第2話 塩分とアルコールで差をつけろ

「ふ……飯野さん、よかったのデスかホイホイついてきて。私はニンゲンさまだってかまわないで食われちまう地球外生命体なんデスよ」

「いや、オイカワさんが来るように言いましたよね」

 今日は水色の上下繋がった作業着、いわゆるツナギという衣装をお召しになっているからなのか、ソファに腰かけノリノリで茶番を始めるオイカワさん。今日も『ニンゲンさまの魂の質を向上させるため、可愛いオイカワさんを美味しく食べてもらう(経口摂取)』について、新たな検証を思いついたということで、ご自宅としているタワーマンションの一室に呼ばれている。

 マンションの高層階、大判のガラス窓で見晴らしも良く、それでいて採光も適切な、あたたかみのある広々としたリビング。おそらく設計者はここで小さな子供が遊んだり、ヨガやストレッチなんかの軽い運動を行ったり、そんな穏やかな思いでこれだけのスペースを設けたのだと思う。……そのスペースには現在、ブルーシートがぎっちりと敷かれ、木板や石板などの謎の器具、そしてぴっちりとビニールで覆われた、巨大な土壌の山らしき何かで占められていた。

「ふふふふ、こちらが気になりますか、飯野さん」

「それはまあ……」

 富裕層の住まいし空間が、農家の用具兼土置き場と化している。敷かれた大判のブルーシートのカラーリング及び質感が余計にその雰囲気を強調し、……あとなんというか……発酵……腐臭……? のような、タワーマンションから漂ってはいけない類の臭気がうっすらと感知できる。……なにこれ?

「私はデスね、飯野さんが生粋の日本人であるという点に改めて着目したのデスよ。日本のニンゲンさまは、携帯してお召し上がりになっていたという食品があるのデスよね。昔からあり現在も愛されている、馴染み深く保存性のある食品――そこから今回の検証のヒントを得たのデスよ」

「携帯……? ガムとか飴とかですかね……?」

「お漬物デス」

 つけもの……それはまあ、冷蔵庫などがない時代は保存性もよく重宝しただろうし、旅路に携帯した歴史もあっただろうけれども……そこまで遡りましたか。

「お漬物にはいろいろな種類があるようデスが、それぞれ高い塩分濃度、有機酸による低いpH等によって、ニンゲンさまに有害な食中毒菌の増殖が抑制される訳デス。たいへん理にかなっておりますね~~、それを今回は私でやってみようと思うのデスよ」

 だからこのツナギ姿に謎用具なのか、とひとまず納得はする。……そして思い出す、オイカワさん『が』漬物を漬けるのではなく、オイカワさん『を』漬物として漬けたいのだろう。なにしろこの人の目的は『かわいい私をおいしく食べてもらうために、まずは食品(自分)の安全性を高めて、俺に安心してもらおう』というところなのだから。

「あの、オイカワさん、が、漬かる、……んですか?」

「そうデス! ナイスアイデアだと思いませんかっ?」

 確かに漬物にするなら、保存性が上がるのは確かなんだろう。オイカワさんが塩やら糠まみれになるだけなら、これまでみたいに次亜塩素酸ナトリウムに漬けたりまるごと焼いたりしてきたのに比べれば、別に危険性はない……の……だろうか……?

「通常は白瓜や茄子、西瓜などを漬けるそうなのデスよね。手順も、日本で大人気という『3分でできるクッキング』というウェブサイトできっちり押さえまシたデスよ」

「漬物が3分で出来る訳がないのでは……!? 大丈夫ですかその情報源……!?」

「ご存知ないのデスか、3分には事前準備や加熱冷却漬け込み時間等は含まないのデスよ。他の調理手順でも、余裕で『事前にバターを常温にする(夏場30分、冬場2時間程度)』『ここで1時間醗酵させる』などが出てきまシたデスよ」

「そうなの!?」

 それ、全然3分で終わってないじゃんっ……! 3分でできるクッキングとは『調理が3分で終わる』ってことじゃなくて『工程のご紹介が3分でまとめられる』という意味だったのか……!?

