第8話 戒律に『落ちた燭台に手を出すな』なんて項目はない

 空は快晴。

 陽光が背中を温めていた。

 俺は額の汗を拭うついでに、目的地を振り仰ぐ。


 石造りの平屋と小さな鐘楼がのどかな農村を見おろすように佇んでいた。


 勇者一行の一員、聖堂騎士マティアスはこの小さな寺院で生まれ育ったそうだ。

 一行が王都に逗留している間は里帰りも兼ねてここに寝泊りしているという。


 それにしても異常にボーっとしているからどうにかしてくれって? 

 そんな奴がなんで勇者の仲間として冒険に出ているんだよ。


 とはいえ、あのミロスラフが必要だと判断したのだ。

 カミルの時と同様、相応の根拠があって加入しているのだろう。


 現地まで足を運んだのは、アリバイ作りだ。

 ここまですれば『良くわからなかったですねハハハ』と告げても切り抜けられるだろう。


 俺は意気揚々と重厚な木の扉の前に立ち、ドアノッカーを手にしたのだった。




「マティアスは務めの最中ですので、今しばらくお待ちくだされ。何のおもてなしもできませんが、ゆっくりお過ごしください」


 そう言われてここを守る僧から出迎えられたのが少し前のこと。

 とりあえず、この爺さんは自らの言動を顧みるべきだろう。


 俺の前には小皿がずらりと並べられていた。

 塩、酢、酒に蜂蜜といった多彩な漬け汁に多種多様な作物が漬け込まれている。


 寺院の名物であるという漬物どもは手を付けた端から新顔がやって来る。


「なんだかすみません……どうぞお構いなく……」


「なんの、外からはお客は滅多にないことです。勇者ミロスラフ様の知己でしたら尚のこと歓待せねば。……量は足りますかな?」


 そう告げた老坊主が奥からなにやら取り出してきた。

 右手にパン切りナイフ、左腕には人の顔ほどもあるパンの塊。


 見たところ酸味があってみっちりとした高密度が特徴な田舎式ですね。

 あっ今差し出した三本の指はまさか厚みを測っているんですか? 


「……お若い方だし腹に溜まるほうが良いかな」


 指が4本に増えた。


「いえ本当にお構いなく!」


 これ以上ここに居たら胃袋が発酵食品で破裂する。

 俺は慌てて椅子を引き、マティアスの居所を改めて尋ねたのだった。




 俺が訪れたちょうどその時、彼は聖堂を掃除していた。

 あちこちにわだかまる砂を掃き出し、木のベンチを拭き、燭台を磨き、梁にかかった煤を払う。


 彼はそれが当然の行いだとばかりに、ただ一人で黙々と勤めをはたしていた。


 サボり魔がする振る舞いじゃないだろう、こんなの。

 お勤めを邪魔するのも気が引けて、俺はマティアスに黙礼して片隅のベンチに腰かける。


 そのまま掃除のキリがつくまで待つつもりだった。

 が、こちらに気付いたマティアスが三角巾を頭から外し、つかつかと歩み寄ってくる。


 彼は驚くほど少ない歩数であっという間に距離を詰めると、ぬう、とこちらを覗き込んできた。


「――御用でしょうか?」


 彼は殆ど白に近い長い金髪を1つに括った、伏し目がちな青年だった。

 目つきの理由は、ひとつには彼が非常に長身であることも関係していそうだ。


 あっさりめの美丈夫とでも言うべきか。というか顔が近い。

 俺は座ったまま尻半分ほど横にズレてから名乗る。


「トマーシュ・クラシンスキーと申します」


「ああ! ミロスラフさんのお友達ですね」


 あいつ、俺の居ない所でも話に出してるのか……。

 内容が若干気になるところだが、訪問の主題はそこではない。


「今回はカミルさんからの紹介で赴いた形です。なんでも、お困りごとがあるとか?」


「……私がですか?」


「はい。そう伺っていますが――っ!?」


 ガランガランガラン! 


 突然、耳障りな音が響き渡る。

 見れば天井から吊り下がっていた燭台が落下して、ぐわんぐわんと回転しながら揺れていた。


 反射的に腰を浮かした俺のいっぽうで、マティアスは微動だにしない。

 聖堂騎士といったら国教宗派の擁するゴリゴリの武装集団であるから鍛え方が違うのかもしれない。


「うーん……」


 ……ん? 


「~~……」


 マティアスは顎に指を当てたまま、その場に立ち尽くしていた。


「マティアス、さん?」


 俺がこわごわ声をかけると、はたと気が付いた様子でこちらを見つめてきた。

 一連のいささか独特過ぎる間合いに慄きつつも、ようやく問いを絞り出す。


「……いまは何を?」


「『困りごと』について思い出しています。……申し訳ないのですが、心当たりにまだ行きつきません」


「それは後回しで構いませんので! どうぞするべきことをなさってください!」


「そうですか? では……」


 マティアスは深く頷き……そのまま聖堂の外へ出て行ってしまった。


「えっ」


 片づけないの!? 

 思わず漏れた驚愕の声に応える者はいなかった。


◇◇◇


「あの場所は……俺のあずかり知らないルールで動いていた! いや宗教施設なんだから当然なのかもしれないが!」


「いーや、国教宗派の戒律に『落ちた燭台に手を出すな』なんて項目はない。アレは良くも悪くもマティアス個人に紐づく話だよ」


 頭を抱える俺。

 応えたカミルは言い終えると乾燥豆に手を伸ばす。


「なあカミルさん……」


「カミルでいいよ」


「じゃあお言葉に甘えて。……カミル! 言いたいことは良く分かった!」


「だよねえ!?」


 寺院に顔を出してから数日後。

 俺はミロスラフと天文学者のカミルを馴染みの飯屋に呼んで事の次第を説明していた。


 カミルと俺が頷きあうなか、その横のミロスラフはいささか状況についていけていない顔をしていた。


「マティアスの振る舞いにそんな問題があるとは思わないけど……」


「それはミロスラフ、君が親切心から先回りしてやるせいだ」


「……ん?」


「戦闘行為の指示出しから、今後の行動の方針決めまで、ミロスラフはメンバーに丁寧に説明するだろ?」


「ちょっと待って、どういうことだい?」


「つまりマティアスは誰かに指示されるのを待っているんだ。アイツ自身の考えがないわけじゃないんだろうけど……少なくともそれを表に出して表現する発想がないとしか思えない」


 言うだけ言ってぽりぽりと豆を噛み砕いているカミルに代わり、俺が口を開く。


「俺から見たマティアス氏も自発的な行動が極端に不得手に見えた。それと、問いかけられるとめちゃくちゃ真摯だ。やり過ぎなくらい」


「そもそも論だが、『苦手意識』という観念が当人の中にあるのかどうか……あのゴーレムの一件にしたってさあ」


「マティアスはきちんと接敵を報せてくれていたろ?」


「いやいや、そっちじゃなくて。『敵襲です』ってマティアスが喋った時には、既にいいのを一発食らってたんだよ。腕が変な方向に曲がってたの、気付いてなかったろ?」


「……」


 ミロスラフが絶句している。

 ついでに俺もドン引きしていた。


「ええー……。呻き声ひとつ挙げてなかったのか?」


「そうとも。まあ、そのこと自体は生え抜きの聖堂騎士ならではの胆力のたまものかもしれないけれど。問題は、だ。報告もせずに自分で傷に治癒の祝福を使ってそれっきりだったってことさ」


「ええっ!?」


 今度はミロスラフが驚きの声をあげる側だった。

 彼にとっても初耳だったらしい。


「あの感じだと、そういう『治療魔法を使った時点でマティアスの中ではなかったことになってる負傷』がどのくらいあるのかわかったもんじゃないぞ。国教宗派の祝福術式だって万能じゃないんだろ?」


「ああ。相応の重症を治すにはそれだけ詠唱に時間がかかるはずだね」


「今のマティアスが瞬間的な治癒で追いつかない負傷をしたとして、ぼくらに教えてくれるかは賭けだと思う」


「……僕が差配を頑張ってどうにかなる話じゃない、か」


「そういうこと。と、いっても具体的な改善方法はとんと見当が付かないんだけど」


 カミルがまとめると、俺の顔をじっと見てきた。

 これはアレか、暗に『なにか良い案はないか?』と問いかけてきているんだな。


 マティアスは、要するに究極の指示待ち人間であるらしい。

 といっても責任を回避したりなすりつけるような意図があるわけではなさそうだ。


 自我が薄弱というか、あまりにも自己主張をしない性向であるのが問題、なんだよな? 


 ――だとすると、を使ってみればどうだろうか? 


「思い当たる手が……ひとつ、ある」


「充分! ぼくは正直、お手上げだ。ミロスラフは?」


「……元よりお願いできる義理じゃないんだ。もしトマーシュがこれと思う方法があるなら試してみてくれないか? 協力は惜しまない」


「責任は持てないぞ?」


「責任? そいつはいつだって僕の領分だよ!」


 丸投げといえば丸投げだ。

 が、当のミロスラフがケツを持つと言ってくれている。

 普段のお勤めに比べたらマシではあるな。


(逃げ道をふさがれたとも言えるが……)


 まあいいさ、やれるだけのことはしよう。

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