30歳になった5月~人生が大きく変わる、ゲームに脳が支配された男~
光影
プロローグ 終わりは始まり
第1話 人生の転換日
………………。
…………。
…。
「と、言う訳で君は解雇だ」
白髪頭で声が大きく女性社員にセクハラ行為を繰り返す某会社の部長は私にそう告げる。反論するのもめんどくさいし、嘘を言いふらし既に外堀を固めている部長に対抗しようなんて労働力の無駄だ。
「だが、君を今日付けで解雇にすれば君も生活が困るだろう。だから最後に有給消化に入りなさい。その間に次の職場が見つかることを願っている」
いったいどの口が言うのだろうか。
某企画の経営戦略が上手くいかず会社に対して出した損失の責任をプロジェクトリーダー兼課長代理である俺に全てなすりつけトカゲのしっぽのように切り落とした癖に。
大学卒業後新卒入社で入社し実績を上げ去年課長代理に出世した。
しかし給料は基本給が1万しかあがらず、立場以上に年功序列で賃金が決まる中小企業での高望みは既に間違っている。
それでも人間関係だけは良かったので頑張って務めていたのだが、半年前グループ会社から出向してきた部長が拠点長となってからは俺の社会人人生に大きな影響を与えた。
「…………」
「なにか言いたいことでもあるのかね?」
「いえ……ありません」
女癖が酷く男性管理職は使い捨ての道具のように扱う部長。
噂では俺が今いるポストにお気に入りの女の子を座らせたいらしく、二か月程前から無茶難題を命じられていたが部署全体の残業時間を調整することで人件費の削減に努め営業利益とは別に会社に対して利益を齎し貢献してきた。
若くて器用な男と言うのが見ていて嫌いだと思われる部長は自ら立ちあげたプロジェクトのリーダーに俺を起用した。
妙だと思ったがこれも上司命令で仕事。
そう思い、責任感と義務感で業務に務めていたのだが突然の営業先との関係悪化。
当時見込めるはずの利益がなくなるどころか、先行投資に投じた経費と相手方への賠償金と大きな赤字を出してしまう結果となった。
その額――わが社の四半期分の営業純利益額に匹敵する。
そのことから俺は降格の人事を会社から受けたのが、それでは甘いとこの男ありもしない噂を流して社長や役員たちに俺への印象操作にまで手を出し解雇に追いやってきた。
社会人になればわかるのだが、会社相手に理不尽だから戦うとなれば世間のいう口先以上に膨大な時間と体力、そして世の中よく出来ていて最後は財力の勝負になる。
裁判だって無駄に長引かされれば当然個人と企業では個人の方が負担は大きく勝ち目は薄れていく。ここは優秀な弁護士がどうとかの問題ではなく、単純に企業との財力の勝負ができるかが根本にあるからだ。
そんな理由もあり俺は今月いっぱいで退職することに決めた。
本当は懲戒解雇にしたかったみたいだが、今までの俺の実績からそれはあまりにも可哀想だと言う社長のお声で退職金はないが有給休暇はせめて使わせてあげようじゃないかという配慮らしい。
社長や役員も大変だったと思う。
親会社の役員でもありグループ会社でもかなり影響力を持つこの男が――暴れて。
こうして渋々ではあるが、デスクの整理をして俺は新卒で入社し今までお世話になった会社を去った。
帰り道。
「この帰り道も今思えば懐かしいな」
普段は何とも思わないただの風景でしかない帰り道。
なのに今日はとても懐かしく寂しい気持ちにさせられる。
走馬灯のように会社での懐かしい記憶が脳内再生される帰り道を歩く俺はこれはこれで良かったのかもしれないと今まで背負ってきた肩の荷をソッと降ろす。
生活はしばらく生活保護に頼る形で食いつなげばなんとかなると明日以降の不安をそこには混ぜないようにした。
「もうすぐ五月……」
一月前と比べると随分暖かくなってきたなと思い歩きながらネクタイを緩めスーツの上着のボタンを開ける。
あ~、涼しい、と感じていると目の前に綺麗でお高い衣服に身を包んだ一人の女性が困った様子で川の中を見ていた。
「…………」
大変そう。
お世辞にも今は心が疲弊し人助けをするだけの気力がない俺は見てみぬ振りをするか声を掛けるか迷っていると逆に向こうから声を掛けられる。
「あの……」
「はい?」
立ち止まって女性の話しを聞くことにする。
声を掛けられた以上、大人として当然の対応である。
もっと言えば営業マンとしての悪い癖で相手の動向や言葉を無意識に頭の中で分析し相手が求めている答えを脳内で模索し、
「川を見ているように見えましたが、何かお困りでしょうか?」
と、つい客先感覚で言葉が出てしまった。
職業病とは言え俺自身この場合自ら首を突っ込んでしまった、と心の中で反省するが女性の表情が少しばかり安堵したように見えたので最後まで付き合うことを決める。黒い髪を束ねて薄化粧をした綺麗目の女性は背丈が百五十センチ程度と俺より頭一個分身長が低いので中腰になり視線の高さを合わせる。
上から目線は相手に圧を与え委縮させてしまうかもしれないからだ。
なにより相手が女性の場合は異性と言うことも配慮しできるだけ話しやすい環境を作ってあげることが相手の本音を引き出しやすいと過去の経験から学んでいる。
「少し前あそこの自動販売機で飲み物を買おうとしたらカラスがお財布を奪って川に落として……それでどうにかできないかと……」
近くにカラスはいるが、そんなことあるのか?
