第1章 17 画策
脱獄後、翠蓮に導かれてやって来たのは、古びた下宿であった。本当に古い。レンガ調でレトロな風情と言えばそうかもしれないが……蜘蛛の巣やらカビやらが外壁に繁栄している。本当に、こんな所にダルマンが居るのか? こんな環境じゃ、治る怪我も治らないぞ……。
「……早く来い」
「あ、あぁ……」
「おや、もう来てくれたのかい?」
「お久しぶりっす、船長……」
「……すっかり痩せてしまったようだが、体調はどうだい?」
「あぁ、そっちは別に支障ないです……多分」
船長は……まぁ相変らずっぽい。しかしながら目を引くのは、頬が血で汚れている事。それには見慣れない。外傷が無いので恐らく返り血だろうけど……彼女にも何かあったのは明白。ここにも、あの様な怪物が来襲したのだろうか……。
「あの~……船長、ほっぺたに血が……」
「ん? あぁ本当だ。見苦しいモノを見せてしまったね」
「い、いやいや、大丈夫ですよ」
「……船長、ダルマン氏の様態は?」
「襲撃を受けた際の揺れで、少々傷口が開いてしまったらしい……この先どうなるか……」
「……やっぱ、ココにも怪物来たんすか??」
「その口ぶりは……やはり監獄にも来たんだね」
「はい……そいつにネロとメアが」
「……こちらはダルマン氏への追い討ち目的だった……本当に抜け目がない。収容情報や生存情報が、何処かから漏れたんだろうね」
「今後も警戒は怠れません……次はいつ来るか……そしてその時まで、彼の命が持つかどうか……」
「えっとぉ、よく分かんないんすけど……そもそもなんで、こんな所にダルマンが居るんすか? もっと設備良いトコあるでしょ?」
「……元々は雲隠れの予定だったんだよ。所在地がバレてしまった以上、もう意味を成さないね」
「ならこんな所に居てないで、ちゃんとした病院に移しましょうよ……」
「無理だ。ダルマン氏は知っての通りの体躯……」
「お前には怪力があんじゃん。それでも持ち上げらんねぇのか?」
「……慎重に搬送する必要がある以上、怪力どうこうの話ではない」
「なら…………翠蓮、ちょっとそのメガネ叩き起こしてくれ」
「……良いだろう」
翠蓮は、ぐったりしたメガネを、足元に下ろし、壁にもたれさせた。どう起こすのか……少し嫌な予感がする。
「おい起きろ」
破裂音の様な、清々しい音がした。翠蓮が、今度は彼の顔面に平手打ちをかましたのだ。それはそれは激しい音がした。パンという様な高い音だ。
「がはっ! い……痛い」
「冴根、起こしてやったぞ」
「あぁありがとう……なぁアンタ、俺から没収した物があるだろ? ほら、牢屋にぶち込む前に、服と一緒に没収した小っちゃいヤツ……あれ取って来てくれよ」
「ぼ、没収……あぁ、あのよく分からん板か? 何故そんな事を私が……」
メガネは、自身の歪んでしまったフレームを気にしながら、やはり気丈に振舞っている。この状況でもそういった横柄さは、流石というか、鬱陶しいというか……。
その時、翠蓮が彼の顔のすぐ横に目掛けて、足を振り下ろした。
「ひぃ!」
「ごちゃごちゃと文句を言うな。貴様にはまだ”罪が残っている”。罰で償わせても良いが……さてどうする?」
「す、すすすぐ持って来ます!」
そんな調子でメガネは走って監獄に戻って行くのだった。
「ところで冴根くん。どんな策があるのかな?」
「ゲーム機の中に入れて運びます」
「なるほどそうか。そういえば、そんな機能もあったね」
船長がニコリと笑う。思わずドキッとするような表情だ。俺は慌てて目線を逸らした。
それから程なくしてメガネが帰って来た。律儀に俺の服まで持っている。
よし、では早速取り掛かろう。
「ほ、本当に大丈夫なのですか?? フレア殿……」
「えぇ、我々に任せて頂きたい」
