第3話 悲哀なる男の幕開け
クルヴィート伯爵家次男。
エリオス・デア・クルヴィート。
……とても、自分の自己紹介とは思えない。
伯爵というなんとも高尚な地位に加え、阿久津優馬というかつての名前の面影を一切感じさせない、横文字カタカナネームである。いきなりこれが貴方ですよと言われて飲み込めるほうが無理がある。
だが現実として、俺はそんな自己紹介のできる人間になってしまった。
あの…邪神ともいうべき神によって。
俺の転生した世界は、いわゆる剣と魔法の世界。
テンプレートをなぞるかの如くに中世ヨーロッパ的な文明が築かれており、おそらく現代地球のような高度な技術などはないだろう。まぁ所詮、5歳児の行動範囲からの知見からでしかモノを言えないので、詳しいことはわからない。
だが先ほども言ったように剣と魔法の世界ということで、こんな幼児の年齢でも視界に飛び込んでくるくらいにはファンタジー要素が詰め込まれていた。
人間が息を吸うように魔法を使うし、鳥が飛び交うように竜が飛んでいる。
いくらかの人には角が生えていたり、耳の先っぽがツンととんがっていたりする。
前世になかったあらゆるフィクションというものが、現実化したかのような世界であった。
正直、わくわくしなかったといえば噓になる。
俺だって一介のゲームやマンガ好きだ。
そんなファンタジー世界に憧れないはずがない。
未知との遭遇に心は踊っていた。
でも結局、それでしかなかった。
前世にないものがある。それだけなのだ。
逆に前世にあって、今世にないものの方が圧倒的に俺の中では比重が偏っている。
考えても見てほしい。
34年間、必死に積み上げたものが一気に手元から離れたのだ。
それももう、永遠に戻ることのできない場所へ。
仕事も、仲間も、地位も、結果も。
何より…愛すべき嫁と娘も。
もうこの手で掴むことはできない。触れることはできない。
この人生に希望を失うのは、それで十分だった。
この5年間、俺が思ったのは「帰りたい」、それだけだった。
***
来る日も来る日も前世に残したものの心配だけをしていた。
死因が具体的に何なのかわからないけど、職場に大迷惑をかけたのは確実だろう。
なんてったって課長就任の翌日に死んだのだ。
いろいろと慌ただしくなることは間違いない。
前任の引継ぎがあるだけ、まだ幾分かはマシではあるけど。
しかし一番は家族のことだ。
本当に、本当に申し訳ないことをした。
祝い事の直後にこんなこと、メンタルにどれほどのダメージを与えるか…。
現実的に見れば、金銭面のこともそうだ。
貯金は一軒家の購入を視野に入れていたため、それなりに貯めてはいたが…だからといってそれだけで暮らしていくのは無理がある。
彼女の希望で専業主婦だったから就職先も見つけなければならないし、娘の送り迎えだって今後始まる。どれほどの心労、負担をかけさせることになろうか。
毎日毎日懺悔と、祈りと、そしてこんな結果に至らしめた神に対する憎しみを抱き続けていた。
できるなら、あの飄々とした顔を一発ぶん殴ってやりたい。
来る日も来る日もそう思うばかりだった。
だからだろうか。
今世におけるビッグイベントのことを、俺はすっかり忘れていた。
「エリィ、こんなところにいたのね」
この家の書庫にて。
不意に今の俺の愛称が呼ばれる。
柔らかな口調と、なんでも包み込んでしまいそうな声色。
この体の母親に当たる人物。
「リリアーノ様、何か御用ですか」
「あらもう…そんな他人行儀な。お母様か母上と呼びなさいと言っているのに。なんなら、ママでもいいのよ?」
リリアーノ・ヘレン・デア・クルヴィート。
金色の髪と翡翠色の瞳をもつ、前世ではお目にかかったことのないような姿をもった女性だ。
少し眉を垂らしながらそう言う彼女だが、残念ながら俺には少し難しい。
というか、そういう気になれない。
「俺の母親」という存在が、前世のせいで非常にマイナスなものとして思われてしまうから。
だから不自然でも名前で呼ぶようにしている。
「まぁそれはいいけど…今日は大事な日なんだから、ちゃんと準備を済ませて頂戴ね」
「大事な日…ですか?」
「えぇそうよ、まさか忘れたなんて言わないわよね?」
「…えっと、申し訳ございません」
「あらまぁ!本当にエリィは自分のことに無頓着ね」
大げさに驚いて見せる彼女。
自分にというか、もはや全部に対して無関心というか。
もう何かに対して興味を示すというのが難しい。
だから、今日何があるかなんて…わからない。
「今日は魔力鑑定の儀、でしょう!?」
「……あぁ」
そんなものもあったな。
という感想が出るレベルの行事じゃない。
わりと今後の人生の見通しがつくくらいには重要なイベントだった。
魔力鑑定の儀とは、貴族、平民を問わず満5歳の少年少女が一堂に会し、生まれ持った魔力について鑑定を行う儀式である。
体内の総魔力量は後天的に変わるけれど、適正とかそういう魔力そのものの質については変わりようがない。ゆえに、大まかな人生の道のりが決定される瞬間でもあるのだ。
確かにそれは重要な日だな。
「あぁ、じゃないわ。早く準備しなさいね?」
「…わかりました」
読んでいた革製の本を閉じ、重い腰を上げる。
それを見て満足したのか、早くしてねと催促の念押しをして、リリアーノは書庫を出て行った。
…彼女も、かわいそうな人だよな。
自分の息子の中に、誰とも知れぬおっさんの魂が入っていて、しかも前世に未練たらたらだなんて。
でも、悪いけど改善する気はない…というかできないと思う。
これからのこの人生をどう生きるかなんて考えたこともないけれど、たぶんこのままずるずると無気力に生きていくのではないか。
少なくとも今は、このホームシックから脱却できそうにはない。
「………ハぁ」
肺の空気を全部吐き出して、ようやく動き出す。
興味はなくとも、やらなければいけないことはあるのだった。
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