応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 無職日記はこれで終わりなんですね。
    無職の時にしか書けなかったものを残したのですね。
    次回作、頑張ってください。
    きっと、アイデアはまたしてもアウトレットを求めるでしょうから。

  • ケーキに思い入れがありまくりですねw
    これが恋人選びになったら、もう宇宙の果てまで走っていきそうですね 笑

  • 自然も人もへの応援コメント

    生き残るために競争しあう姿は美しいく見えますが、競争相手を皆殺しにして己が欲を貪り尽くして何もなくなり自分も絶えてしまう愚かな生物は嫌悪を覚えさせるでしょう。
    生物本能的にそう思わせるのかもしれないですね。

  • 仏教の教えに、知性が上に行けばいくほど殺生した時のカルマ(業)深くなる、というのがあるらしいです。

    ある日、仏陀が弟子が、殺生をしたくないから、歩いて蟻を踏み潰さないようの家からも出ないしご飯も食べられないというので、
    「輪廻(循環)の摂理に背く阿呆め。」(すみません、仏教マニアの友人の話でうろ覚えですが、確かこんな感じです)と仏陀が説教したそうです。
    自分だけ輪廻から出ようという傲慢さは、無益な殺生をすることと何ら変わりなく、結局彼のために多くの人が脚を運んで、彼が食べないご飯を用意し、蟻はより多く踏み潰されてしまったとか…無知は罪、という教えでもあったでしょうか。

  • 普通にへの応援コメント

    認識の違いもそうですが、熱量の差(何であの歌を聴いて感動してなさそうなんだ)を見られたようにも思えます…
    昔、遊びですが、ただの紙にガチめに絵を描いたら、それを見た女の子が目を見開いて「すごい…」とボソッと言いました。「普通に上手いですね」とサラッと言われるよりも「え、俺すごいのかも!?」って思っちゃう。
    正直全然絵は上手くないのですが、たまたま上手くいったんですね。

  • 無知はやっぱり罪だったへの応援コメント

    虫に関しては嫌な思い出が…というより、子供の頃の不安定な精神状態のせいだったのだと思いますが、田舎暮らしの時、虫を捕まえまくり、手足をちぎって蟻の穴に突っ込んだり、放っておいて共食いさせたり…大人になってから、虫に復讐される夢を見ることになりました。今は虫は出来るだけ放っておくようにしています。病気を媒介しているかもしれないゴキブリなどは排除しますが…

    そして、この話を気の良い優しいロシア人の友達に話したら、「え!虫の話?全然気にしなくて良いだろ!!」と言われました。

  • 今、彼らの授業を受けたいへの応援コメント

    熱血漢、熱い先生…よくウザいとか、悪い人ではないんだけど何か冷める、みたいに言われることは多いかもしれないけど、実はこういう先生がいなかったら学校ってとんでもなく淡白で味気なく、生徒は無気力か自分のポジション取りに夢中になって、いわゆる友情も情緒も学ぶことができなくなってしまうのではと思います…良い先生から学びましたね。

  • コメント失礼します。

    上手く言語化出来ませんが、最後数行の列車の例え、胸にグッと来て淋しいのか悲しいのか、でもそれ以外であろう気持ちが込み上げました。

    また次の日記を読みたいですね。

    作者からの返信

    読んでいただきとても嬉しいです。また頑張ろうと思います。

  • 大変読みやすい日記でした。
    これは今後生きていく武器となりますね。
    また何か書いて下さい。
    お疲れさまでした。

    作者からの返信

    読んでいただきありがとうございました。また頑張ります。

  • ライフワークを自分で始めたらどうでしょうか。
    無職というのは裏を返せばしがらみがないという事です!
    上手くいかないと始めちゃいけないわけでもないし、元々無職で時間もあるのだから、そのために努力をしてもそもそも無駄になることが一切ない。どう思いますか?

