第38話 過去(佐藤百合視点)

「来瀬麗華です。よろしくお願いします」


 ある小学校の新学期、転校してきたまるで人形ように綺麗な顔立ちの少女に男子の誰もが恋に落ち、女子の誰もが憧れを向けた。


 佐藤百合もその一人だった。初めて来瀬の姿を見た瞬間、佐藤の胸は高鳴った。ただ美しいからではない。どこか儚げで、手を伸ばせば消えてしまいそうな雰囲気を纏っていたからだ。自分とは違う世界に生きているような気がして、もっと知りたいと強く思った。


「え、どっから来たの〜」

「麗華ちゃん、どこに住んでるの? 学校の近く?」


 朝礼が終わると、あっという間に数人の児童が来瀬の席を囲んだ。


 だが、来瀬自身はそんな周囲の反応をどこか警戒するように受け止めていた。彼女はどこか距離を置いたような話し方で、質問を次々と浴びせるクラスメイトにも言葉少なに答えるだけだった。


 来瀬は注目の的になりがちであったが、自ら積極的に話すことはなかった。それどころか、クラスメイトとの会話を必要最低限に抑えているようだった。目立つ容姿とは裏腹に、彼女は心を閉ざしているように誰とも深く関わろうとしない。


  佐藤は来瀬と話してみたいと思いつつも遠巻きに眺めることしか出来なかった。 


 彼女には不思議な魅力があった。美しいだけではなく、どこか儚げで、何かに怯えているようにも見えた。佐藤は昼休みに勇気を出して声をかけた。


「ねえ、来瀬さん、よかったら一緒にご飯食べない?」


 彼女は一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑んだ。


「……ありがとう。でも、大丈夫」


 断られたことを残念に思いつつも、来瀬の微笑みはどこか寂しげで、佐藤はさらに彼女に惹かれるようになった。

 家に帰ると夕飯の支度をする母に嬉々として転校生のことを話した。


「ねえ、お母さん。うちのクラスに転校生が来たの」

「あ、もしかして。来瀬さん?」

「うん、そうだけど……なんで、知ってるの?」

「この前ご近所に引っ越してこられたのよ。それで娘さんが百合と同じ学校だって」


 来瀬の家は佐藤の家の二、三軒隣だと母から聞いた佐藤は、近所なら来瀬と関わりを持つ機会もあるかもしれないという期待を抑えられなかった。


 そして実際その期待は現実の物となった。


 桜の木も花びらを緑の葉に替えて、日も長くなってきたある休日、百合は塾の帰りに近所の小さな公園で足を止めた。


 来瀬がベンチに座って本を読んでいた。長い黒髪は風にたなびいて、その姿は小学生とは思えぬ大人びた美しさをたたえていた。佐藤はこの機会を逃してはならないと勇気を振り絞って話しかけた。


「麗華ちゃん、何してるの?」

「…………」


 来瀬は警戒感をにじませながら上目遣いで佐藤をきっと睨む、佐藤は覚えていなかったことに少しショックを受けた。


「えっと……私、百合。佐藤百合。同じクラスの」

「…………」


 自身なさげでどこか怯えていた声だったが、それすらも可愛らしいと思った。


「それより、何の本読んでるの?」

「えっと……」


 それは佐藤も読んだことがある本だった。共通の話題があれば格段に話しやすくなるものだ。次第に来瀬の方からも話しかけてくれるようになった。佐藤はそれが堪らなく嬉しかった。


「ねえ、今度一緒に登校しない?」

「え……」

「私、麗華ちゃんと仲良くなってみたいから……駄目……かな」

「う、ううん。駄目じゃないよ」

 

 それから二人は一緒に帰るようになった。次第に来瀬も佐藤に心を開くようになった。


「ねえ、麗華ちゃん」


 その頃には二人は名前で呼び合うくらいに距離を縮めていた。


「何……?」

「学校には馴染めた?」

「え、う、うん、皆優しいし大丈夫だよ」


 そこで会話が途切れた。来瀬の言葉は明らかに嘘だった。近頃は来瀬はいつも休み時間は一人でいることを佐藤は知っている。最初は興味を持っていたクラスメイトも、距離を置くような態度をとり続ける来瀬から離れていったのだ。


 佐藤はどんな反応をしていいのか分からなかった。


 戸惑っていると、来瀬は無理矢理に笑顔を作って話し始めた。それは場の空気を重苦しいものにしたくなかったからだろう。


「……私、前の学校でいじめられてたの」

「え……」

「お母さんとお父さんに話したら、しばらくして転校することになって……それで今の小学校に来たの」


 佐藤は俯くことしかできない。思いつくどんな表情もこの場では相応しくない気がした。


「この学校に来てからも怖かった。皆が私に興味を持ってくれてるのは分かるけど、またいじめられるんじゃないかって、とにかく怖かった……だから、今、百合と話せていることが嬉しいの」


