第1章 16 脱獄の空
もう、暗闇が怖いだのという感情は無くなっていた。今はただひたすら走る。さっきの怪物が、あの二人の失踪に関わっているのは分かり切っていて……よくて誘拐……そして最悪の場合は食われたか、それとも……これ以上、考えるのは止めた方が良い……。大丈夫。きっと生きてる。
「はぁ……はぁ……あ……!」
居た……さっきの奴だ……! ノロノロとしてるもんで、なんとか追い付けた……。
結局、道中に二人の死体は見当たらなかったな……。
ていうか、生きてたとして俺一人で取り返せるモノなのか? アイツは凄いガタイで腕っぷしは立ちそう……そもそも二人はどうやって攫われた? 麻袋とかは持ってないっぽいが……。俺のゲーム機みたいに収納出来たりするのか? そういう特殊能力とか?
そうやって、色々と思考を巡らせた瞬間だった。
ソイツが、突き当りで途端にドタバタと暴れ始めた。物凄い地鳴りと共に、ゾッとするような悲鳴まで聞こえる。何だ……?
「おりゃおりゃあ! 邪魔すんだらぁ吹っ飛ばすぞぉ!」
「あ」
背よりも高く血飛沫が上がった。そして更なる悲鳴も聞こえる。まるで豆腐でも、はたまたトマトでも潰すように、あの怪物は人を潰して回っていたのだ。
「なんだ……何なんだアイツ……」
このまま、何処へ行こうと言うのか……看守を一網打尽にした前方の怪物は、先程までよりも速度を上げる。速い……。
俺は全く追いつけず、とうとう足が言う事を聞かなくなる。
「はぁ……はぁ……」
怪物の後を追って数分。とうとう、俺は監獄の、正規の出口の目前まで辿り着いた。怪物はもう監獄の外へ……。
明かりの無い廊下は足元が見えずらく、倒れ込んだ人達の身体や、そこから溢れる血溜りに、一々足を取られる。
「くそっ……何なんだ……」
そうして唯(ただ)ひたすら走る。そしてとうとう、俺は脱獄を果たすのだ。外はまだ夜……空は深い緑色で、厚い雲が漂っている。しかしながら、監獄の敷居を跨いだ丁度その時には、上空の雲の隙間から、夜空の光が差し込んできた。
「わ」
さらにその時だ。目の前に、一本の腕が飛んで来た。太くてデカい、丸太の様な腕だ。脂ぎっていて、悪臭がする。
その腕が俺の真横に転がって来て、真緑の血を撒き散らす。おおよそ人の腕でも、人の血でもない。
そう判断した拍子に、俺の前を走っていた怪物が急に身を低くした。そしてドシンと音を立て膝を着いた。当然、進撃もそこでピタリと止まる。
「おぉ……おぉ~!! いてぇべぇ!!」
怪物は低い声を漏らしながら悶える。その時、奴を越えた向こう側から、聞き覚えのある声もしたのだ。
「貴様がそうか。これで三体目だ」
今の声は……。
「す、翠蓮!」
怪物は小刻みに震え、尚も悶えている。
今の太い腕は、やはりあの怪物のモノだったか……も、もしかして、翠蓮が怪物の腕を斬り飛ばしたと……? まさかな……。
「てめぇ~、いでぇじゃねぇが~っ?! おらさ先急いでんだがぁ……そこさ退いてく……」
尚も喋り続ける怪物の、その言葉を遮る様に、ノコギリで切断する様な、ギコギコという様な音がした。その拍子にもう一本の腕が飛ぶ。青紫の血飛沫も上がった。
また怪物の腕が切断された……やはり状況を視界に捉える事が出来ないが……翠蓮ってこんなに強いのか……? つーかノコギリで、戦ってんのか? 刀は?
「い、いでぇ……いでぇよぉ……」
怪物が、再び暴れ始めた……というよりは、のた打ち回り始めた。痛みに耐えられなくなったのだろう。
「ちっ……騒がしい奴だ」
「す、翠蓮! ゴホッゴホッ……」
「……ん? 冴根? 無事だったのか。メアは? ネロは何処だ? お前だけか?」
「ふ、二人が、その怪物に攫われて……!」
息がすっかり上がって、思考もまともに出来ていない。呂律も回らん。おまけに焦っていた。そんな俺には、いち早く伝えなければならない事があった……。しかし、一瞬、遅かった。
「何……?」
「いでぇ……あぁぁいでぇ」
怪物が声を漏らす。腕を斬られただけでは生きていたか。
彼女の足元でもぞもぞと動き始め……何をしてんだ? 反撃の様子は無い。もがき苦しんでいるだけか?