「さて、ではさっそくやってみまシょうかっ。お漬物にもいろいろなカテゴリがあるようデスが、調味液に短時間漬けるだけというものよりは、お塩をばっちり含ませた方が、より今回の目的には沿うと思いまシたので、塩分が高く仕上がる手順を確認シたのデスよっ」

 自信満々に語りだす様子から、確かに漬物についてはいろいろ調べてはきたらしく、これからオイカワさん『を』漬ける、という事さえ忘れれば、いまのところはごく普通に漬物を漬けるような話で進んでいる。これからオイカワさんを漬ける、という事さえ除けばだが。

「まずはデスね、漬けたいものを縦半分に切って中身をくりぬき、適度に水分を除いてから大量の塩を詰めておく、という工程があるのデスよ。それは飯野さんがいらっシゃるまえに、先にやっておきまシたっ」

 ……さらっっととんでもない事を言ってきた。

「……縦半分に切って、中身をくりぬいて、塩を詰める作業を?」

「そうデスよ」

「……オイカワさんに?」

「はい、3分で工程をまとめるためによくある、こちらにもう出来たものを準備シてあります~~、という流れデスね~~」

 ……いや、どうやって?

 と思ったが、うふふふ、とお上品に笑うオイカワさんに、とても聞く勇気はなかった。猟奇的殺人犯とかサイコパスがやる、到底直視出来る絵面ではない感じになりますよね……?

 ……現場立ち会いすることにならなくてよかった……、この話ここで終わる所だった。

「先に塩を詰めておかないと、私の表面にシートが張れなかったデスからね~~」

「って、ちょっ……」

 オイカワさんが何やら喋りつつ、唐突にツナギの前ジッパーをざーっと開けだし、……また薄着やら、最悪全裸体が飛び出してくることを警戒し、いつでも視界を外せるように身構えたが――そこから出てきたのは、まるでスキューバダイビングの際に着用するような、黒いぴっちりとした全身スーツ姿だった。

 ……いや、質感からすると、ダイビングスーツなどよりも素材がかなり薄いように見える。ぺらっぺらのフィルムを、張子のようにぺたぺたと全身に貼り付いている、と言った方が合っているかもしれない。

「お漬物をつくる工程で、圧をかけて水分を抜く、というものが有るようなのデスね。浸透圧を用いた対応のようデスが、これを地球式にやっていると結構な時間がかかってシまいますよね。なので今回は我らが研究センターでも使っている、水分の移動を超高速で進めることが出来るフィルムを持ってきたのデスよ~~」

 どや、と顔以外全身黒塗り状態のようなオイカワさんが胸を張る。

「この厚さ0.01ミリのフィルムをデスねっ、浸透圧をかけたい対象物に貼り付けておきますと、秒で細胞内に試薬や調味液などを染み込ませることが出来るのデスよっ。これは各地の各種研究や調理の場で広く用いられておりまシて……」

「な、なるほど……ええ……はい」

 自慢げに語るオイカワさんの言う通り、全身に薄いフィルムが継ぎ接ぎのように貼り付けられているので、……その何かでよく聞きがちな厚みのフィルムがゆえ、つまりオイカワさんの身体の、あらゆる突起部分や曲線が、なめらかに認識できる状態となっている。胸を張っておられるため、天頂部の形状が余計に際立っており、オイカワさんが技術的に大変ためになる話をしているのだろうが、視線と意識を反らすのに必死で何も頭に入ってこなかった。

「ちなみにこのフィルム、染み込んだ後は勝手に溶解もシてくれてとっても便利なので、大判型や筒状など、いろいろなサイズや形のものが出回っているんデス。ただ~~、以前に地球のニンゲンさまがよくお使いになっている、男性が局部に被せて使うとかいう製品と混ざってシまった際に、大変なことになりかけたのデスよね~~。だから地球には小型の筒状タイプは持ち込み禁止なのデス」

