第52話 甘い物好き

 クレアのパン屋さんを目指してスタスタ歩く俺は、いつになく張り切っていた。念願の美味しいパンだ。


「パン、パン、パーン」


 楽しくて、うきうき進む俺の後ろをエルドとオリビアがついてくる。ジュースを飲んで、すっかり元気になった。ユナは、頑張って自分で歩いている。


 俺が案内すると、先頭を急ぐ。

 そうやって足取り軽く進んでいた俺であるが、なにやら後ろのエルドとオリビアが、こそこそと言い合っていることに気がついた。ひそひそ声で、俺に内緒のお話らしい。一体なんだろうか。オリビアの鋭い目線が、俺の背中に向けられているような気もする。俺、なんかした?


 ちらりと視線を投げるが、ふたりは何やら真剣だ。気になって足を止めれば、ふたりもぴたりと立ち止まる。


「……なに?」


 おずおずと見上げれば、オリビアとエルドが静かに顔を見合わせた。やがて、オリビアがこほんとわざとらしい咳払いをした。


「あの、テオ様」

「なんだ、オリビア」

「先程から同じところをぐるぐるしていますが。そのパン屋さんとやらはどちらに?」

「……あっち」


 パン屋さんがあるであろう方角を指差せば、エルドが「やっぱり! なんか嫌な予感してたんだよ」と、天を仰いだ。オリビアもなんだか苦い顔だ。


「あちらは、ついさっき行きましたね」

「そうだっけ?」


 どうやらあちらは違うらしいので、改めて周囲を見渡してみる。ふむ。まったく見覚えのない風景である。ここどこ?


 あの時は、確かユナと一緒に裏路地をうろうろしていて、それで。えっと。なんかクレアと出会って、パン屋さんに入れてもらったのだ。うーん。あの路地はどこだっけな。


 思えばあの時の俺は、迷子であった。出鱈目に歩いた先で偶然見つけたパン屋さんの場所なんて、当然ながら記憶に残っていない。


「……移転したのかも?」

「つまりどこにあるのか覚えていないんですね?」


 半眼になるオリビア。へへっと笑って誤魔化してみるが、オリビアに笑顔は戻らない。


「あのね。クレアお姉さんのパン屋さん」

「店の名前は?」

「知らない」


 まったく、と頭を抱えるオリビア。確かにクレアの名前だけわかっても、どうしようもないな。


「いくぞ、猫!」


 オリビアの小言から逃げるように、ユナを抱えて走る。「あ、こら!」と、オリビアが追いかけてくる。楽しくなった俺は、ユナを抱きしめたままどんどん進む。


『おろしてよ。また疲れたとか言って騒ぐんでしょ』

「うるさいぞ、猫」


 今度は大丈夫と気合いを入れるが、横から伸びてきた手がさっとユナを取り上げてしまう。視線を移せば、苦笑するエルドがいた。


「俺が持ちますよ」

「俺の猫なのに?」

「お任せください」


 張り切るエルドは、なんだか得意そうな顔だ。もしかして、ずっとユナを抱っこしてみたかったのかもしれない。ユナはもふもふ猫だからね。触りたくなる気持ちはわかる。


「いいよ。じゃあちょっとだけ貸してあげる」

「ありがとうございます!」


 俺は大人なので。こころよく貸してあげれば、エルドが嬉しそうにお礼を言ってきた。


「それで? そのパン屋はどうするんですか」


 ほのぼのとした空気をぶち壊すように、少し苛立った声を発するオリビア。そんなに怒らなくてもいいのに。歩きながら探そうと提案してみるが、オリビアは「店の外観は覚えているんですか?」と質問してくる。


「うーん。覚えてない」

「何も覚えていないじゃないですか」

「だって、俺まだ七歳だもん」


 色々やらかしても許される年齢である。

 しかし、オリビアは冷たい。こんなに可愛い七歳児を相手にして、遠慮なく睨みつけてくる。物騒なお姉さんだ。


「あ! 俺、お腹すいたから何か食べたい」


 空気を和ませようとして、楽しい提案をしてみせるが、オリビアの眉間の皺は消えてくれない。おかしい。美味しい物を食べれば、誰でもハッピーになれるというのに。


「パンは諦めるんですか?」

「だってまだ見つかんないし。見つけたら食べるけど。でも今なんか食べたい」

「夕飯入らなくなりますよ」

「大丈夫!」


 甘い物が食べたいと手を上げれば、エルドはすぐさま「いいですね!」と乗ってきてくれる。やはりエルドは楽しいお兄さんだ。全力で付き合ってくれる。仏頂面のオリビアとは大違いだ。


「オリビアは? なに食べたい?」


 怖い雰囲気に反して、オリビアは意外と甘い物が好きなことを、俺は知っている。にやにやと顔を見上げれば、彼女は「なんでもいいです」と素っ気ない。


「オリビアも甘い物好きでしょ」

「はいはい。好きですよ」

「やっぱり!?」


 さりげなく、俺と手を繋いでくるオリビアは、俺が突然走り出して迷子になることを懸念しているらしい。子供扱いされているようで少々癪だが、たまにはこういうのも楽しいと思う。


 テンション上がるままに、オリビアと繋いだ手をぶんぶんと勢いつけて振り回しておく。「やめてください」と、つれないオリビアであったが、やがてなんだか面白くなってきたのだろう。くすくす笑い始めた彼女に、俺の方も頬が緩んでしまった。

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