傭兵ジェラニと最大の宝石・後編
私の名乗りは、広間の空気の中にかき消えた。
さもあろう、遠巻きに我らを見つめる人々の重ね着の礼装や肉そのものが音という音を柔らかく吸い込むのだから。
斯様に押し殺された沈黙の垂れこめる中、騎士と私は相対していた。
距離にしておおよそ五歩。
騎士は、私の
そして鈍く輝く
こちらから名乗り返せと促した訳でもないが、かの青年騎士には沈黙自体が挑発と映ったのだろう。
【――犬に名乗る名など無し! ゆくぞ!】
そうか、ならばよし。
【来い!】
私は曲刀を降ろし、構えを取る。
騎士は刃に殺意を乗せ、深く踏み込んだ。
屠るための剣である。
慣例では何合か打ち合うものであるが、その気はないらしい。
私は身をひるがえし、騎士の横へと回り込んだ。
続けざまに振るった一撃はガード付きの篭手で弾かれた。
金属音、そして刃が逸れる。
――が。
【ッ!!】
彼が寸前で軌道を変えたのは、私が手首をひらめかせて曲刀を斬り上げるのを察知したためだろう。
切っ先が弧を描き、一瞬前まで騎士の関節部があった位置を掠めていく。
ふむ、と私はうなる。
あれは儀典用の板金鎧でもなければ、持ち主もまた見栄えで選ばれてはいなさそうだ。
今度は騎士が回り込む軌道で間合いを取る。
その距離、四歩。
騎士は早々に勝負を決めるつもりであったようだ。
しかし勝負の行方は彼の逸る気持ちに応えず、小手調べに終わっている。
苛立った様子なのは、私が勝手の違う真似をするからであろう。
彼の修めた道場剣術に異郷の業に対応するメソッドはないらしい。
【蛮人が!】
恐悦至極。
憎しみの籠り具合からして、毛並みのいい者からの人物評としては最高に近い。
「嬉しいね。
【――獣風情が】
異国語ではあっても、言わんとすることは通じたようだ。
騎士は忌々しげに吐き捨てたが、しかし彼は先ほどのような突進戦法は採らなかった。
じり、と足をにじらせる。
おおよその練度、そして戦術は読めた。
私は架空の球体を思い浮かべる。
互いの必殺の間合いを示す、いびつな球を。
その界面が重なったならば、我らの運命は決する。
しかし私の中の冷え切った部分が、不意に
閃きというにはあまりに淡く、曖昧な手ごたえを手繰りよせ、私は視界の端で光るそれについて思索する。
騎士が姿を現す直前に放たれたもの――ナイフのことを。
端整で奇妙なつくりをしていた。
刃は水面のように磨かれ、柄は短い。
投擲用なのは明らかだったが、それ以外の意匠はまったく見慣れぬ様式だ。
柄頭から下がる細帯には金属の
私の知る限り、どの文化圏でも見ない様相の武具。
しかし経験上、この手の代物がどう機能するかは見当がつく。
(……礼を失する想定だ。これは一騎打ち、許されるのは白兵戦に限られる)
ならばこそ私はただ一刀にて相対しているのだ。
それをするならば前提が崩壊する。
けれども。
そのとき騎士の口元が微かに曲がった。
勝利を確信したが為の、わずかな隙であった。
バレたところで構わない、どうせ次の瞬間には死んでいるのだから。
そんな、明快な論理と確度による、節度の破れ。
しゃりん。
風切り音と涼やかな音色が耳元に迫る。
「――嗚呼」
私はため息とともに膝を折り、地面に曲刀を突き立てた。
詠唱、発動、そして……無音。
一呼吸を経て、金物のぽとりと落ちる音。
【……は?】
騎士の漏らした声が、ぽかんと宙に浮かぶ。
私はうんざりした気持ちを押して、背後を見た。
幾本もの奇妙なナイフが、私の足元のすぐそばに転がっている。
「風の魔術、複合って所か。動力と制御の二軸――騎士階級でありつつ魔術を修めてるとなりゃ、なるほど、ジジイの隠し玉なだけある」
【おま、お前、何を……いや、それは一体……!】
「俺ァよ」
わめきたてる騎士に再び向き直り、私は曲刀を手にして立ち上がった。
