第35話 腹に染み入る酒と肉

 温かい。

 今はこの温度がなによりのご馳走だった。


 俺はちょっと泣けるくらいの気分で湯気の立つスープを口に運んでいる。

 雨に打たれて冷え切った身体に染み入るようだ。


 晴れた空の下、俺たちは心からのもてなしを受けている。

 ポハードカ村のささやかな広場に村人が詰めかけていた。

 ありったけのテーブルを持ち出し、次々に料理が運ばれてくる。


 村長はこの宴のために家畜を潰して提供してくれた。

 肉が自らの脂でこんがりと焼き上がり、食欲をくすぐる芳香が俺の鼻にも届く。


 村民の喜びようと言ったらない。

 厄介な蛙たちが一掃されたのだ、無理もないことだった。


 これは後からミロスラフに聞いたことだが、魔物が発生する瘴気の源は、木や岩のような依り代を必要とするらしい。

 今回鐘楼蛙ベルフリー・フロッグを作り出していたのは湖底に沈むとある丸石だったそうだ。


 討伐後にミロスラフが水中に潜り、そいつを割っている。

 これで二度と魔物が発生することはないだろうということだ。


 当の勇者ミロスラフはといえば、人々に取り囲まれていた。


「本当になんの謝礼もしなくていいんですか……?」


「ええ。僕らの都合でやったことですから」


 村民たちは感嘆したようにため息をついている。

 それはそうだろう。

 本来は高額な討伐代を請求されるような事案だ。


 けれども俺たちは、彼らへの対価は求めないことに決めた。

 もともと、自分たちの拠点となる場所を防衛したのだから当然だ。


 それに、報酬ならば商業ギルドから前払いを受けている。

 魔王一柱分の報酬の理由がなのだろう。

 冒険者ギルドとの対立必至な分、色を付けたといったところか。


 俺の目の前を小さな人影が横切った。

 シュカだ。

 焼肉の刺さった串をかじりながら、いつものように空を眺めている。

 例の大気の精霊とやらと対話しているのだろうか? 


 シュカはおもむろに視線を下げると、肉汁で汚れた指先をエプロンで拭こうとしている。

 俺は声をかけた。


「シュカ、せっかくおめかししたのに勿体ないよ。こっちおいで」


「おーいトマーシュ~! とっときの麦酒を村長さんが振る舞ってくれたよ!」


 ハンカチでシュカの手元を拭いてやっていると、今度はカミルが両手に酒杯を持ってやってきた。

 そして、急に足を止めると、俺とシュカの顔を見比べて何やら絶句している。


「なんだよカミル」


「えー……? いや、その子ってシュカ?」


「もう酔ってるのか?」


 どこからどう見てもそうだろう。

 いぶかしむ俺の隣にカミルが腰かける。


「なんでエプロンドレス着てるの」


「郊外のご夫婦がいたろ? 嫁いだ娘さんのおさがりだってさ」


 淡い桃色の服地にクリーム色の花を刺繍した、丁寧な手仕事の服だった。

 ふんわりとしたスカートに、仕立てた人物の愛情がうかがえるような。


 もつれた髪にも今日ばかりは丁寧にくしが通されて、リボンまで結んである。


「そういう話をしたいんじゃないんだよ。なんで……なんか……え? シュカって女の子?」


「気付いてなかったのかよ!」


 どこからどう見ても女の子だったよなあ。


「失敬な奴め。なあ~シュカ?」


「シッケイ?」


「もしくは野暮」


「ヤボ」


「子供に変なことを吹きこむのはよせ!」


 ぶすくれたカミルが俺に麦酒を満たした杯を押し付けた。


「それはさておき。あの雨雲を晴らしたのがシュカっていうのは本当かい?」


「そうだよ」


 シュカが肯いている。


「大気の精霊だっけ?」


「大気の精霊~!?」


 俺の補足にカミルがデカい声を発する。

 正直うるさい。


「本当に大気って言ったの?」


「確か……そのはず……」


 俺がシュカの顔色をうかがうと、彼女は「それがどうした」と言わんばかりの様子で肉をかじっている。


「因みに大気の精霊と子供が交信するとなにかマズいことでもあるのか?」


「マズかない。意味合いとしては『ヤバい』の方が適切か。普通ねえ、熟達した精霊術士がやっと一言交わせるかどうかの格じゃなかったっけ?」


「えっそうなの?」


 ふたたびシュカを見る。

 ベンチから滑り降りて顔見知りの方へ歩いて行ってしまった。


「自由だなあ」


「まあ、子供だからね」


 カミルと俺はそれを眺めながら、しばし麦酒を無言で飲む。


「シュカの居場所も、守っていかないとね」


 カミルがぽつりと言う。

 俺は肯いた。


「ま、ミロスラフの意向でもあるしな」


「そうだね」


「今後の課題は主に二点な訳だが」


「もう仕事の話かい」


 そう言うカミルも、それ以上は茶化さずに話を聞く体勢になってくれる。


「まず一点、シュカの居場所づくり」


「そうだね。村人全員が育ての親で家族のようなものだけど、どうしても一か所の家には居付かないみたいだ」


「ああ。それに実際の所、ポハードカ村の現状ではどこかの家で孤児一人の世話を全て引き受けるのは大変すぎる、という事情もあるらしい」


 負担を少しずつ分け合う形だから、今の関係で上手くいっている側面はありそうなのだ。


「で、二点目。ギルド間の力関係について」


「あ~……これまた面倒な奴だ。冒険者ギルドと商業ギルドで利害がかち合ってたものな」


「それもミロスラフが――ええと、瘴気の発生源の丸岩だっけか? を、破壊したので冒険者ギルド側の利益は失せた訳だが」


「なら万々歳じゃないか」


 俺は否のジェスチャーを返す。


「ところがそうも行かない。今のままだと冒険者ギルドは最高戦力まで送り込んで見事に勇者一行に狙いを阻止された形になる。面子は丸つぶれ、しかもスナーフ一行は一般人を危険に晒したやらかし付き」


「それはさあ、向こうの責任じゃん?」


「まあね。ただ、出来事の全てをつまびらかにすると向こうも引くに引けなくなる。最悪、抗争沙汰だ」


 カミルが息を呑む。


「でもって、面子の話といえば商業ギルド側も関わって来る」


「げ」


 いい反応をどうも。

 俺は麦酒で一旦のどを潤してから話を続ける。


「今の勇者一行は、商業ギルドにいささか依存し過ぎている」


 資金供与の件が大きい。

 さらに言えば村の廃劇場を拠点建築の候補地として提供されたという事実もある。


「第三者からしてみれば、勇者ミロスラフは商業ギルドの手先になったと目されても致し方ないだろうな」


「……どうする?」


「俺としては、概ね方針は固まっている。一旦この件は預けて貰えるように後でミロスラフにも話すつもりだ」


「まあ、ミロスラフは文句はないだろうけど」


 そう言うカミル、お前はどうだ? という意味合いを込めて目くばせする。

 カミルは苦笑して「ぼくも異論はなし」と返した。


「ミロスラフのお陰で、いい落としどころも見つかったしな」


「ふーん?」


「まあ、悪いようにはならないさ」


 やっと人垣から抜け出したミロスラフがこちらへ駆けてくる。


「トマーシュ、なんの話をしてたんだい?」


「なに、ちょっと野暮な話をね」


 俺が手を振り返しながら答えると、ミロスラフは首を傾げている。


 でもって、ちょっと更なる野暮用もできた。

 俺は彼らに離席を告げると、人垣の間からちらりと見えた後ろ姿達を追う。


「――くしゃん!」


 スナーフ達A級冒険者一行は、声もなく村境へ向かっていた。

 ガリヴに背負われているスナーフのくしゃみがここまで聞こえる。


 声をかけようと思ったが、やめておいた。


 彼らには彼らの矜持がある。

 また会う日もあるだろう、それまでお大事に。

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