第2話
奏平に寄り添うしぃちゃん。しぃちゃんを見ないようにしながら、でも全身で気にかけている奏平。二人の姿を見下ろしながら、たまらない、やるせなさが募る。だけど反面、ああやっぱりおれは思い知るためにここに来たのだと悟った。
いつだってそうだった。出会ったころからずっと、おれたちが〝三人〟であったことなんて一度もない。いつだって、二人と一人。
おれはそばで、見てるだけ。
奏平と初めて出会ったのは中学の入学式で、そのころのおれは一言で言ってしまえば高慢で、独りよがりの、典型的なイヤな奴だった。
合格確実といわれていた私立中学の受験に失敗したおれは、失意というよりも、屈辱の只中にいた。入学式で騒いでいる連中がみんな、考えなしの馬鹿に見えた。パイプ椅子をきしませながら、こっそりイヤホンをつけている奏平はその筆頭のようで、式でたまたま隣の席になったおれは、こいつとだけは絶対に口をきくまいと心に決めた。
それから一年。同じクラスだというのに、おれたちはほとんど口をきかなかった。いや、奏平だけじゃない。自分はこんなところにいるべき人間じゃないんだと端から周りを見下して、おれはクラスの誰ともまじわらなかった。二年生になって奏平とまた同じクラスになっても、それは変わらなかった。
心の底ではわかっていたんだと思う。みんながおれの思うような〝考えなしの馬鹿〟じゃないことも、本当の馬鹿は自分なんだってことも。だけど、十二歳のプライドだけが一人前のガキにそんなことを認められるわけもなく、おれは相変わらず傲岸だった。
一変したきっかけは、英語のリスニング試験だ。
聞いた文章をすべて書きとらせるという初めての難試験に、苦戦した。結果は八十九点。まずまずかな、でも次は満点目指さなきゃ、なんておさだまりのことを思ったおれは、発表された最高得点を聞いて鈍器で殴られたような衝撃を受けた。倉田奏平、九十七点。減点理由は、スペルミス一つだけ。
「倉田にも意外な特技があったもんだなあ」
担任に褒められ、教室中の注目を浴び、照れ隠しにおどけた表情で奏平は頭をかいていた。
愕然とした。よりにもよって、奏平に負けたことが許せなかった。英語の筆記はまったくできない(というか勉強ができるなんて印象はこれっぽっちもなかった)奏平が、どうしてリスニングだけできるのか、何か秘訣があるんじゃないかと。
思えば本当に馬鹿みたいなのだけど、おれは奏平を尾けたのだった。一人になるタイミングを待って、その日一日、奏平のあとを尾けまわした。
当然、バレるに決まっている。
家は逆方向なのに同じバスに乗り込むと、奏平はうんざりしたような、だけど一方でおもしろがるような色を瞳に乗せて、とうとうおれを振り向いた。
で、三崎クン、あんたいったい俺になんの用?――と。
「くっそ、まじで意味わかんねぇー!」
芝生のうえで大の字に転がった奏平が、子供のように、ジタバタと手足を動かした。その怒声で、現実に引き戻される。そうだった。今しなくてはいけないのは、思い出に浸ることじゃない。この状況を打破することだ。
だけどいまいち、実感がわかない。状況証拠は十分だけど、それでもやっぱり、自分たちが死んでしまったなんて全然しっくりこない。前後の記憶もなく放り出されて、こんなにも不親切で現実味のないものが〝死〟だと言われても、落ち込むこともできなかった。
「とりあえず、ちょっと歩いてみるか? もしかしたら誰かいるかもしれないし」
「誰か、ねえ……」
おれの言葉に奏平は億劫そうに体を起こしたけれど、まったく期待していない様子だった。後頭部についた芝生を払い、まあ他にすることもないかと、膝を抱えたままのしぃちゃんに視線を移す。
「ん」
つっけんどんに、手を差し伸べる。しぃちゃんの、強張っていた頬がわずかに緩み、その手をとる。
「行くぞ、三崎。見当もつかねんだから、とりあえず適当に歩いてみよう」
「……わかった」
不安そうに奏平にくっつきながらひょこひょこ歩き出したしぃちゃんから、目を背ける。
去年の夏、奏平に突然彼女ができて、奏平はしぃちゃんを避けるようになった。高橋、と他人行儀に呼ばれて声を押し殺して泣いていたしぃちゃんのそばに、おれは寄り添うことしかできなかった。ひょっとしたらその心の隙間にすべりこめるかもしれない、そんな期待はあっさり裏切られた。
どんなにしぃちゃんを好きでも、おれは奏平には敵わない。そんなことは初めて会った時から、わかっていたはずなのに。
あの日、まさか声をかけられると思っていなかったおれは、自分の嫉妬を見破られた気がして、屈辱感でとっさにうまく答えることができなかった。
「今日ずっとあんたの視線を感じてたんだけど。なに? ストーカー?」
「い、いや……」
「だよな。俺たち、まともに喋ったことないし、あんたって他人に興味なさそうだし」
奏平は首を傾げると、まあいいや、と空いていた席に座った。そして視線で、隣に座れと促す。すっかりびくついていたおれは、言われるままに腰を下ろした。
「三崎って、家こっちなの?」
「……違う」
