第1章 15 夜半
翠蓮との面会の後、すぐに牢屋への帰路についた。未だ肋骨が痛むと言うのに、相変らず手荒な扱いを受ける。腕を引っ張られ、よろめくと肘で突かれた。死刑囚への遠慮は無い。横をチラ見しようとするだけで彼らに厳しく注意される。
さて、そんなこんなしてたら牢屋に戻って来れた。
牢屋の中では、壁に背を預けた状態のメアが、スースーと寝息を立てている。現時刻はもう夜……そうか、もう夜か……かなり長い間面会していたらしい。
「俺も寝るか」
牢屋の床は硬くて湿っぽい。そんで臭い。こんな環境で、いざ寝ようとするならば、やはり床との接触面積を出来るだけ狭める事が好ましい……。故に、彼女の様に壁にもたれて寝るのは大正解。
座って寝るのは健康上いかがなモノかと思うが、それでも寝転がっていたら寝れはしない。ひたすら臭いのだ。髪や顔に妙な匂いがついてしまう事もマイナス要素だ。
……まぁ本当は皆、ゆっくり横になりたいのが本音ではあるが……。
さてそんな事を考えていると、牢屋前に誰かがやって来た。見回り役の看守だ。何やら慌てた様子……そういえば、もう消灯の時間か……このままでは叱責されてしまうな。
「おい貴様ら!」
「あぁすいません……すぐ寝るんで」
「違う! そんな事はどうでもいい……三人全員居るか??」
「え……あ、はい」
ソイツは、何やら身に覚えのない事で慌てていた。念入りに、うちの牢屋内を見つめている。そして俺たちの人数を数え始めるのだ。何だなんだ。俺が居ない間に何かあったのか?
生憎俺たちに騒ぎを起こせる手段は何も無い。疑うだけ無駄だ。本当に無駄だ。容易くは逃げ出せないのでぜひ安心してほしい。
「何かあったんすか?」
「そこの女を起こせ。そっちのガキもだ」
「あ、あの……説明を……」
「そんなモノは後だ……! ココが
襲撃……? ”ココが”って……まさか俺たちが襲撃されるって? なんだか少し不穏じゃないか……。
もしかしたら、ダルマン殺しの容疑者である俺たちを、ダルマン派の過激な奴らが、仇討ちで殺しに来たって可能性もある……。
さて、どうやらこの看守は、俺たちを何処か安全な場所に移そうと計っているらしい。優しい奴だ。しかし、どうしてこの人は一人なのだろう。三人もの死刑囚を移動させるのには明らかに人手不足だ。襲撃者とやらの対処に人員を割かれているのか?
「手錠は……よし。人数もいいな」
「あの~、三人も連れてくのに看守さんは一人なんすか? 大変すねぇ」
「は? オレは一人じゃな……あれ?」
看守は後ろを振り返り、ようやく自分の状況を理解した。そうだ、お前は一人だ。驚いた調子から察するに、途中までは複数人いたのだろう。どこか途中でハブられたのだろうか? 不親切なお仲間だ。
彼は、他の看守を探しに、暗闇の奥の方へ消えていった。
この際、牢屋のカギをうっかり開けっ放しにしておいてくれたら助かるんだけどなぁ……。物は試しで牢屋の扉を押してみる。
「お」
キィと、金属と床が接触した甲高い音がする。なんと扉が開けれたじゃないか。何かの罠? いやまさか。
さぁ、これなら脱出できるぞ。有難い、が、杜撰だな。有難いけど。さっきの人は後々怒られるんだろうな。かわいそう。いや、俺らの方が可哀想だ。騙されるな。
廊下は暗く、この先に如何なる脅威が待っているのか……そんなの到底推し量れない。しかしともかく二人を移動できる状態にしよう……さっきの奴が仲間連れて戻って来る前に逃げ出さなくては。
「め、メア? 起きてくれないか? 寝たいとは思うけど……」
彼女は中々起きない。起きてくれない。声だけでは気付かない程、深く眠っているらしい。
しかしながら、彼女の身体を揺らすのは憚(はばか)られていた。揺らす、という事は、触れる、という事だ。当然躊躇うだろう。ぎこちない手付きになれば、その分気持ち悪がられる。
俺はなんとしても、触れずに起こさなくてはならない。
「な、なぁメア。起きて、くれってば……」
「ん…………ん?」
「お……メア」
良かった。起きてくれた。
「え? ど、どうしたんですか……え?」
「いやいや、襲うつもりは無くって……実はな、今めちゃくちゃチャンスで、すぐ逃げれそうなんだよ」
「……ほんとですか?」
「実は看守が間抜けで檻の鍵を……は、どうでも良くて……一先ずネロを動ける状態にしといてくれ。俺はどっか抜け道探してくるから……頼む」
取り敢えずの話はここまで。メアもか細い声で”うん”と答えてくれた。