という心の声はソッと閉まって川の中にあると言われるお財布を見てみるが降りたら上がって来れないのが目に見えてわかる堤防の高さにこれは無理だと判断する。
管轄の役所に電話するにしても17時を過ぎているので繋がらない。
そうなると後日対応となるわけだが、当時者からすれば大事なカードなどもお財布に入っていてそれどころではないと言うことは簡単に見て取れる。
だが客観的に見れば、川に入るにはまず五メートルほどのフェンスをよじ登ってそれから高さ八メートルの堤防を下らなければいけない。
泥棒が盗むにもアソコにお金が入ったお財布があると言われない限り誰も見ようとしない場所のことから気づかれて盗まれるリスクも少ないと判断できる。なによりこの川はヒルとか人間にとって良くない生態系が住み着いていることは地元の人間なら誰でも知っているので入ろうとすら思わないだろう。
なので、俺はそのことを女性に説明する。
できるだけ丁寧に、そして相手の冷静さを欠如させないように慎重に言葉を選びながら。
すると、女性は言う。
「だけど……お財布がないと手持ちにお金がなくて困ってるんです……それにまだ大事な用事もあって……」
要は何かをするためのお金すらないと言うわけだ。
仕方がないと、俺はポケットからお財布を取り出す。
だけど万札しか入っていない。
これは生活費で貯金がなく今月までしか給料がない俺には貴重なお金。
脳内で目の前の女性と生活費を天秤に掛ける。
すぐに秤は傾き、答えは出た。
「これ、使ってください。返さなくていいので」
一万円札を一枚取り出して渡す。
困った時はお互い様だし、このお金だって元はお客様から頂いた物だ。
営業マンとして何が正しくてこの場に置いての行動はどうするべきかは考えるまでもない。目の前でお客様が困っていたらそれを助けるのが一流の営業マンであると尊敬する営業マンの方から教えを頂いた。そして思い出す。新人の頃、先方に伺う時間を間違え大変だった時「これを使え。返さなくていい。結果で応えろ」と言って一万円札をくれた偉大で尊敬できる上司の背中を。状況は違うが、俺はクスッと思い出しては鼻で笑い、因果とは巡り巡ってやってくるのだなと感じた。
あの時は、詫び菓子とタクシー代にあて全力で謝罪したことが逆に功を産み契約を取れたと懐かしい過去に浸っていると女性が口を開く。
「あのここに連絡先とお名前お願いします。それと会社名も。必ずお礼致しますので」
善意の言葉が俺の胸を抉る。
だけど営業マンとして笑顔で答える。
「お礼はいりませんよ」
「お願いします!」
「…………いりませんけど」
「お願いします!」
女性の勢いに負けた俺は渋々連絡先と名前そして……××株式会社(4月末で一身上の都合により退職予定)とメモ帳に記載した。
会社の評判が上がることは悪くないかとポジティブに考えもう必要もない会社の名刺も一緒に挟んでメモ帳と一緒に返す。こんな紙切れ一枚が会社の評判を良くも悪くもするのか、とそんな心とは裏腹に女性はお礼の言葉とお辞儀をして近くに停まっていたタクシーに乗り込む。
急いでお願いできますか? と扉が閉まる手前聞こえた声にどうやら時間にも追われていたことに気付いた。
俺は女性が後部座席から何度も頭を下げる様子を見えなくなるまで静かに見送ってから止めていた足を再び進める。
その時だった……。
「あれ……さっきの女性どこかで見かけた気がする……」
一瞬、偉大で尊敬できる上司と一緒に出掛けた先で見かけた女性と顔の輪郭や話し方が一致したが他人の空似ということで深くは考えないようにした。
なぜなら――。
「こんな所にいるわけないからな」
という理由で――ついでに人目がなくなったことを確認して。
「人生なんてくそだぁーーー!!!」
と叫んでみた。
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