俺が、ゲーム機を片手にダルマンに近づいた。周囲の、ダルマンの御付きの者達は、一様に不安そうな顔をしている。まぁそれもそうだろう。俺なんて、ぽっと出の輩だ。信用なんてされてない。
さて一方のダルマンは、余程苦しそうな、まさに苦悶の表情を浮かべていた。巻いた包帯には血が滲み、僅かに露出した皮膚には、びっしりと汗が、そして鳥肌が立っている。
そんな皮膚に触れ、彼の震えを感じながら、そっと○ボタンを押した。
「だ、ダルマン様が……消えた? ど、何処へ??」
「一時的に、この、えっと~……”板”の中に入ってもらっただけです……病院に移動したら出て来てもらうのでご安心を」
「なんという奇術だ……あぁしかし、病院に移って、もしまた襲撃を受けたら……病院(あそこ)ですと、ココよりも目立ちますし……」
「その点に関してもご心配なく。私か翠蓮が見張り役を致します故、先の様な怪物も、さして脅威とはなりません」
「フレア様が……あぁでしたら安心です」
……それから程なくして、俺たちは病院へ案内された。そこそこ大きな病院だ。設備も整っている。
そんな院内は余程慌ただしかった。恐らく、怪物が暴れた際の負傷者の手当をしているのだろう。本当に慌ただしい。果たして病床は空いているのか……。
「丁度病床が空きました。コチラへどうぞ」
「ほら、冴根くん」
「あ、はい」
“丁度空きました”というのは、まぁつまりそういう意味だろう。“丁度死んだ”とかいう、そういう意味……。
深くは考えないようにしよう。なにより街路で、もうすでに、人は沢山死んでいる。
「ほ、本当にダルマン様を運べたのですね……何と言う事……」
「では先生、よろしくお願いします」
担当医は小太りの初老男性であった。彼は短く「えぇ」とだけ答えて、それから直ぐに機材などを整えていった。
もう脱獄出来た。本来ならもう、ダルマンとは関係無くなった訳だが……もう今更、赤の他人の様な気もしない。助かるんなら、その方が良い。
その後は、すぐ寝室に向かった。今考えてもしょうがない事ばかりなんだ。船長も今は休んで、と言ってくれた……俺は、俺が思っているよりも疲れた顔をしていたらしい……。
「おはよう。翠蓮、冴根くん」
「おはようございます……おい冴根、姿勢を正せ」
「勘弁しろよ……さっき起きたんだって……それはそれとして、船長、おはようございます」
「あぁ」
現時刻は朝一……とは、とても言えないくらいの時間帯。まもなく正午頃。久々に、しっかりとした睡眠を取れた。寝たくて寝た、と言うよりは、気絶に近かったが……。
寝た場所は船の寝室。ふかふかのベッドの上でだ。最高であった……翠蓮に叩き起こされるまでは。
そうして病院に舞い戻った。それでこうして、船長と再び合流したという訳だ。彼女は、今日も落ち着き払っている。
「で、ダルマンの様子はどうすか?」
「まだ先は暗いね……まぁ後の事は医師に任せるとして……我々には別任務がある」
「ネロとメア……出来れば今すぐ連れ戻しに行きたいっす……」
「あぁそうだね。居場所は、ルドルギーの根城だろう」
「……申し訳ない」
「大丈夫。しかしながら、衝突は避けられないだろうね」
「しょ、衝突って……まさか、戦争でもやるんすか? 何とか穏便にって訳には……」
「……ルドルギー帝は相当な武力を有し、暴政の限りを尽くしている。話し合いが通じる相手ではないよ」
確かにそうだろうけど……また人が死んでしまう……もしかしたらメアやネロも……。そもそも、何より俺が、自衛の策を持っていない。
……コベチとか、昨日みたいな怪物が他にもまだ居るんだろうし、一筋縄ではいかないだろう……。
それなら俺は、戦争には決して参加せず、遠巻きで傍観しておくのが良い。
