第2話 前世を少しだけ思い出す

 救いなのは、ここが比較的平和な世界であるということだ。


 俺がいた現代日本に比べて科学は発展していないが、なんか魔法のある世界である。非常にテンションが上がる。おまけに、魔獣とかいう喋る動物がいる。割と気に入っている。ユナは、庭をうろついていた所を、俺が捕まえたのだ。


 非常に不満そうであったが、捕獲してからすぐに、覚えたばかりの契約魔法を使って使い魔にした。すんなり契約できたのは、下級の魔獣だからだろう。見た目ただの灰色猫だし、不思議な能力は持っていないみたいだし。


 だが、ペットとしてはこれ以上楽しい生き物いないと思う。だって会話できるんだぞ。俺は常々、お喋り可能なペットが欲しいと思っていた。


 兄上は嫌そうな顔をしていたが、契約した魔獣が下級の愛玩用だと知れば、それ以上文句は言ってこなかった。


 そんなこんなで、七歳児らしく元気に生活していた俺は、ある日突然、前世を思い出した。


 庭に放した猫のユナを、全力で追いかけまわしていた時である。なんか、ぼんやりと思い出してしまったのは、日本という国の記憶。


 細部まではわからないが、寂れた公園でひとりさみしくブランコを漕ぐという、すんげぇどうでもいい光景がぼんやりと浮かんできた。もっと他に思い出すことあっただろ、俺。


 別に高熱出したとか、高いところから落っこちたとかでもなく。なんかふと思い出してしまった。前世らしき記憶とやらを。


 ピタリと足を止めた俺のことを、ユナが心配そうに見上げてくる。こういう時って、どうしたらいいのだろうか。わからないので、とりあえずユナを捕獲して、わしゃわしゃと撫でまわしておいた。生意気ペットは『やめろ』と、ぐちぐち言っている。


 前世をうっすら思い出したはいいが、そこから先が進まない。そもそもこういうのって、転生先が前世でやり込んだゲーム世界とか、読み込んだ小説世界とかじゃないの?


 俺、なんにも思い出せねぇ。マジで知らない異世界だよ、ここ。どこやねん。


 ぼんやり悩んだ俺は、現状維持をすることにした。特になにか危機的な状況にあるというわけでもないし、魔物が大暴れしているといったこともない。ごくごく平和な世界にて、日本人であった前世を思い出しても、特に役には立たなかった。





「なにをしていらっしゃるのですか、テオ様」

「池の水を汲んでいる」


 見ればわかるだろ。

 バケツを手に、えっちらおっちら水を運ぶ俺を見るなり、オリビアが眉を寄せる。最近、彼女はずっと眉間に皺を寄せている。老けて見えるからやめなよとアドバイスすること数回。そのたびに「テオ様がお利口さんになってくだされば」と、訳の分からない返答をされる。まるで俺のせいみたいな言い方しやがる。


「運ぶの手伝って」


 俺は七歳児だぞ。対するオリビアは十八歳。おまけに身体を鍛えているバリバリ現役の騎士である。手伝えと指示するのだが、彼女は動かない。ゆったりと腕を組んで、なにやらお説教モードである。


「この水。一体なにに使用するのか、説明していただけますか?」

「猫にかけてあげる」


 その瞬間、オリビアがすごい勢いで俺の手からバケツを引ったくった。そのまま中身を花壇にぶちまけてしまうオリビアに、俺は拳を握りしめる。


「なにするんだ!」

「それはこちらのセリフです。なんですか。その質の悪い悪戯は」


 悪戯と決めつけてくる護衛相手に、俺はムキになる。前世をぼんやり思い出したからといって、俺自身が突然成長するということはなかった。そもそも思い出したのは、この世界が俺のいた世界とは違うということだけ。前世の俺が、一体どういう生活を送っていたのか、そもそも何歳で死んだのか。肝心なことは何ひとつとして思い出せていないのだ。


 というわけで、中身は正真正銘の七歳児。やりたいことを妨害された俺は、当然のように腹を立てた。


「謝れ!」


 大声で謝罪要求するが、オリビアは怖い顔をするばかりで、謝る気配はない。むしろ眼光鋭くこちらを睨みつけてくる。


「いいですか、テオ様。ユナに水をかけてはいけません。あれは水が苦手です」

「でも暑い!」

「……はい?」


 虚をつかれたらしいオリビアが、フリーズする。今がチャンスだ。彼女の手からバケツを奪い返して、再び池へと引き返す。


 すぐさま追いかけてくるオリビアは、諦めが悪いと思う。


 ここ最近、暑い日が続いている。俺の猫は、もふもふしている。あの毛は、多分暑いと思うのだ。猫が可哀想なので、水をかけて涼ませてやろうと考えた。邪魔をするのは、許さない。


 俺の説明を聞いたオリビアは、「確かに暑いですが。魔獣は人間よりも気温の変化には強いです」と、懲りずに俺をとっ捕まえにくる。


「お気持ちは立派ですが、それだとかえってユナが嫌がりますよ」


 俺の両肩を掴んで、動きを邪魔したオリビアは、片膝をつく。さりげなくバケツを遠ざけて、「いいですか」と薄青の瞳が、じっとこちらを見つめてくる。


「何度も言いますが、ユナは水が苦手です」

「うん」


 水をかけてはいけません、と口を酸っぱくするオリビアに、ちょっと嫌気がさしてくる。だがオリビアが折れないことは、俺もよく知っている。


 わかったわかった、と何度も頷く俺に、オリビアは「本当ですか?」と、疑いの目を向けてきた。

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