 ……これは頭に入ってきた。確かに……漏れ出し防止用で被せるものと、染み込み促進を目的としたものを間違えたらえらいことになるよな……

「さて、続きまシてはデスね、こちらを用いていきますデスよ」

 オイカワさんが示す、床に敷かれたブルーシートの上に並ぶ道具たち。まず人がひとり正座で座れそうなサイズの、厚みのある木版。但し物騒なことに、表面部分に正三角柱が並べられており、洗濯板やツボ押し板が相当凶悪になったかのような代物と化している。その横に1メートルくらいの角材も何故か転がっていた。

 その他、業務用サイズの『食塩』と書かれたでかい紙袋数点、……そして分厚い石の板らしきもの4枚が、何故かぶっとい大繩でぎっちり束ねられ、異様な存在感を放っていた。

「実は今回デスねっ、お漬物用の器具を揃えるために伺ったホームセンターと言う所で、店員さまがいろいろなアドバイスを下さったのデスよ」

「ホームセンターですか」

「そうデス、大変ご親切で助かりまシた」

 確かにホームセンターは各種DIYにフレンドリーな印象は有る。アドバイスやレシピなどをくれる場合は有るかもしれない。ホームセンターもそれで販売促進になる訳だし。

「店員さんに『私に圧をかけたいのデスが』と相談したところ、大変いきいきとご案内くださったのデス」

 それだけだと、とても漬物の調理に辿り着きそうにない質問だが、よく店員さんが対応できたな……

「店員さん曰く、こちらのトゲトゲ木の板を敷きまシて、その上に座って上に石板を載せていくと、とっても効果があるとのことなのデスよ。石板とは、いわゆる漬物石というものデスよね。今の時代、ペットボトル型、樹脂製、コンクリート製などいろいろと便利なものがあるものの、ここはやはり伝統的に石が一番だとお薦め下さいまシた」

 厚み10センチ弱位、綺麗な板状に加工された、白地にうっすらマリンブルーのような模様の走る石板。「こちらは昔から使われている、伊豆石という由緒正シいものらシいのデスよ~~」などとオイカワさんが説明してくれる、が、……漬物石ってこんなんだっけ……? というそこはかとない違和感を覚えずにはいられなかった。

「石板は、1枚40数キロのものを4枚使うのが正統派だ、と店員さまはご説明下さったのデスよ。漬物石にするには対象の重さと同じ位か2倍ほどが良い、と3分で終わるクッキングでは言っていたのデスが、このサイズと縄での固定だけは譲れない、効果が全然違う、と店員さんが拘りまシて」

 オイカワさんが話しながら、ブルーシートに置いた三角トゲ板の後ろ側に、てきぱきと角材を取り付けてゆく。……何か、物騒な予感しかしない形状の木板と、その背面から伸びるように取り付けられた柱状の棒、正式には枚数と重さに指定があるという石板…………。

 ――これ本当に、漬物を製造するための道具で合ってるか?

「ではさっそくやってみようと思うのデスよ」

「あのまさかオイカワさん、この木の板の上に座るんじゃないですよね……??」

「そうデスよ」

「……その次は?」

「後ろにくっつけた棒に、私を縛って固定シて、お塩をふりかけつつ、この漬物石を上に載せるのデスよ~~。てっきり全身に石を乗せるのかと思っていたのデスが、ホームセンターの店員さん曰く、この木の板に囚人を正座で固定シて、足の上に石板を積むだけで、この木の板の三角の山部分が脛に食い込んで、それはそれは充分な効果が得られるということデス」

 ――ああああやっぱり……っ!! さっきから違和感しかなかったけど……これあれだ……、算盤責とか石抱責とか呼ばれる、伝統的な拷問じゃん……! だからこの木の板、うまい具合に突き刺さらず圧が掛かるように、鋭利と鈍角の中間を取った形状なのか……!ていうか今、普通に囚人って言ってたけども!?