しかし、そうはしたくなかった。足手まといになるかもしれないが、それではまるで他人事だ……。
「……無理に戦う必要は無いよ。君は君の役割があり、それが戦闘ではないだけさ」
「そう、ですね……確かに俺は戦えんっすけど……だけど……でも」
「ハッキリ物を言え」
「お、俺、ネロとメアに約束したんだよ……絶対大丈夫って……絶対助けるって……なのに俺だけのうのうとさぁ、お留守番なんて嫌だよ」
こんな事を言うのは、正直柄ではない。きっと、漫画の読み過ぎだ。それと寝不足のせいだ。
俺にしては、少々語気が強かった。翠蓮はすっかり黙り込んでしまう。何やら、俺は気まずくなった。そうして、次に翠蓮が言葉を繋げるまで、俺も黙り込む。
「……それは、プライドか?」
「……どう、だろう……そうかも、しれない」
翠蓮はため息をつく。それはそれはわざとらしく、俺から、視線をあえて外して……。
「足手まといだ」
「そ、そりゃ……だけど、俺だって何か役には立てるって……! このゲーム機もあるし……」
「ふむ。少し待とうか」
「何です?」
「妙案さ。少々、
「彼ら?」
「冴根くんと、シュタイリン氏だね」
「お、俺何でもやりますよ!」
「はっはっは。頼もしいね。さぁどうだろう翠蓮。聞いてみる価値はないかな?」
「……分かりました」
翠蓮は、やはり不貞腐れたように、今度は船長から視線を外した。
「な、何ぃ!? 私がルドルギーへ謁見!?」
「騒ぐな」
船長との話し合い後、俺たちはすぐさま”憲兵所”へ訪れた。現代の交番……というよりは警察署に近いか。所内には、当然シュタイリンが居る。
先日の、監獄襲撃事件の後始末の仕事に追われ、よほど忙しそうにしていたが、
「な、な~にを考えているのだ……! そんな事、出来るわけが無いだろう?! 私は、あの男に目を付けられている! 眼前に立てば、何をされるか分かったものではない……」
「構わん」
「お、おいおい……」
「お前は、冴根仁兎を城に送り届ければそれで良い」
「サエネ? あぁあの小僧を……? よいのか?」
「何がだ?」
「奴もまた、ルドルギーに
「……構わん」
「そうか。ならいい。協力しよう」
「……決行は早い方が良い。明日だ」
「ははは! あぁ良いとも。共に、最高の革命としようじゃないか! ははは!」
「……失礼する」
話し合いは、概ねそんな感じで終わった。戻って来た翠蓮が、何やら浮かない顔をしていたのが気がかりだが、きっと気のせいだ。むしろコイツは、いつも難しい顔をしている。感情なんて、とてもじゃないが読み取れない。
その日は、あっという間に夜になった。きっと普段と変わらないのに、悶々と考え事をしていると、どうにも秒針は早く進む。
……こういう事を考えているから、時間が無駄になるのだろう。
しかしながら、この町は、いつ何時も夜と言う感じがしない。先日人殺し事件があったというのに、街灯の明かりが霞む程に、夜の町は賑やかで鮮やかだ。風情なんて普段興味ない俺が、思わず散歩に興じてしまう程である。
「あ」
「おや、どうしたんだい? こんな所で」
船長と出会った。まさかこんな所で、と、僅かに面喰って思わず呆気に取られた。それに”こんな所でどうしたの?”というのは、こちらのセリフだ。彼女が、こんな治安の悪い時間帯に、こんな場所をうろつくなんて、いったいどうした事だろう。
「翠蓮が見張りを代わってくれてね。折角ならと外出してみたんだが……う~ん、私には些(いささ)か不適合な場所だったようだね……」
「そ、そんな事ないっすよ……多分」
「……そうだ。一緒に見て廻るというのはどうだろう」
「え……? 一緒に?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます