安楽死まで

浅井 孝氏

第一章 決断

第1話

 安楽死をすることにした。ある朝、目覚めた瞬間に決めた。


 カーテンの隙間から差し込む薄明かりが、まるで聖母のように私の顔を優しく包み込む。目を開けたその瞬間、何年も抱えていた重荷が、かつて愛したが今は色褪せたジャケットを脱ぎ捨てるように肩から滑り落ち、心が羽ばたく鳥のように軽くなった。決意が胸にしっかりと固まった。これが解放への扉を開く合図か。


 もう十分だ。これは、私の長い物語の最後のページを飾るような逃避であり、過去の自分との和解であり、そして何よりの自己肯定だ。重たい負担を地面に置き、最後には花が咲くように静かに息を引き取る。これは諦めではなく、静かな湖へと流れ込む小川のような、平穏への優雅なる移行だ。


 幼いころから、「逃げる」ことと「適応する」ことを学んだ。兄が家族の期待を一身に受ける中、私は影で彼を支える役割を演じた。クラスの中心に立つことなく、読書と自然観察に没頭して、人のいない公園の静けさに慰めを見出した。その孤独な時間が、我ながらになんと哀愁を帯びていたことか。ひっそりと枯れ葉を踏む音と薄汚れた青年誌だけが真の友であった。


 成長するにつれ、社会の枠にはまることへの適応は、外部からの承認と評価を求める行為に取って代わり、外からの評価に照らされた成功への道は、どうやら、他人の光は影を深くするだけのようで、決して自分自身を照らすことはなかった。


 40代に入り、常に他人の評価を求める生活に疲れ果てた。自信はどこにも見当たらず、ただの影として存在しているようだった。成功への道はますます遠ざかるように感じられ、逆さに掲げた地図で未知の土地を旅するかのようで、つまり、私は迷い続けていた。


 しかし、こんな私にも人生の伴侶と呼ぶべき本物の女性と結婚生活を送ったことがあった。しかしわずか2年の内に、夫婦間の小さなすれ違いは頑固な汚れが如く積み重なり、寄せては返す愛の波間で行われる謝罪の千日行は、最終的には、互いの幸せを願いながら別れを選択する事になった。


 そんな二度目の独身生活が始まったある静かな日曜日、私は無意識のうちにスマートフォンを手にしている事が増えている事に気づいた。そこに流れるSNSのタイムラインを眺めるほどに、世界中のキラキラした有名人を片っ端からブラックリストへ放り込み、自分の小ささに言い知れぬ虚無感を感じるのだった。それを機に、私はこの広大なインターネッツ★の世界から足を洗い、真の静寂を取り戻すことを決意したのである。


 その後、私は自然の中での時間を増やし、読書の喜びを取り戻した。外の世界との一線を画すことで、自分自身との対話を深めることができた。


 静寂と孤独の中で、私は自分自身を見つけた。外部からの承認ではなく、内面から湧き出る平和と満足を見つけた。ああ、これが私にとっての真の幸福だ。幸福とは他人からの賞賛ではなく、自分自身の中に見つかるものらしい。しかしその事に気付いた時、少々気付くのが遅かったと、じっと手を見みるのであった。


 しかし、新しい道を歩み始める今、外部の期待から解放され、自分自身との調和を楽しんでいる。これからの人生は、自分自身のペースで、自分の規則に従って、終活を始めるのだ。私は自分の人生の物語を、自らの手で静かに閉じてゆく。それがどんなに風変わりな結末であっても。



 ある冬の寒々とした朝、煎餅布団の中でWEBサーフィンを嗜んでいた時、ネットの海に浮かぶある記事が私の目を引いた。


 それはスイスに拠点を置く、積極的安楽死を希望する者を支援するという何とも奇妙な団体のことだった。なんと、外国人も歓迎するという懐の深さ。まあ、死にたいと願う者に国境は関係ないのだろう。当時の私は、「そんなものもあるのか」と思いつつも、記憶の片隅に留めおいた。


 しかし、その話は何故か繰り返し思い出されるようになる。いや、正確にはずっと気になっていた。まるで呪詛が如く、ふとした瞬間に脳裏をよぎる日々を過ごすようになった。


 今回、その団体について再調査を試みることにした。彼らのウェブサイトによると、申請には「理性的な判断が可能であること」と「医師による厳格な審査を三度通過すること」が必要だという。私は普段から酒を愛し、いささか肥満気味ではあったが、毎年の健康診断で常に高評価を受ける健康優良中年として、これらの条件をクリアする確信を得るのだった。


 さっそく申込書に記入し、入会金と年会費として約五万円を支払い、メンバー専用のサイトアカウントを獲得した。そのサイトは他の利用者の体験談や活動報告が掲載されており、最終的に安楽死を実行するかどうかの申請フォームがあるだけの簡素なものだった。


 プロセスを確認すると、申請から実行までにはいくつかの段階が必要で、時間がかかりそうだった。しかし、私には急ぐ理由も心躍る未来の予定も何一つなかったので、躊躇することなく申請を進めることにした。


 まずはオンラインでの面談があるらしい。その後、指定された病院での診断を受け、グループセッションに参加し、さらに審査が行われるという。常識的な諸兄であれば、この段階で何かしら不安を感じたり、詳しく調べたりするものだと考えられるが、私には何の心配もなかった。


 「死ぬと決めたからには、残された日々を心から楽しむことにする」と、未読の本を一つずつ手に取り、長らく訪れていなかった大盛り麻婆飯に挑戦し、連休を利用してただぼんやりと過ごすに至り、私に理性的な判断が出来ているのか疑問に思いつつ、さらに怠惰を重ねる日々を送った。


 「死ぬ覚悟を決めたことで、心がどこか晴れやかになりました」


 「この矛盾した快感を、誰かに伝えたい!」


 「逃げることも一つの解答ですからね」


 そう囁く声を聞いた気がしたが、後に向こうが横に向こうが向かう方向が前だと、自分に言い聞かせるのだった。


 そしてついに、オンラインでの面談の日がやって来た。

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