第21話 ロースト
恐らく〝本来のもの〟であろう姿を取り戻した、海辺から。
少し離れた場所に、今や再び吹く荒れた風と、陽射しを避けるため、簡易的なテントが作られていて。
そこで、オーサンは地べたに何か敷きもせず、座り込んで俯いていた。
いつものおしゃべり好きが、何も言わず疲れた顔をしていると――いかにも気の強そうな女性が、声をかける。
「………オーサン、アンタ、大丈夫かい?」
それは、以前に立ち寄った集落のリーダー・アラニ。
オーサンは返事するため、ゆっくりと顔を上げ、口を動かす。
「ああ……アラニか。……ああ、大丈夫さ……なんてこた、ねぇよ」
「……アンタがそう言うんなら、いいけどサ」
何か言いたそうなアラニだが、腕組みして考えた後、話を変えることに決めたらしい。
「それにしてもサ――灰色でも真っ黒でもない海なんて、初めて見たよ。近づけば、水も透明だし……アンタ、初めて見た時、この海がキレーな青に見えたってホントなの?」
「……ああ、あん時ゃ……それどこじゃなくって、あんまり覚えてねぇんだけどな」
「そっか。今は風のせいなのか、雲のせいなのか、陸側の
「……はは、なに、俺にだってわかんねぇさ。…………」
「…………オーサン」
場を明るくしようと
「海に行くって話、聞いた時にサ……あんなモン見てどうすんだい、なんて思ったモンだけど。でも、今はちょっとだけ、分かる気がするよ。そりゃ最初は、何かの使命だとか、アタシらにゃ及びもつかない、大きな事情があったのかもしれない……けど、アンタと旅を続けてきて、きっと、別の理由ができたんじゃないかな」
「………別の、理由?」
「ああ、あの子は―――ローストちゃんは、アンタに、青い海を見せたかったんじゃないか、って」
「……………!」
アラニの言葉に、オーサンの体が小さく震える。
ぎゅっ、と自身の腕をゴツゴツとした手で握る彼を見て、アラニは励ますように続けた。
「だからサ……いつまでもアンタが、そんな顔してちゃ、いけないよ。しっかりしなよ。そうでなくっちゃ……そうで、なくっちゃサ」
「アラニ………」
「ローストちゃんも……心配、しちまうよ……」
そこで俯き、片手で顔を覆ったアラニに―――オーサンは少しだけ口の端を緩めながら、答えた。
「ああ……そう、だな。ローストに心配かけちゃ、いけねぇし……俺らしくねぇって、笑われちまうかもな」
「……うん、そうだよ……そうサ、オーサン」
「まあ俺、ローストの笑った顔……見たコトねぇんだけどよ。ったく、ずっと無表情でよ……仕方ねぇヤツだよな、ガハハッ。………ッ」
ほとんど空元気の、小さな笑い声。
大きな右手で、自身の疲れた顔を覆いつつ、眉間を指で
座ったまま、オーサンは―――――
左手側に、声をかける。
「んで、ウメェかい? ロースト」
「もぐもぐ……ン。うめぇ」
「そうかい………そいつぁ、何よりだよォ………はァ~~~………」
「?」
盛大にため息を吐くオーサンに、こてん、とローストは首を傾げつつ、それでも食べる口は止めない。座り込む少女の下には、こちらも簡易的ではあるが、しっかりと寝転がれるほどの長いシートが敷かれている。
さて。
海を浄化した直後、ローストは、確かに眠りについた―――
―――が、三日後に目を覚ました。それが今朝方の話である。
片手で顔を覆っていたアラニが、全く、と呆れた声でオーサンを
「ホンット……心配しすぎなんだよ、もう! 別に息が止まってたワケでもなかったのにサ! ローストちゃんも呆れちゃうよ!?」
「だって……だってよォ!? 三日だぜ、丸三日! あんなよう分からん力まで使って、もしかしたらもう、目ぇ覚まさねぇんじゃないかって……俺ぁ、心配で心配でよう……仕方ねえだろ~!?」
「ああもう、イイ歳した大男が、むさ苦しいったらないサね! 知らせを受けて、慌ててやってきたら、コレなんだもん―――」
「……あ、あの、アラニさま……こっちの仕事、終わりましたけど……」
はあ~、と更に大きくアラニがため息を吐いていると、割り込んでくる声が――それは以前、オーサンとローストを襲った賊にして、三人家族の母親だった。
そんな彼女に「おっ」とアラニが声を弾ませ、会話する。
「やあ、手際がイイねぇ、助かるサ! はあ、アンタにも手間かけさせたねぇ……オーサンからメッセンジャーとしてウチの集落に来た時は、てっきり賊の襲撃かと思って、全力で撃退しようとしちゃったよ!」
「ハイ………殺サレルカト、思イマシタ………」
「アハハ! でもアンタは避けてたじゃない、見事なバイク
「ひぃんっ………」
豪快に笑い飛ばすアラニに、怯えて縮こまる女性――と、〝仕事の話〟に戻り、アラニはリーダーの顔で話を続けた。
「さて、まさか海がこんなになるなんてねェ。これからどうなってくのか分かんないけど、環境はコッチの方が明らかに良くなってるし、集落ごとコッチに人を寄せて移住するサ。奥さんトコの集落、全滅しちゃったのは気の毒だけど……ここから近いし、拠点に使えるのは正直、助かる。潮風ってヤツはヒリヒリして、乙女の肌には大敵かもしれないから、少しは離れないとね、アハハ!」
「………。えっ、あっ。……あ、あはは」
短いとはいえ賊をやっていた割には
「てなワケで、アタシらは仕事に戻るサ。拠点を繋いでいけりゃ、人も増えて、いずれ大勢を
「まだ疑われてんのかァ~俺ェ~……」
恐々とするオーサンに、「アハハ」と笑って(決して撤回はせず)去っていくアラニ。
……さて、そうして二人きりになると。
ふと、オーサンは、考える。
〝ローストは本当に、もう大丈夫なのだろうか〟と。
出会った時から不思議で、今もなお純白の、儚く消え入りそうな細い体。
あの黒い海に
いつかまた、出会いがあまりにも、突然だったように。
突然に、消えてなくなってしまうのでは―――
などとオーサンが考えていると、不意にローストは食べる口を止め、彼を見て。
「ロースト――――ロースト、わたし」
「おっ? オ、オウ、分かってるけど、急にどうした――」
突然の名乗りに、オーサンが戸惑うのにも、構わず。
ローストは珍しく、はっきりと、告げた。
「もう、
「! ………………」
その言葉の意味が、オーサンに、明確に理解できるはずもない。
けれど、それでも―――オーサンは、ニッ、と笑って。
「そうかい、そいつぁ―――何よりだぜ、ロースト!」
「ン。なにより」
「だな! ガッハッハ!」
つい先ほどまで沈んでいた、オーサンの口から、いつの間にか。
いつもの豪快な笑い声が、響いていた―――………。
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