 来瀬は優しく穏やかな笑みを向けた。 


 佐藤の胸に使命感のようなものが芽生えていた。


 今まで自己主張などしたことなかった。自分で決心して何かをしようと思ったことも、やりたいこともなかった。


 私がこの子を守ろう、とそう思った。


 夏も終わりかけ二学期になった。


 明日は来瀬に何を話そうかと、佐藤は毎日毎日浮足立っていた。


 今まで友達がいなかった訳じゃない。それなりに人と付き合い、ほどほどの関係を気づいてきた。


 だが、来瀬は初めて自分から仲良くなりたいと思ってできた友達だった。


 加えて、誰もが意識せずにはいられないほど可憐で儚くて美しい女の子を自分が独り占めしているという優越感もあった。


 佐藤にとって来瀬は特別だった。


 一学期が終わり、夏休みになった。夏休み中は来瀬に会えない。二学期が待ち遠しいなどという感情は佐藤にとって初めてのものだった。


 そうして、長い長い夏休みが明けた。


 この頃から二人を取り巻く状況に暗雲が立ち込め始める。


 休み時間、佐藤がトイレから戻ってくると行くと、数人の女子のグループが来瀬の座席を取り囲んでいるのが見えた。


 胸騒ぎがする。


「何かあったの?」


 彼女達が去った後に来瀬に駆け寄り尋ねた。


「ううん……何もなかったよ」


 たが、来瀬は俯いてそう言うだけで事情を説明してはくれなかった。


 佐藤は日常が壊れていくような不穏な気配を感じずにはいられなかった。


 日が経つにつれ、来瀬の周囲の空気が微妙に変わり始めた。最初は興味を持たれていた彼女だったが、次第に女子たちの間で「なんか冷たいよね」「男子にちやほやされて調子に乗ってる」といった声が聞こえるようになった。


 それから暫くして来瀬の靴がなくなることが増えた。教科書が勝手に別の場所に置かれることもあった。何かが起こるたびに、教室の片隅でくすくすと笑う声が聞こえた。その度に来瀬に声を掛けたが、彼女は被害を訴えるでもなく、ただ大丈夫と言うばかりだった。


 佐藤は悩んだ。来瀬の立場が悪くなっているのは明らかだった。


 なぜ、こんなことになってしまったのか。


 佐藤は分からなかっただが、その理由を悟る出来事が起こる。


「放課後、体育館裏に来てくれるか?」


 佐藤は突然クラスの男子に話しかけられた。彼の様子を見ると、周りの様子を気にしながらそわそわとしている。


 彼の名前は戸部悠真。


 戸部は男子からも女子からも慕われているクラスのリーダー的な存在だった。


「え……」


 驚いた。


 佐藤は戸部に淡い好意を抱いていた。特別な理由はない。ただ、他の女子が憧れていたように憧れを抱いていただけ。だが、戸部は人気者で、自分には釣り合わないと諦めていた。戸辺に好意を抱く女子は他にもたくさんいる。自分の入り込む余地はない、と。


 もしかして、もしかすると。


 告白なんじゃないか。


 佐藤は淡い期待を抑えられず、心臓を高鳴らせた。


 佐藤は放課後、校舎裏へと赴いた。


 先に来ていた戸部がもじもじとした様子で話し始める。


「――なあ、来瀬って何が好きか知ってるか? お前、仲いいだろ」

「は……」


 耳たぶを真っ赤に染め、目を逸らしながら尋ねる。


 急速に気持ちが冷めていく。


「ごめん……分からないから、今度聞いとくね」

「おう、頼むぞ」


 佐藤は逃げ出すように会話を打ち切った。


 後日、戸部は来瀬に振られたと聞いた。


 ああ、そうか。


 来瀬は何も言っていなかったが、戸部だけではなく、既に複数の男子から告白されていたのだろう。自分が思いを寄せていた男子が他の女に告白するなど、愉快な状況ではない。これが来瀬の立場を悪くしているものの原因なのだろう。


 翌週の月曜日のこと。


「佐藤さん」


 放課後、日直の仕事を終えて帰ろうとしていた佐藤が女子三人組が佐藤を呼び止めた。彼女達はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている。