「じゃあ、やっぱり俺に用事なんだ。なに、俺、気に障るようなことした?」
ふと、奏平の言葉に棘が一つもないことに気づいた。肩の力が抜け、おれは、ぼそぼそと呟いた。
「……リスニング」
「あ?」
「リスニングの試験。なんで、あんなに点数がよかったのかと思って」
瞬間、奏平の目が点になった。ぽかん、と口を開けて、おれをまじまじと見つめた。
「リスニング?」
「……そう」
「俺の試験の結果がよかったから? 気になって、尾けてたの?」
「尾けるつもりは……ただ、話しかけるタイミングが見つけられなくて」
顔が真っ赤になるのを感じた。なんて馬鹿なんだおれは、と羞恥で死んでしまいそうだった。逃げ出したいのにバスは停留所につく気配もない。とにかく俯いて、奏平の反応を待つしかなかった。
ああもうおしまいだ、明日からクラス中の笑いもんだと覚悟を決めたその時、耳元で、つんざくような爆笑がはじけて、おれはとっさに耳を押さえた。もちろんその主は奏平で、バス中の人が振り返っているのも気に留めず、そのまましばらくげらげらと笑い続けた。
「おい、倉田……」
「いや、悪ぃ。お前真剣なのに。っていうか……真剣なのがよけい、おかしくて……」
「……いくらなんでも笑いすぎだ」
「ごめん、ほんとごめん、でもお前……三崎、おもしろすぎるよ」
そしてひとしきり肩をふるわせたあと、奏平は、涙を拭いながらもう一度おれの肩に手を置いた。
「わかった。教えてやる。うち、来いよ。それとも用事とかある?」
「……いや、なにも」
「よし、決まりだな。あー、笑った。こんなに笑ったの久しぶりだよ。俺、三崎のこと、近寄りがたくて怖いなあと思ってたけど、案外、おかしな奴だったんだな」
さすがに失礼だろ。
とは思ったものの、口には出さなかった。そんなふうに誰かと話をしたのは入学以来初めてで、おもしろいなんて言ってもらったことも今まで一度もなかった。それを嬉しいと思いそうな自分が恥ずかしくて、うるさい、と一言毒づくだけにとどまった。
塾をサボったのも、その日が初めてだった。
奏平の家は、学校からバスで十五分ほど行ったところにある、大きなマンションの一室だった。見た目立派そうだけどけっこうボロいから、という説明を聞きながら家へ入ると、玄関に、学校指定の女物のローファーがちょこんと置かれていた。それを見た奏平は、盛大に顔をしかめた。
「……またいるよ。ったく、入り浸りやがって」
「誰?」
「幼なじみ。俺んとこもあいつんとこも、親が共働きでさ。小さいときから、一緒くたに預けられたりしてんの。おい、しぃ! 汐織! お前なあ、留守中に勝手に入るなって言っただろ!」
「あ、奏平。おかえりー」
どかどかと足を踏み鳴らしていく奏平のあとを慌てて追うと、キッチン前に置かれたダイニングテーブルに女の子が座っていた。数学のテキストを開いて、宿題をしているらしかった。
「勝手じゃないもん。おばさんにも会ったし。あ、夜勤だってさっき出かけたよ」
「そういう問題じゃねえよ。もうガキじゃねえんだから、俺んちにばっかり駆け込むなって言ってんの」
「いいじゃない、別に。最近の奏平、変だよ。なにをそんなにカリカリしてるの?」
おれたちと同じ中学の制服を着て、我が物顔でジュースを飲んでいたその女の子は、まったく悪びれる様子はなく、むしろ奏平を責めるようにして唇を尖らせた。
一瞬で、目を奪われた。体が木偶になったように硬直し、指先が痺れた。そんな自分にひどく動揺した。
女の子は、奏平の後ろにいるおれに気がつくと、とたんにすまして愛想よく微笑んだ。
「お友達?」
抗いようがなかった。
どうしようもないほどに胸が締めつけられて、頭のてっぺんに一気に血が集まった。何かを考えることもできず、言い訳のしようもないほど落ちていた。
それがしぃちゃんとの出会い。
完全に、一目ぼれだった。
公園は、歩けど歩けど芝生が広がり樹木が立ち並ぶばかりで人の姿はどこにもなかった。
「やっぱりここは、現実じゃないんだな」
独りごちると、奏平がふりかえる。おれは空を仰いで、指さした。
「雲も少ない。確かに青空だ。だけど、いくら晴れてたって、上着もなしで出かけるはずがない」
暖かいといっても三月なのだ。だけどおれたちはまるで室内にいるように、ジャケットの一つも羽織っていない。それなのに、おれも含めて誰も寒さを感じている様子はなかった。
だからやっぱりここは、おれたちのいた日常とは違う。おれたち以外のみんなが消えたんじゃなくて、おれたちがどこかへ彷徨いこんでしまったのだろう。
まるでSFだ。
「ここが現実じゃないとして……三崎は、どこだと思うんだ」
「さあ……でも、もし死後の世界なんだとしても、なんとなく、死んでないような気がする。帰る手立てがあるんじゃないかな、って」
「帰れるかな、俺たち」
「今はそう信じるしかないよ」
奏平は少し黙ったあと頷いた。腹を括る決意をしたらしかった。
しぃちゃんの瞳だけが、やっぱりどこか不安そうに揺れていた。
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