第4話 世に立ち、大いに活動せんとする人は信用の厚い人である

 俺たちはあれよあれよという間に応接間へ通される。


 豪奢なソファに腰を落ち着けたのを見計らったように、卓上に香り高いお茶と砂糖菓子が配膳される。


 下にも置かれぬ扱いという奴はこのことを言うのだろう。

 ミロスラフが銀行設立に関わったともなれば、納得の待遇だが。


 テーブルの向かい側には、金縁眼鏡の支店長が揉み手して控えていた。


「――本日は当行にとって非常に記念すべき日でございます。勇者ミロスラフ様がお越しになるとは、何と光栄なことでしょう!」


「大げさだなあ。ずっと放置してしまっていたのは、申し訳なかったけれど」


「勇者様ご一行の華々しい活躍に対する褒章の管理は、銀行設立以降、我々が一手に担っておりました。しかし今の今まで手つかずだったものですから、何か不手際でもあったのかと心配で心配で……」


 金縁支店長のおべっかにミロスラフが苦笑する。


 いっぽうの俺は茶と茶菓子を堪能していた。


 クリームや卵が惜しみなく使われた生地に結晶化した糖衣がまぶされている。

 この手の菓子はを口にするのは久々だ。

 楽しまないのは損というものだろう。


 ミロスラフに必要なことはもう仕込んである。

 俺は彼のたっての頼みで同行しているに過ぎないから気楽なものだった。


「――して、御引き出しの額面はいかがなさいましょう? どこかの商会に投資でもなさるのか、それとも古代遺物のオークションに御入用ですか?」


「ああいや、そんな大した用途じゃないんだ。とりあえず生活費を確保したいだけで」


「はあ……さいですか」


 ミロスラフの返答に、支店長は明らかに鼻白んだ様子だった。

 無理もない。彼の総資産からすれば、どれほどの豪遊目的であれささいな額面だろうから。


「ではこちらの書面にサインを」


 ミロスラフは差し出された羽ペンを手に取り、書面へと書きつけていく。


 その手つきは……なめらかなものだ。手荒ではないけれど、おずおずした様子は微塵もない。


 そうして書き上げたサインは細かな直線と幾何学的な文様の組み合わさった独特のものだった。


 この国の曲線が主体の流麗な字形とはかけ離れている。

 けれどもいっぽうで、描線には不思議なリズムと一定の法則がうかがえる。


 適当に書き散らしたものではないと一目でわかるほどに。


「こちらは……?」


 支店長が書面を手に取り、訝しげに検分している。

 ようやっと俺の出番が回ってきたな。


「そいつが勇者ミロスラフの署名ですよ」


◇◇◇


 ミロスラフには奇妙な癖があった。自分用のメモに一種独特の創作文字を使うのだ。

 ふにゃふにゃ頼りない記号と、やたら細かい幾何学文様の組み合わさった奇怪な代物だ。


 当人は隠していたつもりだったようだが、それでも学生時代を共に過ごしていれば何度か目にする機会はある。


「……日本語のメモを見られていたなんて……」


「へえ、ニホンゴって名前なのか。その架空言語」


「いや、架空とも言い切れないんだけど」


「まあいいさ。お前のその面白げな創意工夫趣味を今回は利用することにしよう。お前のそのニホンゴ文字とやらで『ミロスラフ』ってどう書くんだ?」


「こうだけど」


 訝しみながらも木炭のかけらで適当な木切れに書いてくれた文字はややスカスカな印象の物だった。


「今ひとつハッタリが足りないな。もっとこう、ゴチャゴチャして格好いい奴はないのか」


「注文が多いな……。じゃあ、これなら?」


 そう告げ、ミロスラフがすらすらと書いて見せた四つの記号たち。

 密度も高くて、適度に複雑。

 そして何より彼の手癖が馴染む形をしている。


「これだよこれ! こいつで行こう」


「ええ……良いのかな……」


「駄目な訳ないだろ。こういうのは堂々と出しちまえば問題ないさ」


◇◇◇


 はたしてその通りに事は進む。

 ミロスラフは無事に預金を引き出すことができ、俺たちは帰途についた。