  • はい、結局は、人は完全に他人の苦しみを理解できはしないと思います。それで良いと思います。

    より歳を取ると、より多くの発見があり、より多くの苦しみの形を知り、より多くの自分と向き合うこうことと考えます。

    もう、それらの全てを共有するなんて、情報が多すぎてとてもじゃないけど出し切ることも、その上で理解を求める事も不可能であろうと考え始めると思います。

    それでも、という時、いつも人と争ったり言い合いしたりするものなのかな、とも思います。

    だから、ほんの少しだけ、大事な事を残して、後は分かり合えると思える波長の人を側に置くだけで十分ではないでしょうか。

  • 私の愛した平成への応援コメント

    まま、現実で言えば、ここ7年ほどの違いってことですよ。ここ7年で、住みづらい世の中になったっと感じているのかもしれないですね。

  • その場所は朝なのかへの応援コメント

    先人たちも、好き勝手に想像を膨らませていたのでしょう。何となく雲の中にある大自然のようなモヤモヤしたイメージがありますが、人それぞれなような気がしますねw

    それだったら山登りしたら天国ですよね。ていうか、高い山頂から眺めた景色と天国のイメージは無関係ではないのでは?
    天国に行く人は「登る」のですから。

    ちなみにモスリムは聖戦で死んだら77人の処女に向かえられるらしいですw

  • 雨、不完全な海馬と傘への応援コメント

    思い出ぽろぽろ…

    良き思い出に包まれているじゃないですかw

  • 人生ガチャで失敗っていうのは、産まれてすぐに死ぬような人とか、若くて病気や事故で死ぬか、物理的に苦しみながら生きるか、重度の障害を持ちながら生きているような人かと思っていましたが、こういう考え方もあるんですね。

    一人勝ちか〜。

    みんなを勝たせるようにした方が、自分が勝つ確率が格段に上がると思いますw

  • 亀のあくびへの応援コメント

    あくび!?
    あくびの謎、という文献を読んだことがあります。英語の文献です。

    その文献によると、あくびというのは酸素を大きく取り込むための行動、とよく勘違いされていますが(科学的に立証されなかった)、何か重要な事を起こす時に出るものだそうです。

    だから、軍人が戦地に向かう前とか、よくあくびをするそうですよ。

    亀も同じなのでしょうかね。それこそ、そういう実験を組み立てた人でないと知らないことでしょうね。


  • 編集済

    これはこれは、貴重な体験を共有していただき、ありがとうございます。

    子供の頃に成績優秀で、それから一流高校に進学してついていけないで落ちぶれると(作者様は違いますよ!)、心に強い劣等感を持つ、という話を聞いたことがあります。子供の頃に出来てしまうと、肩に力が入りすぎてしまうのかもしれないですね。

    そして、橋にも棒にもかからないようなお話をさせていただきます。もしかしたら作者様にとって棒ぐらいにはなり得るかもしれないことを願って。

    後に自分のエッセイでもこの話は触れるかもしれませんが、ここで出しますねw

    一つは、沖縄県民の話です。

    沖縄の「なんくるないさ」というセリフは有名だと思います。この精神は沖縄県民に根付いていると聞いたことがあります。

    例えば、沖縄に住む家庭の家族は、仕事を失い無職になった家族のメンバーを温かく迎え、次の仕事が見つかるまで怒りもせずに面倒を見るとのことです。「なんとかなるだろう」という精神の元です。そのため、助け合いの精神が浸透しているそうです。もちろん、発展という意味ではこのスタイルでは劣るのでしょうが、失っても家族がいる、というのは凄い安心感なのではないでしょうか。

    それと、マオリ族の話です。
    マオリ族とは、アフリカに住む部族ですが、この部族は生まれた時からボディタッチがよくあり、常に誰かに話しかけられるような環境です。そのため、この部族の人には「人と話をしていて疲れる」という概念が存在しないそうです。しかも、うつ病に当たる言葉が存在せず、説明しても分かってもらえないレベルとのこと。