「ちっ……岩盤に
翠蓮が血相を変えそんな事を言う。岩盤に潜るとは……? 瞬時には意味が分からなかった。しかしその言葉通り、この怪物は地面に潜って行った。さながら水に沈んでいく様である。
翠蓮は逃がすまいと、咄嗟に刃を怪物に突き立てるが……敗走する怪物の背に、僅かに刺さった程度で、大した致命傷にはならなかった。
そうして、結局逃げられたのだった。
「……ふぅ」
翠蓮は腰を下ろし、そして短く息を吐く。近寄りがたい感じで……。仲間を連れ去られたのだ……それはそれは、彼女の心情の疲弊など計り知れない……。大方の責任は、俺にあるというのに……。
「ごめん……俺が、二人を連れ出してたら……」
「……関係ない」
「違うんだ……俺が檻で待たせたから……」
「……そもそも、ルドルギーは、お前らを殺す気など毛頭ない」
「な、なんで分かんだよ……!」
「此度の監獄襲撃の目的は、まず間違いなく戦力補強だ。その為にお前たちを狙った……昼間にも言っただろ。殺す筈がない」
翠蓮はそう言うが、証拠なんて無い。だから不安も取り除かれない。万が一の事を、どうしても考えてしまう。
しかし、彼らに死んでいて欲しくはない。今は、翠蓮の憶測に便乗していた方が、よっぽど心が楽だった……。
その頃、ようやく監獄の方から、けたたましいサイレン音が鳴った。監獄の外壁にはライトも備わっており、真夜中の町を照らした。
監獄前には、そして街路には、大量の死体が転がっていた。これらも全て、先ほどの怪物が殺していったのだろうか。死体には、看守が何人も含まれていた。
「……無事だったか……」
俺たちに、とある男が話しかけてきた。メガネの……あの憲兵だ。見慣れない背広を羽織っている。逃げ出した俺を、捕まえようとでもして来たのだろうか……? ともかく今はそんな気分じゃない……。
しかしどうやら、向こうもそんな気分ではないらしい……。
「俺を、捕まえに来たのか?」
「……いや、もういい」
「……”もういい”って、何だよ……俺がどんな思いでこの一週間過ごしたと思ってんだ……」
「お前たちは、三人揃っていて初めて価値があるのだ……だのに、過半数をも連れ去らわれて……計画は台無しだ」
メガネはどしんと膝を着いた。そうして深いため息をつく。俺らが逃げ出し、怪物が暴れ、部下が死んだ……この惨状によって、よほど傷心してしまったらしい、が……とても励ます気にはなれない。自業自得な面もある。
がしかし、そんな偏屈な俺の代わりに、翠蓮が駆け寄った。初対面には優しいタイプなのだろうか……。
「貴様がこの町の憲兵長か?」
翠蓮は、そんな語り口で、落ち着いた声色で問いかけた。
「……あぁそうさ。君は……見慣れない子だね。隣島の子かな? サインでもやろうか……?」
「どうでもいい」
翠蓮が、メガネの顔面に踵(かかと)落としを決めた。瞬時、何が起きたか、ちっとも分からなかったが……メガネは顔面を地面に埋め、そしてすっかり気絶してしまうのだった……。かなり鈍い音もしたが……まさか死んではないよな……。
「お、おい翠蓮……? どうした? 何で?」
「……救済だ」
「……そ、そうか」
「冴根、お前は一人で歩けるか?」
「ま、まぁ……一応」
「そうか。なら良い」
そう言って翠蓮はメガネを担ぎ上げた。やはり軽々、ひょいと持ち上げるのだ。こんな小柄な体格の、何処にそんな剛力が潜んでいるのか……。
彼女はそそくさと歩き出す。目的地は分からない。
「お、おい……何処行くんだよ……」
「……船長と合流する。ダルマン氏ともな」
「だるまん……って、生きてたのか??」
「辛うじてだ。ともかく急ぐぞ……」
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