「オイカワさん、あの何か、漬物の作り方と、そうじゃない文化の手順が混ざってま……す、よね?」

「ああ、何かホームセンターの店員さんが言うには、日本の文化では、これをニンゲンさまは相手とのコミュニケーションを円滑に進めるために使っていたということデスよね」

「めちゃくちゃ一方的なコミュニケーションですが……!」

 表現って偉大だな……いやそれよりも、今はオイカワさんが漬物作りもどきの拷問を実現しようとしている方が問題……!

「その……この木板の上に、直接乗る訳では……ないんですよね……?」

 レトロなアクションゲームの、落とし穴なんかに仕込まれた正三角形の罠のように、綺麗に並んだ突起部分。角度的に刺さるほどではなく、足の脛という太ももや腹よりも食い込みに弱いと思われる部位に圧をかけ、苦痛を与えてくる――……想像するだけで、こっちの身が震える。

「そうデスね、お漬物なので、先に塩をうすく敷きますデスよ」

「なるほど、じゃあぎっっっちり敷いときましょう、その方が効果ありますよきっと」

 ご丁寧に、工場にありそうな物置板をかませて『食塩 業務用 25キロ』と書かれた紙袋が山積みになっていた。ひと袋開けて、木板の拷問要素たる、三角部分をみっちり埋めにかかった。

 スコップで、塩を木板の突起部分の間にざくざく投入し出した俺の後ろで、オイカワさんが「あれ、でも塩は漬けるものの20%くらいと見まシたが」とか覗き込んできたが、完全に無視した。

 塩袋を贅沢に使い切り、よく押し込んで平らに均し、完全に木板を沈めきる。……よし、これで拷問要素は薄れたはず……!

「塩多くないデスかね? あとさっきの木の板埋まってませんか?」

「いや、多いにこしたことはないですよ、きっと」

「そうデスかね、それなら次の工程に行きまシょうか。では私がこの上に座りますので、飯野さん、後ろでちょっと縛って、この木の柱部分に固定シて頂けませんかね? ここに紐ありますので」

 オイカワさんが塩の塊の上にちょこんと正座し、両手を後ろ手に回したかと思ったら、やたら物騒な事を言い出した。

「えっ、なな何でですか?」

「このあと石を乗せていくのデスが、石が胸部分を圧迫シないように、ちょっと背を反らすように固定シておく、とホームセンターの店員さんから習いまシたのデスよ」

「ん、んー……」

いやほんと、なんなんだよホームセンターの店員……! なんで的確に拷問の方の手順を教え込んだんだ……!? ほんとに単なるホームセンターの店員なのか!? 今は戦いの場から身を移して、一般人に混ざって平和に過ごす元軍人とかではなく……!?

 しかしまあ、胸部が圧迫されるのは確かによろしくない。オイカワさんに言われる通り、上半身をやや反らしてもらいながら、後ろに回した手を、木の柱に縛っ……

 ……………なんだこの作業……?

 オイカワさんの指示により、正座した太腿の隙間を塩で埋めてゆく。これによって『下半身に塩をまとわせ、反らしたポージングにより胸部がやたら強調された状態で、後ろ手に縛られている』という、現代アートと言い張るにもなかなかギリギリなオイカワさんが出来上がった。

 一所懸命がんばるかわいい人に『漬物の作り方と、石抱責の手順が雑に混ざってます』と伝える勇気がない俺が悪いのかもしれない。しかし後になって、この次に来るであろう工程を思い出し、このあたりで早々に止めるべきだったと思う。

「ありがとうございますデスよ~~、じゃあ次に、私の足の上にそこの石を置いていってもらえますかね?」

「俺がですかっ!?」

 そうだった。当たり前だが、この石板もとい漬物石は、囚人もとい漬物に重しをかけるためにあるのだ。……つまりこの場合、オイカワさんに乗っけることになるのだ。

「他に誰がいるんデスか」

「えええいやその……それはその……だってほら痛いですよねオイカワさん……?」

「いや別に、可食部分の痛覚は切ってあるので。まったく問題ないデスよ」

「えええええ……」

 ちらり、と積まれた石の板4枚を眺める。横幅は1メートル弱、奥行きは30センチくらいだろうか。厚み10センチくらいの板が4枚束ねられ、……あれ、さっきこれ1枚40数キロあるって言ってなかったか?それが4枚? ……普通に持ち上がらないが?

「ささ、お早くお願いシますよ」

「あの、そういえば、オイカワさんにすごいフィルム貼っているから、圧とかいらないって話なんじゃ……?」

「地球的な手順は踏んでおきたいのデスよ。お願いシます、飯野さんっ」

「う……」

 全身に黒いフィルムを貼り付け、縛られて塩をかけられ、反り気味のポーズでこちらを見上げて懇願してくるその姿は、……なんか侵入に失敗して捕まったスパイとか怪盗の類のようで、この時点でどう見ても拷問である。

「そのっ……協力したい気持ちはないことはないですけど、これちょっと持ち上がらないですね……」

「あ、何か載せた後に落ちないようにということで縛ってまとめてありますが、何でも2回目以降に行う場合では、順番に1枚ずつ載せて、圧を徐々にかけて威力を知らシめるという手順もあるそうデスよ」

「鬼ですか……!?」

「時間をかけて行う事で、なんでも3枚目までは暴れまわるところを、4枚目を載せるところになると大人シくなるそうデスよ。みっちり圧が掛かって、塩が染み込んでいるってことデスかね~~」

自白を目的とした、本格的で実用的な拷問じゃん……

「そういうことで、なんとか宜シくお願い致シますデスよ~~」

「うう……やるだけやってみます……」

 大縄を解いて1枚にバラし、持ち上げた石板は、……まあ滅茶苦茶重いが、なんとか持ち上げられないこともなかった。ただ――これをオイカワさんに載せると思うと、実際の重さ以上に腕への負荷が掛かる気がする。

「じ、じゃあ、載せますよ!?」

「はーい、どうぞデス」

 重すぎて腕と足がふらつくが、慎重に慎重に、ゆっっくりと、オイカワさんの太腿の上に、石板を、載せる。正座した足に重みがかかり少し沈む板に、焦ってオイカワさんを見るが、特に苦痛にゆがむような様子も無く、にこにこと左右に揺れる余裕まであるようだった。

「ではではっ、続けてあと3枚お願い致シますデス」

「ほんとに大丈夫なんですよね……!?」

「もちろんデスよ~~」

 ええい、もうどうにでもなれ、とばかりに、ヤケと意地とで次々と石板を積んでゆく。オイカワさんのお顔が半分隠れるくらいの高さまで石板が積み上がり、こちらは全身へのダメージを痛感している中、オイカワさんがにこにこと告げてきた。

「わあ、これが伝統的な手順なんデスね~~」

「そ、そうらしいですね……もう降ろしていいですか?」

「では、ちょっとこの石板を揺らシてくれませんかね?」

「なんでっ!?」

 反射的に雑に突っ込んでしまった。なんでそんな負荷がかかることをわざわざ、……ああこれ拷問の手順でしたか……、そりゃ負荷をかけるわけだ……!

「いいいいや、そこまでしなくてもいいんじゃないですかね……? だって便利なフィルム貼ってるんじゃ……?」

「いや、ホームセンターの店員さんいわく、石を揺らシながら『いい加減に吐け、吐くんだっ!』などとお願いシつつ、場合によっては鞭などを打ちこむことも有るそうデスよ。きっとより水分が吐き出されて、より浸透圧が進むってことデスね」

「ほんっっとにその店員は浸透圧が進むって言いましたかね!? そこはオイカワさんの解釈ですよね!?」

「いや~~、思いを込めて声掛けをすると野菜は美味シく育ち、機械は調子よく動き、浸透圧は早くすすむというのは、地球でもあるのデスねえ」

「違あああああぁぁぁあぁ……」

 珍妙なすれ違いコントって、見てる側は面白いけどやってるほうはマジで辛いということを思い知り、頭を抱えてしゃがみこんだ。オイカワさんの言うような場合、吐かせたいのは情報とか自白であって、水分やらを指している訳では無い……! あと思いやりなんてものはギリギリ死なないように扱おう、くらいしかないと思う……!

「くっ……すこしだけ!! 少しだけですからね!?」

「わあ、有難うございますデスよ~~」

 意を決して、オイカワさんの膝上に積まれた石板を少し、左右に揺らす。……正直、これが崩れてきたら俺も普通に危ないので、神経を集中――

「ああっ、いいデスよぉ飯野さんっ、……私のなかに……っ、たっぷり入ってきてますデスよ~~」

「塩がね!? 塩分がですよね!?」

 浸透圧がお効きになられているのかなんなのか、恍惚とした表情で身体を捩るオイカワさんに、集中も何もあったものではなかった……!!

「……も、もういいですかっ!? この石板どかしてもいいですねっ!?」

「あ、はいそうデスね、そろそろいいデスよ」

 聞くが早いか、オイカワさんに載せていた石板を高速で退け、後ろの束縛をほどいた。かるく塩を払いながら、あっさり立ち上がったオイカワさんが「この時、お塩は絶対洗い落としたら駄目なんデスよ~~」などとにこにこ説明してくる。

「これでっ……完成ですかっ……!?」

 もう満身創痍なので、ここで終わって欲しいという期待を込めたが、その願いは次のオイカワさんの動きによってあっさり葬られた。

「いや、まだお塩に漬けただけなので、ここからが本番デスよ~~。さてさてっ、こちらにたーくさん用意しましたものが、次に漬け込むものでデスね」

「ごっっふ」

 オイカワさんが、黄土色の土壌のようなものを覆っていたビニールを開けた直後、勢いよく放たれた臭気に思わず咽せた。なっ……なんだこれ、甘酒……を夏の日差しの下で放置しまくって発酵させすぎたかのような……、ラスボスのさらに真ボスみたいなレベルの匂いと共に……めちゃくちゃ酒臭い……! さっきから漂っていた、都会にあるまじき謎臭はこれか……!

「こちらは、酒粕にザラメをまぜたものデスね〜〜、酒粕は日本酒をお作りという酒蔵様をお尋ねシたら、すっごく余って困ってる、という事でたーくさんくださったのデスよ、ありがたいデスね〜〜」

 微笑むオイカワさんの横に、子供が登ってあそべる小山レベルでこんもりと盛られた、黄土色の酒粕。どうやって運んできたんだ、これ。

「これ……を使うんですか……!? すごいその……えっと……独特な匂いがしますけど……!?」

「そうデス、奈良漬には必須デスよ。数あるお漬物のなかから、抜群にアルコールを含むとのことで、保存性の向上には一番よいかと思いまシて。今回の検証においては奈良漬にシてみたのデスよ」

 ……ああ〜〜奈良漬けかあ~~~~! いや、あまり食べたことないけど、めちゃくちゃアルコールの匂いがするあれでは……、うん、まさに今漂っているようなこんな感じですね……!

「酒粕って甘酒とかのあれですよね、……こんな黄土色みたいな色でしたっけ……?」

「ふふ~~ん飯野さん、これは酒粕の中の糖質やアミノ酸によってメラノイジンという物質が出来たのデスよ~~、香ばシいよい香りデスよね」

 ……香ばしい香り……そんなことより酒と発酵の臭気がすごすぎて、ちょっと俺にはそんな余裕がなさそうというか……そうか、奈良漬がアルコールを含むってことは、その製造工程で勿論アルコール臭もすごいってことだよな……

「で、ここに私が混ざりますデスね」

「ここにっ!?」

 無駄に綺麗な飛び込みのフォームで、オイカワさんが酒粕の山に全身でダイブしていった。まるで泥んこ遊びにいそしむ幼児、はたまた砂浜で砂に埋まるパーリィなピーポーのように、きゃっきゃとはしゃぐ余裕も見せつつ、オイカワさんは酒粕に埋まっていく。

 ……いや、可愛らしくは有りますが、この……何とも言えない臭気と、やや微妙な色味で、その……ちょっと感想を申し上げ難い様子になっているというか……

「ふふふっ、たーのシーデスよ~~、飯野さんもどうデスか?」

「いやお断りします」

 しばらくオイカワさんはじたばたもぞもぞ、酒粕と戯れつつ、顔だけ露出した状態になり、しばらく経ってから――オイカワさんが時計をちらりと見て、満足げに頷いた。

「さて、特殊フィルムの力で早速漬けおわりまシたので、出まシょうか」

ぼこ、とまるで大根か人参が畑から抜けるかの如く、オイカワさんが這い出てきた。全身にもったりと酒粕を付着させ、強烈な臭気を纏いながら、ぺたぺたとこちらに近付いてくる。

「では飯野さん、私に付着シた酒粕を拭って頂けませんかね」

「え、あとは風呂で流すとかじゃダメなんですか……?」

「いや、奈良漬は水で洗うと風味が損なわれるそうなので、水洗い厳禁とのことなのデスよ。折角作ったのデスから、飯野さんの手で優シく拭って欲シいデス」

「手……で……っ!?」

「では背中からお願いシますデスね」

 そう言うと、オイカワさんがぺたっとブルーシートの上にうつ伏せに転がった。……これはあれだ、漫画でよく見るけど実際には見たことは無い、海でオイルを塗ってもらう人……! いや今回は拭い取る方だけど……!

 お、落ち着け、一応オイカワさんには特殊フィルムが巻き付いているわけで、素肌ってわけではないから……!いやまあ0.01ミリのうっすいフィルムだそうだけれども、一応……素肌では……ないから……!

 これはおいしさの保持のため、奈良漬には正当な手順、と必死に脳内で言い訳をしながら、おそるおそる、オイカワさんの背中、に付着した酒粕に向けて、……皮膚には触れないよう集中して、手の腹をすべらせ――……

「……ん!?」

 酒粕が剥がれると共に、黒いフィルムが溶けるように削げ、オイカワさんの背中が露出する。鼈甲色に染まって艶めき、短時間で確かによく漬かって……いやそうではなくて……!

「オイカワさん、あのフィルム剥がれて……溶けて? ませんか?」

「そうデスよ~~、最初に説明シたではないデスか。フィルムが食べられない材質デスと、どうシても異物混入に繋がりますからね。なんと丁度良いタイミングで、実験結果や風味にも一切影響する事無く自然に溶解するのデスよ、便利でシょう~~」

「い……ええぇ……っ!?」

 そんなこと言ってたっけ……!? と思ったが、そうか、このフィルム姿で出てきた時、何やらいろいろ自慢げに語ってたけど、身体の線がストレートに出過ぎて直視しないように集中してたんだった……!

 困惑しつつも、なんとか背中の大部分を終わらせる。フィルムはほぼ溶けて消え、茶色とオレンジの中間のような、暗色なのに明るさが感じられる色合いに染まった背中が現れていた。……そして当然だが、滅茶苦茶酒臭い。アルコール臭がする、ではない。ダイレクトに、酒臭い。

「あ、背中終わったんデスね~~。では先に上半身を終わらせたいので、表側お願いシますデスよ」

「おもて……!?」

 オイカワさんがごろんと仰向けになり、上体をすこし起こした体制を取ってくる。まだ表面を酒粕で覆われているのであれだが、……あの、この状態からさっきと同じことをしろと……?

「ではよろしくデス~~」

「ん~~……!」

 くらつく頭で、腹部から酒粕を拭っていこうとする……が、背中と違ってめちゃくちゃやりにくい……! そうか、腹部の方が背中に比べて柔らかいから、皮膚に触れないギリギリが物凄く攻め辛いっ……!

「……っ、」

 ……朦朧とした意識の中、腹部を覆っていた酒粕の処理をどうにか進めて、背中と同様、フィルムも剥がれて、謎に芸術的な腹部が露出して、……それはつまり、次は――

「ではそのまま、上半身全部もお願い致シます~~」

 朗らかに言い放つオイカワさんの前で、正直意識と瞼が落ちかけて、回らない頭で、やらないと終わらない――その一心でただ手指に神経を注ぎこみ、――胸部の酒粕を除去しにかかった。……これまでと違って、皮膚の表面に触れないようにというだけではない。ここには絶対的に触れてはならない、かつ特殊な形状の箇所が、先端にある……!

 少しずつ、落ち着いて、穏やかに、焦らず――……なんとかオイカワさんの胸部に、絶妙に触れることなく拭い去ってゆく。

 ……何というか、ブロック崩し……いや、高度かつ間抜けな棒倒しをしているような気分になってくる。これが紳士の遊びってやつなんですかね……いや落ち着け、余計な事を考えるな、あと少しで、なんとか――

 人は、終了間際にどうしても気が緩むという。目測を誤った中指が、突起部分に引っかかったようで、

「ひゅあっ」

「……!?」

 オイカワさんがぴくっと跳ね、聞きなれない高い声が漏れ、――それがトドメとなったのがどうか、俺の意識はそこで途切れた。


「大丈夫デスか、飯野さん?」

「……!?」

 目を覚ましたのは、見晴らしのよいリビングの窓から、すっかり夕暮れの光が差し込むころだった。まだくらつく頭を押さえつつ、ソファから身を起こす。

 再び水色のツナギを着たオイカワさんが、サイドテーブルに水の入ったグラスを置いてくれた。

「あ、あれっ……その、え」

「すみません、日本では未成年はアルコールの摂取が望まシくないのでシたね。未成年者飲酒禁止法及び酒税法からすると、飲料以外は問題ないのかと思っておりまシた……いや実際法的には問題はないらしいのデスが、身体にはよくないデスよね。申シ訳なかったのデスよ」

 オイカワさんがしょぼん、と項垂れた。……そうか、俺は酒粕の相当なアルコール臭とか、……その他諸々にやられて、意識を飛ばして倒れてたのか。

「いや、その……こちらこそ、途中で……すみません」

「いいえ、飯野さんには無理をさせてシまいました……」

「そんな、オイカワさんにはあれだけいろいろ用意して下さったのに、俺のせいで」

「そうデスか? それじゃあもう一度、やらないかデスよ」

「やりません」

 なんだかんだで上手く漬かる事は出来たのか、首から下が鼈甲色にてかてかと染まり、アルコール度数5 %を軽く超える仕上がりとなったオイカワさん。奈良漬よりははるかに酒まみれであるものの、食品でさえあれば未成年が食べても法には触れないらしいが、オイカワさんが俺の健康に影響があってはと、割とあっさり引き下がってくれた。

 ……そして翌日以降、学校で「何か異様に酒臭い」「芳醇な香りが漂っている」ということで割と騒ぎになった。何故かオイカワさんが発信源だとは誰も気が付かなかったため、教師の間ではなかなか大事になっていたらしい……何か、すみません……

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