 銀行が手配した馬車に揺られ、ミロスラフは手元の革袋をじっと見つめていた。

 いまだに信じがたいとでも言わんばかりの様子だ。


「な? 問題なかったろ?」


「……ああ」


 物思いにふけるミロスラフへ声をかけると、彼はようやっと顔を上げた。


「トマーシュ、本当にありがとう。こんなにすんなり物事が運ぶだなんて、思いもよらなかった」


「この件に関しちゃ、お前が難しく捉えすぎていただけにも思うがなあ。なあミロスラフ、お前は勇者なんだ」


「うん? そうだね」


「それがどうした、って顔をしているがなあ……」


「僕に勇者の称号が相応しいかはわからない。けれども、そう呼んでくれる人たちの期待に応えられるように励むつもりだ」


「それだよ」


「何が!?」


「ミロスラフ、お前は勇者だ。もっと言えば、その称号をほしいままにしている。なんでかわかるか?」


「いや……」


「それだけ信用されているってことさ。そしてお前は、そう任ぜられた通りにこの世界の最前線で斬った張ったの仕事をしている。なら、その信用を活かすことは何も間違っちゃいない。何故なら……」


「何故なら?」


「人類社会はそうやって回っているってことだからさ」


 しばらくの間、ミロスラフは言葉少なだった。

 通りいっぺんの理屈に過ぎない俺の言葉を、なにやらじっくり噛み締めているようだった。


「信用か。なんだか僕には恐ろしいものに感じる」


「なんだよ。悪用する気か?」


 まさかだろ? そんな気持ちを込めて軽口を叩くと、ミロスラフの表情がようやっと緩んだ。


「怖いのは、そうだな……皆が信じ、僕に託してくれる色々なことを裏切るのが、かな」


「『らしい』怖がり方だなあ……逆説的だが、そう思っている内は大丈夫なんじゃないか?」


「いつかは負けるかもしれなくても?」


 意外だった。

 まさか、ミロスラフともあろう奴がそんなことを考えているとは。


「……まあ、可能性としては考慮すべきだな」


「ああ」


「魔王はまだ何柱も居やがるからな。国内で討伐実績が有るのは当代じゃお前だけだし」


「ああ、そうだね」


「万一のことがあったら、この国は存亡の危機だな」


「……」


「そこから先は俺の仕事か」


「うん!?」


 ぱっと顔を挙げたミロスラフが、俺の顔をまじまじと見つめる。


「いやすまん、話を盛った。正確には俺の上司の上司の……そのまた上司くらいからの職域だな」


「ええと、トマーシュは役人だろ?」


「ああ。まあつまりは、あらゆる可能性を考慮して進退を決めるのが王だろ? で、俺ら役人はその判断材料を提供する。そのための情報収集であったり差配であったり分析であったりの……ん? なんだミロスラフ」


「……ありがとう」


「何に対する!?」


「話を聞いてくれたことにさ。……こんな風に自分のことを話せたのは、本当に久しぶりなんだ」


「なんだ、そんなことか」


「学生時代から変わらず、君は人のために心を砕いてくれるんだね。……感謝しているよ、心から」


 正直に言おう。

 この言葉で、俺は浮かれた。


「――俺なんかで良ければいつでも話を聞くぜ。残業でもなければな!」


◇◇◇


 後年、俺はこの安請け合いを幾度となく悔いることになる。


 冗談めかした物言いに対して、ミロスラフがぱっと顔を輝かせた意味を、もう少し真剣に捉えるべきだったのだ。


 しかしこの時の俺は、旧友の、それも輝かしく活躍する男からのてらいのない称賛ですっかり舞い上がっていた。


 とはいえ、もし時を戻せても俺は同じことを彼に告げるだろうが。


 なんせ、放っておいたら勇者ミロスラフとその仲間たちはまとめて破滅するに違いないからだ。

 どうにも奴らは、世界を救うこと以外はからっきしのようだった。


 俺がそれを思い知るのは、そう遠い未来の話でもない。

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