第19話 事態は繰り返され、韻も踏む

「ふあ……」


 思わず大あくびが漏れる。

 珍しく定刻での帰宅がかなった夕方である。


 夕飯も早々に終わらせた。

 今は長椅子に寝転がり、腹がこなれるのを待っているところだ。


 開け放した窓からは暮れなずむ空が見えた。

 そよそよと吹きこむすずしい風に乗って近隣の家々の煮炊きする物音と匂いが届く。


 いい気分だった。

 日課は既に片付いて、陽が落ちるまでにはまだ猶予がある。


「……」


 ……ふと思い出してしまった。

 隣家のおかみさんがぼやいていた内容を。


 俺は長椅子から起き上がり、目当ての道具を取りに向かった。




 じゃこっ


 長柄の円匙スコップに足をかけて力をかけると、先端が小気味のいい音と共に重たい泥の層に突き刺さる。

 掬ったヘドロを排水溝の脇に投げ、ふたたび泥かきへ戻る。


 俺は今、家々の裏手に張り巡らされた露天式の排水溝にいる。

 溝の壁面には一定間隔――おおよそ、家一軒につき一つ――で複雑な文様が彫られていた。


 水質を浄化するためのまじないだ。

 こいつのおかげで都市の悪臭問題が解決したという有難い代物である。

 ……が、郊外の浄化呪は年数の経過に従って凹凸がすり減り、一部で効果が薄れつつあった。


 我が家の建つ一角も例にもれずヘドロが溜まりやすくなっている。


 貴族の住まう区画は象嵌式だったんだが。

 あれは半永久的にまじないが劣化しないので手入れいらずだ。


「悪いねえトマーシュさん」


「いやあ、この手の作業はちゃっちゃと済ませてしまうに限りますから」


 隣家の裏口から、おかみさんが前掛けで手を拭きながら現れる。

 ヘドロ掻きは脚の悪い彼女には難しい作業だ。

 なので、自宅のついでに隣家も済ませてしまうことにしている。


「あんたには感謝してるんだよ、物腰は丁寧だし、よく働くし、優しいし……。ウチの娘婿にも見習ってほしいよ!」


 おかみさんは感服した様子で俺を誉めそやしてくれている。

 しかし、『優しい』ときたか。

 有難い半面、随分と誤解されちまってるな、とも思う。


 俺の趣味は整理整頓である。

 ただ、自分の家や机さえ整っていれば気が済むというものではなかった。


 排水溝が詰まればヘドロを掻きだす。

 同僚や後輩が捌ける以上の仕事を振られていたら可能な範囲で巻き取る。


 別に善意からではない。

 単に俺自身が我慢ならないからだ。


 あるべきところにあるべきものが収まっていることは俺を安心させた。

 逆に問題が問題のまま転がされていると、なんだ、非常にイライラする。


 その点で言えばミロスラフ、ならびに彼の周辺は、うず高く積み重なったゴタゴタした問題の塊だった。

 見ていて非常に落ち着かない。

 あとはまあ、友人の先行きを不安視する気持ちもちょっとはあるが……。


 そのうえ調べても調べても先行きが気にかかる情報ばかりが引っかかる。


 大叔母から聞かせてもらった勇者ヘルベルトの顛末にしても、だ。

 ミロスラフが同じ轍を踏まないかが非常に不安だ。

 というか、十中八九、同じパターンで泥沼にハマるのが目に見えていた。


「金融教育でもするか……?」


 それもなんだか本質的な話ではない気がする。


 まずは魔王討伐から無事に帰還することを祈るほかない。

 その後は……たまにはこちらから声をかけるか。


 考えがまとまった頃にはヘドロもあらかた掻き出せていた。

 俺は手早く後始末を済ませ、スコップを片手に家へと戻っていった。


◇◇◇


 その後、ミロスラフたちの動向はいくらも経たないうちに知った。

 魔王『万象記録官ディアルター』をミロスラフたちが討伐したとの報せが国内を駆け巡ったからだ。




 ――ぱかん


 開栓音、次いで歓声が路地裏から聞こえる。

 覗き込むと、わざわざテーブルを外に出してまで飲み明かす人々の姿があった。


 乗合馬車から降りて、自宅へ足を向けてから程なくのことだ。

 住民たちによる自発的などんちゃん騒ぎが行われているのは郊外でも同じらしい。


 俺はつい先ほど味わった王都中心部の有様――ばか騒ぎする人の波を縫いながら退勤したのだ――を思い出して肩をすくめた。


 それらの宴席に潜り込めば、今日ばかりは初対面でも酒の一杯ほどはせしめることができただろう。

 魔王が斃れるというのはそれ程の出来事である。

 実際のところ、民衆にとっては単に大っぴらに騒ぐ口実となっているにしても、だ。


 ならば俺がそうする気を起こさないのはどうしてか、といえば。

 祝いの言葉は魔王を倒した当事者である勇者ミロスラフ一行に直に伝えようと考えているからだ。


 俺は彼らとたまたまだが面識がある。

 当分の間は王侯貴族達との御目通りや祝賀行事で忙しいだろうが、落ち着いた頃合いにでも声をかけてみよう。

 そう思っていた。


 だが、勇者一行が帰還したという報せは一向に伝わってこない。


 なまじミロスラフが空間跳躍魔法ゲートを使えると知っているだけに、これが尋常のことではないのを察してしまう。

 俺はひそかに気を揉みつつ、しかし何もできないので普段通りに務めをこなしながら日々を過ごしていた。


 そうして五日ほどが経過したある日、ようやく勇者の凱旋が発表される。


 王城のバルコニーから手を上げる姿は絵巻物の勇士そのままの凛々しいものだった。


 だが、どこかくすんで見える。

 対面で飲み食いし、あれこれとくだくだ喋っている時に比べれば精彩を欠いているようにも。


 単なる思い過ごしだったのかもしれない。

 しかし彼の身には、事実、異変が起こっていた。


 俺がそれを知るのはさらに数日後のこととなる。


 勇者行きつけのパブに『落ち着いたら飯でも食おうぜ』と寄せていた伝言へ返事があった。

 そうして改めて場を設け、いざ迎い入れてみれば。


「最近ちょっと寝つきが悪くて」


 と、告げたミロスラフの目の下には薄っすらとだが隈が浮かんでいる。

 ……『ちょっと』の域を超えてねえかなあ、これ。

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