私の動作はのっそり、と形容できるほどに遅く、混乱のただなかにある騎士も思い至ったかのように再び剣を構えた。
しかし、剣先は震え、それは彼の歯の根がガチガチと合わずにいるためらしい。
「一騎打ちッつったから流儀を合わせてやったんだ」
だが、しかし。
私が無言のままにナイフを蹴って寄こしたことで、騎士はとうとうぎゅうっと両の目を瞑った。
差し迫る事態から、せめて意識だけでも逃したいのだろう。
「しかし、どうやら行儀の悪い真似もアリらしい。だったら、俺たちのやり方を通させてもらっても構わんよな? つまりは」
そう。
私は愛刀の切先を不埒な騎士もどきへ突き付ける。
刀身には黒い光がまとわりつき、刃は複雑な陰影を描いている。
「……なんでもアリ、って奴だ」
己が間合いの空間に在る魔力を中和し、我がものとする。
これは故国の
魔の力を当たり前に帯びた獣との戦いを宿命づけられた戦士達の血と知の結晶。
私が身につけた、剣戟の
手の中の曲刀を振るう。
化外の力を帯びた刃は、板金を紙のように、肉をバターのように裂きながら滑らかに通過した。
ややあって。
騎士然とした立ち姿がわずかに崩れる。
次いで肩口から胴にかけての直線から上の部分が、ずるりと地に落ちた。
【――御見事です】
それまで身をこごめていた司祭がすっくと立ち上がる。
幾重にも重なる装束を取り払うと、そこには一人の女があった。
いち早く保護していた老司祭は、今は安全な場所にとどめられている。
聖堂に寄こされたのは身代わりだ。
――そして、彼女にほどこした最大の迷彩でもあった。
【感謝いたします、ジェラニ】
フューリアが述べる。
私は数歩進み出でて、膝を折って臣下の礼をとる。
王冠の隣で、目にも鮮やかな彩色の大窓を背に、彼女はあでやかに微笑んでみせた。
勝負は決した。
ポーリエルもまた、傭兵団の追跡によりほどなくして捕縛される。
フューリア姫と彼女に付き従う家臣団の前にまみえたのは首だけだったという。
「――俺ら、五体満足で引っ立てましたよね?」
「そうだなァ」
馬上の団長は、あくまでのんびりとした語調で部下の疑問を受け止めた。
彼らのやり取りを苦笑交じりに補足したのは副団長だ。
「小国ゆえだろう。法典の順守より、筋や義理が優先される」
風土というものだろう。
外つ国の者が善悪を断じるべき物事でもない。
重要なのは、彼女はそこに立ち続ける決心を固めたということだ。
我らは小国をあとにし、帰途につく最中である。
傭兵団の助力は契約によるもの、報酬ありきの行いだ。
いつまでも逗留するのは双方にとって具合が悪い。
よって、仕切り直された戴冠式のどさくさに件の小国を出立した形だ。
ここが仕事の切り上げ時だろう。
一行が高台に出た折、足を止めて振り返った。
小国の城下町は今や遠く、小さく、精緻な細工物を思わせる。
私はひととき、この数日の出来事に思いを馳せることを自分に許した。
姫君の逃避行と冒険を。
そして、彼女との最後の邂逅を思い返すことも。
――新女王フューリアがバルコニーに姿を現した。
詰めかけた民のざわめきが止み、あたりがしんと静まる。
彼女はこれから一種の説得を行わねばならない。
即位にあたっての経緯、ならびに国家の行く末をどう形作っていくのかの表明で。
フューリアは恐怖でも、金子でもなく、ただ語りの力によって民の心を一つにすることを選んだ。
これが今後、女王の人生に幾度となく降りかかるであろう困難の、最初のひとつとなろう。
フューリアの視線がほんのわずかに
彼女の瞳が、物悲しい夢を見た子供のような、親とはぐれた獣の仔のような、寄る辺なさを浮かべる。
そして、地上にひしめく群衆の一部となっていた私をひたと見つめた。
女は瞬きをする。
瞼を飾るサフランと雲母が陽光で照り輝いた。