さて、では俺は言葉通り逃げ道を探さなくては……。廊下には生憎明かりは無い。これは監獄中がそうだ。間接照明くらいの淡い明りしかない。面会室からの帰り道に、既に下調べ済みだ。
俺は、そんな暗闇を前にして、幾分か恐怖していた。
もし咄嗟に看守と出くわしたらどうしよう。もし襲撃犯とやらに出くわしたらどうしよう。そもそも暗闇の中を手探りで進むのは危険だ。この監獄、かなり階段が多い。
しかし今は奮起するしかない。もう少しで抜け出せるんだぞ……頑張る以外に何をする。
俺は遂に看守も付けず、檻の外へ一歩踏み出せたんだ。
「え」
しばらく来たところで、ぐしゃりと、嫌な音を聞いた。監獄の廊下では、そのような鈍い音でもよく響く。
到底人の声ではなかったので、看守が近くに居る訳ではなさそうだけど……人の声でないなら何だったんだ? という話になる。逆に怖い。話の通じない化け物とか来ねぇよな。
これ以上進むのは危険か? なにせ、先程の音は、この廊下の奥の方から聞こえた。
「あ……ココの音だったか?」
先ほどの嫌な音を聞いてから、さらに進んだ所に巨大な穴が開いていた。どうやら外へと通じてそうな穴だ。先程の音は、ココに風穴が空いた音だったのだろうか。ともかく、ココからなら抜け出せる。
となれば、迅速に檻へ戻って彼女らを連れてこよう……ネロは果たして動けるだろうか?
それにしても、ココに来るまで一度も看守を見なかったな。これには驚いた。俺が余程の強運持ちなのか……はたまた何か、この監獄で良からぬことが起きているのか……。
「ふぃ~……うっぷ~踊り食いは骨が折れるべぇ……」
その時、俺が来た道の方から声がした。かなり低音で、とても聞き取りにくい声……。
まさか看守? とうとう出くわしてしまったか? 慌てて物陰に隠れる。幸いココら辺は闇が濃い。バレない事を祈る……。
身体を極限まで小さく丸めて、息を殺した丁度その時、やけに大柄な人影が俺の隣を横切った。鼻が曲がる程の悪臭がする……。
「おんやぁ? まだ看守がおったんかぁ? みんな殺しちまったと思ってたんだがなぁ」
隣をノロノロと進むソイツは、余程物騒な事を言った。”殺した”? 何の話だ……?
興味が先行し、その時思わず、目線を横に移してしまう。
「え」
怪物だ。あの日ダルマンを襲ったのと瓜二つな怪物……。生臭い悪臭の原因は恐らく、コイツそもそもの体臭と、その巨体に付着した返り血がブレンドしたせいだ。
丸太の様に太く、そして脂ぎった腕。ガマ蛙の様な口は大きく、端から端までで二メートルはある。背中に薄い赤色の触手が一本だけ生えており、薄い毛に覆われている。
コイツは不味い。恐らく噂の”襲撃者”とはコイツの事か……? 流石に看守じゃないだろう。バレなくて良かった。
しかしながら失態だ。恐怖で数十秒動けなかった……俺は早く独房に戻って、二人を誘導しなくてはいけないのに……。
それにしても、奴がやって来た方向が気になる。それにあの返り血は…………急いで戻ろう。嫌な予感がする。
暗闇かつ慣れない道筋だというのに、俺が道に迷う事は無かった。極限状態なのもあってだろう。すごいすごい。柄にもなく、脱獄の兆しにはしゃいでいた。
「メア! ネロ! 出口見つけたぞ! 看守も全然居なかったし、俺たち抜けだせ……る……あれ……?」
誰も、居ない……。
あれ? 何で?
まさか看守たちに連れて行かれて……とも思ったが、ここに戻って来るまでに、看守やメア、ネロとすれ違う事は無かった。ならその線は薄いだろう。
透明化とか、秘密の抜け道があるならワンチャン……まぁありえんだろう……。
……それにしても、一度外の空気を吸い直した後だと、やはりここは鼻が曲がる程の悪臭だな……。こんなに臭かったか? 少し違和感が……。
……あぁそういえば、さっきの怪物もこんな匂いだったな。
そういえば、看守とはすれ違わなかったが、あの怪物とはすれ違ったな……。
今この瞬間、俺は、とてつもなく嫌な予感がした。あくまで予感で断定は出来ない……いやしかし……。もしかしたら、さっきの怪物が何か絡んでいる。そうでなければ、色々と説明がつかない。
殺されたわけではないだろう。二人の死体は見なかった。
「なら攫われた……?? 何のために……」
考えるのは後だろう。今の手掛かりは奴しかいない。自ずと足が動く。恐怖はあるのに、それ以上のモノが込み上げて来るのだ。急がないと……俺は翠蓮に、あの二人を託されたんだぞ。
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