第29話 羽なし蛙が空を飛ぶ

 夜が明ける頃には長雨も止んでいた。

 朝になって外に出てみれば、周囲の景色は一変している。

 老夫婦の家はやや高台に建っているのだが、そこが今では岸辺となっている。


 湖の周囲を取り巻いていた沼や湿地帯から水があふれ出したのだろう。

 それらは今や一塊となり、遠浅の巨大な水場に変わっていた。

 村境を示す棒杭がほとりにほど近い水面に突っ立っている。


 その向こう側に、廃劇場があった。


 石造りの建造物が半ば水没し、山々を背負ってそびえ立っている。

 そんな景色が水鏡に反転している様子は、船のようにも、島のようにも見えた。


「これじゃあ雨の日は居られないよね」


 カミルの呟きに、無言のまま肯き返す。

 俺たちの視線の先では、件の廃劇場の先住者であった孤児、シュカが沼蛙で遊んでいた。


 のっそりと岸辺に上がる蛙を黙々と追い、時につつき、持ち上げては水面目掛けてブン投げる。


 ぼちゃんと水音がするのと共にぱっとしない水柱が立った。

 澄んだ水をすいすいと泳ぐ沼蛙の影が着水地点から遠ざかっていく。


「のどかだなあ」


 そうねえ。


「昼過ぎには水も引いてるらしいし、戻る準備を始めないとな」


「土砂崩れがちょっと怖いけど、まあ現地まで行ってみるしかないね」


 またあの山道を戻るのか、と内心でげんなりしつつ算段をつける。

 きらめく湖面を眺めながら喋っていると妙にのんびりした気分になるが、まあここにも仕事で来ているのだ。

 問題点はあらかた把握できたし、王都に持ち帰った上で勇者一行の全員を交えての話し合いを――。


 と、頭の中で段取りを組んでいた時のことだ。


 岸辺に屈みこんで泥団子を作っていたシュカが、ふと顔を上げた。

 つられて見つめる先に視線をやる。


 小舟? なのだろうか。


 ありふれた船よりは、木の葉を折りたたんで作る子供の遊び道具の方が見た目が近い。

 そんな奇妙な形状のが湖面を切り裂くように移動していた。

 船上にはいくつかの人影も見える。


「乗員は……一、二、……四人か」


 手を庇のように掲げたカミルが言った。

 木の葉船は山間の方角から大きく弧を描き、こちらへ近付いてくる。


「あれなに?」


 シュカが聞く。

 カミルも俺も「……知らない」「……わからない」と答えるしかなかった。


◇◇◇


 岸に上がったブーツが濡れた草を踏みしめ、ぐじゃりと鳴っている。

 乗員たちが船上を歩くたび、揺れる木の葉船はがらんがらんと音を立てた。


 下船した面々はどれも見知らぬ顔だった。

 が、彼ら彼女らの身分は明らかだ。


 なんせ全員が冒険者徽章を身に着けている。

 素人の俺は咄嗟に見分けられなかったが、カミルがぼそりと呟く。


「A級冒険者かあ」


 そうなのか。


「へえ、あの人たちが」


「冒険者ギルドの管理する位階のなかじゃ一番上にあたるね」


「手練れだなあ。……いや、そんな面々が何をしに来たんだ?」


 カミルが首をかしげる。

 素人の俺は当然のこと、カミルもまた専業冒険者ではない。

 冒険者稼業には疎い面々しかこの場に居ない。


「そういやカミルって何級なんだ?」


「C」


「思ったより……」


「なんだよ」


「いや別に~?」


 俺らがじゃれ合っていると、すれ違いざまにぷっと噴き出す者がある。


「C、ね。――あいや失礼」


 冒険者一行の先頭を行く青年によるものだ。

 ずいぶんと割り込み方をする御仁だ。


 両眼を覆う保護メガネゴーグルの色レンズ越しだと表情がうかがいづらい。

 確かなのは口元が笑みで歪んでいることだ。


「勇者のお仲間だろうに、随分と、ふふ」


「勇者サマも変わってるよね~。ウチらからしたら背中を預けるのは同格からよ。じゃなきゃ怖くて怖くてさァ」


 ゴーグル青年の次に降りてきた小柄な人物が愉快げに喋る。

 小鳥のような高く細い声――女性か。


 見た目から性別が類推できないのは、黄色を基調とした不可思議なみのを目深に被っているためだ。

 黄色のモケモケで上半身からひざ下までが覆われているから体格すら曖昧である。


「いやあ、実力を隠されているのでは? やはり『S』に付き従う立場ともなると名誉欲から解放されるのでしょうかね?」


 カミルの様子をちらりと窺う。


(……だよなあ)


 案の定、彼はピリついた表情を隠していない。

 下手な騒ぎになる前に場をおさめようと思い、俺は両者の間に割って入る。


「やあどうも! カミルのことはご存じのようで。俺は――」


「あなたの事も一応は存じ上げていますよ。確かウチのギルドに融資を申し込みにいらっしゃっていた」


「金庫番だっけ? 支部長さんに追っ払われてた、さ」


 スナーフと呼ばれたゴーグル青年と黄色蓑の女性が顔を見合わせて笑う。

 その背後を泥染め色の軽装を着こんだ女性とがっちりした体格の青年が通り過ぎて行った。


 めいめいが防具に身を固め、武器を携えている。

 どう考えても仕事中か、さもなくば仕事明けのいでたちであった。


 彼らがこの場に現れた理由はさておき、だ。

 これ以上絡まれるのもごめんである。


 とりあえず屋内に引っ込むか。

 そう思って振り向くと、丘の向こうから何者かがどかどかと足音を立てて駆け寄ってくるのだった。


「遅いよ!」


「荷物持ちは前乗りしておくのが常識だからね!」


 ふうふう言いながら駆けつけてきたのは赤ら顔の巨漢だった。

 というか、彼は……。


「――冒険者ギルドのバカ三号!」


「その名前で呼ぶんじゃねえ! そういうテメーは……いや、誰だ?」


「あの場でバカ一号もしくは二号呼ばわりされてたクチだよ。名はトマーシュ。君は?」


「へえ……、俺はガリヴだ」


「こっちの巻き添えでバカ呼ばわりさせちゃって悪かったね」


 俺が頭を下げると、バカ三号改めガリヴはやや驚いたように礼を返そうと――。

 したところで背後から膝裏を押された。


「ぎゃっ!」


「はい、フラフラしない」


 濡れた地面に膝をくガリヴ。

 入れ代わりに立ち上がる色付きゴーグルが何でもないような調子で言った。

 黄色のモケモケがゴーグルの行動の理由を補足している。


「いたずらに頭を下げるなってことだよ。冒険者を続けるなら、格を保つのは大事だもん」


「役人じゃあるまいし、軽い頭を振り回すのは感心しないよ」


 今度はカミルが気まずい表情で俺を見上げる番だった。

 俺は肩をすくめて返すにとどめる。

 現に下級役人の頭はペコペコするために付いてるようなものだ。


 俺のあまりのプライドのなさを目の当たりにしたカミルは、呆れたように視線を巡らせるとやれやれと首を振っている。


 そんな俺たちをよそに、ゴーグル青年率いる冒険者一行はその場の後始末を済ませていた。

 木の葉船はぱたぱたと畳まれ、あれよあれよという間に一枚の板に変わる。

 それに紐をからげてガリヴが背負うと、一行は彼の両腕に荷物を次々と手渡していた。


 身軽な四人と、大荷物を抱えたガリヴが慌ただしく立ち去って行く。


 カミルは連中の背中をしばし睨みつけ、姿を消してから大きな大きなため息をついた。


「シュカ、それ貸して」


 我関せずの顔で遊んでいた子供から、ひときわ肥った沼蛙を受け取っている。

 カミルはそいつを両手で振りかぶり力の限りブン投げた。


 蛙は美しい放物線を描いて宙を舞い、棒杭のはるか向こうへ――。


「ばしゃーん!」


 着水。

 何事もなかったかのように悠然と泳ぎ去る蛙の影と、歓声を上げるシュカ。


「おお、新記録」


「よぅし、とっとと情報収集して王都に戻ろう!」


 カミルが踵を返して屋内へ引っ込んでいった。

 多少は気が晴れたのなら何よりだ。

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