再び見開かれた瞳からは、すっかり迷いが吹き払われている。
一呼吸にも満たない間の羽化だった。
私は踵を返す。
もはやこの土地で私がするべきことは何もない。
群衆が再びざわめきだす――彼女の頭上で輝くべき冠の宝珠が失われていることに気づいたのだろう――最中を、人波に逆らい私はゆく。
女王の演説が朗々と始まるのを背に、私と、そして傭兵団はかの国を後にした。
――暖かな微風が額を撫ぜる。
気づけば、傭兵団の皆が眼下の国を眺めていた。
足を止めた私に倣ったらしい。
「お姫さん、約束を守ったな」
「ああ。ジジイを引っ張ってったその場で冠から宝珠を外せって命じてたよなアレ」
「現物手渡しだもんなあ……とっ払いっつうにはあまりに剛毅だ」
「なあ団長! そろそろ国境も超える頃合いだ。例の宝石をちっとくらい見せてくれても良いだろ?」
「なんだお前ら、そんなに拝みてえの? しょうがねえな~」
応じる団長もまた、声を弾ませていそいそと懐からハンカチ包みを取り出した。
分厚い掌の上で、真白い布がはらりと開かれる。
現れたのは家禽の卵ほどの宝珠だ。
わずかに灰がかった乳白色を透かし、すんなりとした午前の陽が虹色に弾ける。
「すっげえ……」
「売ったら幾らぐらいだろうな?」「さてな」
「山分けしても十年は遊んで暮らせるだろうよ」
「だったら俺は宿屋を開くぜ! 夢だったんだ」
「じゃあ俺は道具屋やろうかな」
「おいおいそんな一気に面子が抜けたら俺が寂しいじゃねえかよォ!」
団長が嘆いてみせたのを契機に、一行がどっと湧いた。
私はそんな彼へ歩み寄ると片手を差し出す。
「貸してくれ」
「ん? ああ……ジェラニ、お前ならいいか。正規兵なら勲章モンの働きだったもんな」
団長からハンカチごと放られた宝珠を再び丁寧に包み、しばし地面に視線を巡らせる。
――あの辺りならよさそうだ。
西向きに一歩半だけ移動し、そして、私はちょうど足元に露出している石にハンカチ包みを叩きつけた。
「「「「あああーッ!!!!!」」」」
「ジェラ、ジェラニ、おまえ……!」
「なんなんなんなんでそんな真似を!」
「俺の十年!」「宿屋!」「酒池肉林の夢が!!!」
「こんなデケエ
「だけどもさ!!!」「あーあーあー……三つに割れてら! 大・中・小の石の詰め合わせだ!」
「匂いくらい嗅がせてくれても良かったじゃんかよお」
「なあこれ、ナンボで売れるかね」
「希少鉱物ではあっからな。まあ……素材代は取れるだろ。ま、ほうぼうのツケを払って、後は諸経費に手前ェらの給料分でトントンって所か」
副団長の見解を受け、一同は娘御のような悲鳴をあげる。
「最大の宝石がァ!」
「俺、もしかして幻を見てた???」「現実だよッ! 残念ながら……」
「騒ぐんじゃねえ! ジェラニが手を出さなきゃ俺がやっていたさ。こんな危うい代物、扱いを間違えば厄ネタになりかねねえ」
「――そりゃそうだけどよォ~、俺はもう少し浸ってたかったぜ。カプラルもジェラニも賢すぎていけねえ」
いまや三つの石くれを包み込んでいるハンカチを手渡された団長が口惜し気に呟く。
そんな様子を眺めていた副団長が腕組みしたまま重々しく告げた。
「手前ェがそんなんだから俺は猜疑心の塊になったのさ……これに懲りたら今後はツケを溜め込むんじゃねえぞ。さて、宿場町まではまだかかる。日没までには着けるよう、巻きで行くぞ。ほら散った散った!」
どやしつけられた一同がもとの隊列を組みなおし始める。
横を通る同僚が、若干の驚きをみせたことで、私は自身が破顔の笑みを浮かべていたのに気づいた。
晴れ渡る空の下、私はふと故郷の歌を口ずさもうと思い立つ。
街道は曲がりくねりながら、どこまでものびやかに続いていた。
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