    人が死んだ時も、あまり長い間悲しまず、次の日には楽しくはしゃいでいたりするらしいです。
    「いつかは死ぬ、それは明日かもしれない」という考えがあり、その日その日を人生最後の日だと思って楽しむのが生き方なのだそう。

    食べ物は動物の血と肉だけ。野菜は摂らない。

    マッチョですが、身体は鍛えていないようです。ジムの概念の話をしたら、「お金を払って仕事をするなんて、馬鹿な人々だ」と笑われたそうです。

    日本人とはほぼ真逆ですね。それが良いとは言いませんが、色々な人生のあり方があっていいのではないでしょうか。

  • 肩書きと制服と若さへの応援コメント

    達筆ですね。
    正直作家向いていると思います。

    絶望が文学という美学に昇華されつつありますが、作者様に取っては不本意なことですかね?

    学生信仰というか、作品コンテンツもメディアも若い人をやけに推していると思うけど、学生時代は人生の助走だから、本当の主役は大人からのはずですよ〜。特に40代あたり。


  • 編集済

    作者様、赤裸々な告白、とても印象的でした。

    共に絶望しようではないか…すごいセリフですね。

    私は仕事はほとんどの人にとってはまず最初に生きていくための手段ではないかと。

    なので、上とか下とか、気になさらなくても…

    飯を食える、住む場所がある…

    この二つがなかったら、恐らくこの作品も、腹が減ったよ、ご飯食べたいよ、という内容になっていたかもしれないのでは。

    私は若きし頃は親と喧嘩三昧だったので高校時代は後年は一人暮らし、僅かな仕送りでの生活でした。しかも海外です。

    ちょっとファーストフードを食べてジュースを飲むという贅沢をしたせいで仕送りを使い切ってしまい、3日以上飯が食えなかった時は流石に親に連絡しました。そこに意地とかなんとかはありません。飯が食えて安心したというだけです。

    そういうものではないでしょうか。

    飯が食えるだけじゃ満足できない。住む場所が快適でなかったら満足できない。遊べなかったら満足できない。という人間の欲張りが、更なる欲を満たすための原動力になるのではと考えます。

  • いきさつへの応援コメント

    おお〜、魂の叫び!こういうの、読みたかったよ〜。

    作者様、真面目な方とお見受けしました。
    私もネクタイ締めるの大嫌いです。よほど偉い人と会わない限りは着てません。

    とりあえず、じっくり休んでください!

    作者からの返信

    ありがとうございます。励みになります。

  • 本物の生産性のないクズへの応援コメント

    とりあえず最新話まで一気読みしました、昭和生まれのオッサンでございます。

    うーむ…余計なお節介かもしれませんが、あえてお伝えしておきます。
    大事なことがひとつ、抜け落ちていませんか?

    就職して仕事する、というのは極論「お金を稼ぐ」ということだと思うのですよ。

    私も若い頃は世間体やら何やらで労働が義務みたいに思ってましたが、歳とってみりゃ何の事はない、銭のために働いてるんですよね。

    だからもし作者様が大金持ちで働かなくても食えるのなら無理して就職する必要は無いでしょう。
    でもやりたいこととか、欲しいものとか無いですか?
    私なんかは煩悩と欲望の塊で、それを満たすためにしんどい仕事とかやってます。早くこいこい給料日w

    どうでしょう、就活を単純に「アレ買いたい」「ゼニがほしい」をタテマエにしてやってみては?
    人生観とか、生き方に合った会社とかめんどくさいことは抜きにして、まずは給料泥棒からはじめちゃえばよろしいのでは?

