理由こそなかったのだから。


「……なんだよ。用事がないなら話しかけてくるなよ」

「どこに……」


 赤毛の少年の鋭い目つきに一瞬怯んだものの、シャゴッドは声を絞り出した。


「どこに、いくんだ――」

「魔王サマの部屋」

「っ」


「呼ばれてんだから無視するわけにもいかねえし。いくなって言われてもいくからな? いかずに怒られるのはオレだし……、オマエが怒られてくれるなら考えるけど」


 もちろん、いくな、とは言えなかった。魔王様が望んでいるなら彼を部屋まで送り届けるのが、魔人であるシャゴッドの役目ではあるものの……そこまで割り切ることはできなかった。

 嫉妬。羨望。大人であれば割り切れたかもしれないが、まだ十歳なのだ。私怨の感情優先で、気持ちを切り替えることはできなかった。


「もういいか?」

「…………ああ、いけよ」


 ――なんでおまえが魔王さまに気に入られるんだ、と聞きたかったが、それは魔王様にしか分からず、彼に聞いても分かるわけがなかった。

 彼が再三、愚痴を言っているのは知っているからだ。


 どうして自分を特別扱いするのか分からないから逆に怖い、と。……シャゴッドは羨ましがっているが、選ばれた当人にしか分からない悩みもあるのだろう。


 ……想像できないが。

 したくもなかったけれど。


(あいつばかりが……っっ)



「シャゴッド。こんなところで油売ってなにしてるわけぇ?」


 と、呂律が回っていないような声があった。……シャゴッドの母親である。

 彼と同じ金髪と、グラマラスだがだらしない格好の女性だ。色気があると言えばそうだが、野盗に服を引ん剝かれた後とも言える……紙一重の格好だった。

 彼女は酒に溺れて酔っているようで……というか、正常な時を見たことがなかった。酒があれば上機嫌。だけどなければ……、言わずもがなだった。


「酒、持ってこいっつったわよねえ?」

「……うん、すぐに」

「じゃあ早く持ってこい――遅れたらタコ殴りだかんね」


 実の子供に使う言葉ではない。……実の子供なのかも怪しいものだった。魔人である以上は魔王の子であることは確実だけど、この女の腹から生まれたという客観的な事実はない。

 書類がある? そんなものはいくらでも改竄できるのだから意味がない。見えているものが答えとは限らない。であれば、本当の親子であるかも疑わしい。


 それでも。


 この綺麗な金髪だけは、親譲りと言えた。


「(……嫌なところだけ似たなあ……)」


「走れよ、シャゴッド」

「はいはい」


 シャゴッドは逃げるように母親から距離を取った。

 行き先は酒が貯蔵されている場所だが……、酒ならなんでもいいわけではなく、世界中から集めた銘柄の中でも好みがあるらしいのだ。

 なのでキッチンの冷蔵庫を開ければ見つかるわけでもない。

 母親が好む酒の銘柄は分かっているので貯蔵部屋の番号も記憶しているが、在庫がなかったりするとまた面倒である。……魔王様に――でなくとも、関係者に聞けば取り寄せてもらえるが、最速ではない。つまり、母親からのタコ殴りは決定である。


「(まあ、いいけど)」


 慣れたものだった。

 男なのに髪が長いのは、顔の傷を隠すためであったのだが……今でもそれは変わっていないが……目を見られたくなかったからだ。


 親と目を合わせたくないから。


 前髪で壁を作った。


 ――母親と、壁を作ったのだ。



 母親が所望しているお酒はまだあった……が、そろそろなくなりそうだったので追加をお願いしなければいけなかった。


 シャゴッドはそのことを頭に入れておきながら、木箱に入った十数本の酒瓶を持って魔王城の地下から自室まで戻る。

 十歳が持ち運ぶにはだいぶ重いが、休憩を入れながらであれば不可能ではない。もっと楽に運べる魔法があるはずだけど、魔力を上手く操れないシャゴッドには魔法はまだ難しかった。

 ……今は体を動かすしかない。


 部屋に戻ると、喜んだ母親からタコ殴りは避けられたけど、思い切り顔を殴られた。一発、だったけど重たい一撃だった。酔っているので加減ができていないらしい。


「遅いっての。だがでかした――助かったよ、シャゴッド」


 感謝しているなら殴らないでほしかったけど、そういう常識が通用する相手ではなかった。……今に始まったことではない。シャゴッドは諦めて部屋を出ようとする。


「おぉいシャゴッドぉ……どこにいくんだよぉ……?」


 ベッドに腰かけ酒瓶片手に、自分の膝をぽんぽんと叩く母親が、シャゴッドを手招く。

 親子のスキンシップを求めているらしいが、優しい笑顔とこれまでのツンとは差があるデレに騙されて近づけば、おもちゃのように遊ばれるだけだ。


 タコ殴りにされた方がマシなくらいに容赦ない関節技を決められて……、シャゴッドが降参しても終わらない地獄が続いてしまう……。

 長命とは言え不死ではないのだ。人間よりは頑丈ではあるが、それでも痛いものを痛いと感じる感覚はある。


「どこ……、友達のところへいってくる」

「……あの赤毛の子かよぉ……」

「違う方だよ」

「緑髪の、女の子かぁ……うひっ」


 顔を真っ赤にした母親が下卑た笑みを見せた。


「今の内に唾つけときなよぉ……ひひっ、あんのかーあい子、どこ探したっていないんだかぁらぁさぅ――」


 と、前回分のお酒の酔いがまだ残っていたようで、追加で飲んだお酒のアルコールで一気に限界を迎えたらしい。

 酒瓶を持ったままごろんと寝転がる。大の字で気絶したように寝ている状態でも、酒を一滴もこぼさないところはさすがの酒豪だった。

 ぐがあ、と、女性とは思えない大きないびきだった。


「チッ……クソババアめ」


 母親が起きている時には絶対に言えない悪態を吐いて部屋を出る。

 ……行き先なんてどこでも良かった。ここでなければ――――どこでも。



 いくあてもなく、城内をうろうろしていたシャゴッドは、全体を二周ほどしたところでひとつの部屋から声を聞いた。……苦しんでいるような声だった。

 すぐに扉を開けたりはせず、しばし様子を見る……すると部屋の中から、ガタゴト、と物音がして、「だれか……」と、か細いが声が聞こえたので、一応ノックをして部屋の中へ。


「(どこかと思えば、この部屋はあいつの……っ)」


 ジュニアの部屋だった。


 つまり、部屋の中にいるのは彼の母親で――――



 綺麗な赤い髪が、床まで伸びている。


 細く、今にも折れてしまいそうな女性は、ベッドから落ちて床に倒れていた。

 色白どころか灰色に近い腕を伸ばしている……、女性はシャゴッドを見ているが、焦点は合っていないように見えて…………


「あ、ぃ……ジュニア……?」


「……違う……います。おれは……いや、ぼくは……」




 …続

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