「聞いたよ? 戸部くん取られちゃったって?」

「……っ、別に……そんなんじゃ」

「否定しなくていいから。目線とか話し方とかで戸部くん好きなのはバレてるから」

「…………」


 女は佐藤の耳元まで近づいて囁く。


「ねえ、何であんな女と仲良くしてるわけ?」

「どういう……こと?」

「だって好きな男子取られて仲良く出来るとか、頭どうかしてるでしょ」

「何が言いたいの?」


 要領を得ないが、悪意だけは感じられる彼女達の言葉に佐藤は眉を顰める。


 だだ、戸部かあるいは来瀬に告白した他の男子に好意を抱いているのだろうとは推測できた。


「明日からあの女と話すなよ」

「え……」


 来瀬と話すななどありえない。それだけは。


「……やだ」

「は?」

「いやだ、って言ったの。要件はそれだけ? じゃあね」


 佐藤ははっきりと断って踵を返した。来瀬を傷つけるなどあってはならない。他ならない自分の決めたことだ。


「何? 断るの?」

「それならあたしらにも考えがあるから」


 背中から突き刺さる脅迫めいた言葉を無視して佐藤は家に帰った。


 翌日、登校すると机の上にゴミがぶち撒けられていた。


 来瀬の代わりに佐藤がいじめの標的になった。


 それからの日々は苛烈を極めた。偶然を装っては体をぶつけられ、教科書をゴミ箱に捨てられた。体操服を便器に入れられた事もあった。

 

 何で、自分がこんな目に遭わなきゃならないのか。


 自分が何か悪いことをしたのか。


「あの……大丈夫?」


 放課後、誰も教室にいなくなってからチョークの粉にまみれた私物を独りで掃除していると、来瀬が心配そうな顔でこっちを見つめていた。


 私はこんなに大変だというのに、来瀬だけいじめから逃れている。私のお陰でいじめから抜け出せたというのに、感謝どころか認識もしてない。


 どす黒い感情が顔をのぞかせた。


「……話しかけないで」 


 冷たく鋭い声。


「……ごめん、なさい」


 来瀬が悲しそうな顔をして去っていく。


 ああ、こんなつもりじゃなかったのに。最低だ。


 佐藤はいじめが始まってから初めて涙を流した。


 一ヶ月が経ち、未だに佐藤へといじめはより陰湿な形に変化しながら続いていた。


「ついてきて」


 あの三人組に声をかけられた。


「……わかった」


 佐藤は大人しく従った。既に抵抗する気力も体力も失われていた。

 

 連れてこられたのは女子トイレの用具庫。バケツを引っこ抜くと蛇口の上に乱雑に置かれた雑巾をその中に入れた。そして取り巻きの一人が給食の牛乳を取り出すと、パックを開けその中に入れた。


「うわっ……」

「きったな……」


 取り巻き達はバケツを覗き込むと嫌悪感をにじませた声を上げた。


「あいつの引き出しにこれを入れてきて」


 バケツに入ったぞうきんは酷く汚れて異臭を放っていた。バケツには白い液体が溜まっている。給食の牛乳をかけたのだと分かった。


「な、にこれ……」

「出来ないとは言わないよね。私達、仲間でしょ?」


 もう、どうでもいいや。


 どうせ、自分は最低なのだから。来瀬を突き放した。悲しい顔をさせた。もう、来瀬は自分のことを見限っているはずだから。


 もう、楽になりたい。


「わか、った」


 佐藤はバケツをもって来瀬の席の前に立った。


 瞬間、佐藤の心に巣食う悪魔が囁いた。


 ああ、そうだ。


 大体、虐められているのには来瀬も原因があるんじゃないか。上手く人との距離感をつかめないからこういうことになるんじゃないか。来瀬が原因なのに、私だけいじめられ続けるのは不公平だ。そうだ、これはほんの意趣返し、来瀬へのちょっとした仕返しに過ぎない。バランスを取るだけ。友達とは喜びも悲しみも平等でなければならないはず。ああ、これで来瀬も自分に対する認識を改めてくれる。


 裏切り行為を正当化するような理屈を何度も何度も頭に塗りつける。


 汚れた雑巾をつまんで来瀬の机に押し込んだその時――


「連れてきたよ」


 取り巻きの一人が誰かの腕を引いて現れた。腕を引かれて現れたのは来瀬だった。


「……どうして」


 目を丸くしてこっちを見てる。 


「あはははっ」


 そうか、気づいた。三人組のうち声をかけてきたのが二人だけだった時点で気づくべきだった。


 馬鹿だ。


 いじめに加担している所を来瀬に見せるという邪悪で悪趣味な意図に気づけなかった。


「百合……? 何してるの……?」


 来瀬は呆然と佐藤の方を見ている。


「嘘……だよね」


 ああ。


 また、自分の馬鹿さに呆れる。


 来瀬は佐藤を見限ってなどいなかったのだ。


「ほら、ちゃんと見ろよ。お友達が何をしてるか」


 三人組の一人が嗤いながら来瀬に囁いた。


「ちょっと、まって違うの……」

「……!」


 弁明の言葉を口にする前に、来瀬はその場を駆けだしてしまった。


 佐藤は力なくその場にへたり込み、教室には女子児童三人組の嗤い声だけが響いていた。



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