    以上、昭和オヤジの戯れ事でした。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。働くことへの気持ちに関してはそういうものだと私自身も同感と言えます。ただ、今のこの息苦しさを綴っておきたいのです。きっと働けば解消する悩みが私にはある。けれどその前に、その苦しさの一つ一つと対話したい。それが今の私の気持ちでしょうか。
    とはいえいつかは働かなければならないのですがね。

  • 私を脅かすオレンジへの応援コメント

    ナガミヒナゲシがどんな花か知らなくて検索したらポピーだ、と思いました。
    今年はうちの近所もナガミヒナゲシが咲き誇ってすごいですね。去年はそんな感じじゃなかった場所に。外来植物であったとは全く知りませんでした。少し見る目が変わりそうですね。

    作者からの返信

    可愛い見た目ですがなかなか恐ろしい生存戦略を持って生きてます。花は見かけによりません。

  • 私は小学生の頃など自由時間が苦手でした。
    先生の思惑を読み取ってその通りに振る舞う必要もないですし、肯定感強めでいることは良いことだと思います。

    作者からの返信

    ありがとうございます。自由時間が苦手だったのは私も同意です。
    あの時の自分を肯定してあげたいというのは常々思っています。


  • 編集済

    本物の生産性のないクズへの応援コメント

    月岡玄冬様

    月岡玄冬様の綴る言葉が、感情と理性がひしめき合うような、真に人間らしい文章だったので、思わず読み進めました。

    余計なお世話になっていたら申し訳ないのですが、一旦は、この場に、己の身から泉のように溢れ出るエネルギーとアイデアを拡散することのできるこの創作の世界に、とどまってもいいのではないでしょうか。

    ここも、新たな形の、人間関係の場にはなると思います。ただ、現実世界と異なるのは、ここは適度で心地よい距離感を自身で決めることのできる、素晴らしい場所だということです。

    加賀倉 創作

    作者からの返信

    そうですね。これからどうなるかは私自身もわからないのですが、どうなろうとここである程度発散していくことは辞めずにいようと思います。ここでしか発露できない言葉や想いもあると思うので。ありがとうございます。

  • 私を脅かすオレンジへの応援コメント

     これは私の個人的な考えです。

     この日本は、もともとがほとんど海の中でした。
     陸地が浮上して、動物と植物のある無人の大陸。そこへ外来種の人がやってきました。

     ある国で。
     外国から、労働力として別の大陸へと、人がやってきました。いえ、連れてこられました。
     そこで生活して、現地の人との間に子供を作る人もいました。ですが、その人は『よそ者』でした。
    (野菜や果物などの苗は、『よそ者』ではないそうです)

     大阪から東京へ、働きに来た人がいました。言葉も、食の好みも違います。生まれた環境も。
     でも、友達です。

     ふと思うのです。
     宇宙から地球を見たら「なに同じ星の中で揉めてるんだ?」と。
    「地球人のくせに」と。

     Aという生きものの為に、Bという生きものが絶滅している。けれど、実はCという新たな生き物が誕生(進化)していて、それが私たちでもあるわけで。
     まぁ、机上の空論みたいなものです。

    作者からの返信

    外部からの侵入の全てが悪いとは言えないのはそういうことだと思います。否定の矢が放たれることによって目が覚める、生まれる何かがあるのも事実で。幕末明治の動きなんかが一番わかりやすいかなとも思います。西洋の思想がダイレクトに入ってきたことでマンネリになった日本文化に刺激を与えた。確かに西欧化して失ったものも多いけれど、文化として発展していることは事実であるから。

  •  私もクラスには馴染めませんでした。
     もともと、人と関わることが苦手で、なんなら幼稚園の頃から、人とコミュニケーションをとるのが苦手でした。ですが、それが悪いとも思えませんでした。

     学生時代が充実していて、そこで生涯の友を作る人もいるでしょう。
     ですが、どう考えても、学校を卒業してからの人生の方か長いのです。

     私の場合は、学校を卒業してから……途中で、世捨て人のような生活の後、出会った方々に救われました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。苦手なことは欠点ではあれ個性なのだから、悪いことだとは思わなくていいはずなんですけどね。でもそれを受け入れてくれる人はやっぱりいるもので、私も友人がそうでした。

  • ひっくり返らないそれへの応援コメント

    良い作品ですね🐬

    作者からの返信

    ありがとうございます。励みになります。