第29話 星屑の勇者 後編
それから一年と四ヶ月をかけて、三人は長い旅路を共にした。いくら魔法技術が発達しているといっても魔力には限界がある。空をひとっ飛びとはいかない。馬車に頼ることもあれば、魔物の襲来によって荒れ果てた道を徒歩で地道に進む事もあった。
そして遂にイオが十七歳の時、北の大地の果て、その要衝の街に至った。ここは先代の勇者が魔王を葬ったとされる場所に最も近い街だ。だが、魔物による侵入により村人は避難してしまい大半は廃墟となり閑散としていた。
「全部倒したわね」
三人は街を跋扈していた敵を一掃した。
「じゃあ今夜の宿を取ろうか」
「ええ。今夜は久しぶりにゆっくり出来そうね」
「ああそうだね」
リシテアは表情を緩ませて、リオに語りかける。
年心優しいリオと快活なリシテア。歳も違わない二人はお互いに惹き合うようになるのにそう時間はかからなかった。初対面の他人であっても二人を一目見れば、お互いを好き合っているのはすぐに分かったことだろう。
「カロン、大丈夫か」
カロンは睦まじく横並びになっている二人の後ろで一人膝をついていた。
「……大丈夫。問題ない。先に宿を取っといてくれ。僕は後で行く」
「……そうか」
イオを遠ざけ一人でその場を立ち去る。さっまでの戦闘によって腕に大きな切り傷を作った。旅路を続けるにつれ敵の強さも増していった。次第にカロンは元来の才能の違いか、急速に成長を続けるイオとリシテアと共に戦うことが難しくなっていった。
一人で村の診療所を探す。
確かに街は荒廃していたが、経済活動が完全に停止しているわけではなかった。それでも故郷を捨てられず残った住民がこの寒々とした寂しい街で細々と生活しているのだ。診療所くらいはあるだろう。
ふらつきながら去っていく盟友の背中に視線を向けるリオ。その傍らで、リシテアが袖を引き、心配そうに話しかけた。
「イオ、行きましょう」
「あ、ああ」
リオは一瞬カロンに視線を戻しながら、リシテアの呼びかけに応じた。
去りゆくカロンの目には疲労と憎悪の色が宿っていたことに他の二人は気づいてもいなかった。
*
その日の夜。
リシテアは足音を潜めてイオの部屋へと向かっていた。近頃は夜寝静まった後にイオはリシテアの部屋を訪れて夜を過ごすようになっていた。だが、今日に限ってイオがやって来ない。何かあったのではないかと心配でたまらなかった。
以前まではそんなことなかった。王城でも王女という立場からか孤独であるのが当たり前だと思っていた。自分の心を理解してくれる人間などいない、王族として一人で生きて一人で死んでいくしかないのだと信じて疑わなかった。
だが、リオが旅の道中に自分の怪我を放ってまで村人を救った時、リシテアの胸に小さな灯が灯った。王宮の中で物心ついた時から醜い政争ばかりを目にしてきたリシテアにとって同い年の真っ直ぐな男の姿に惹かれない理由はなかった。その火はいつの間にか消えない炎となっていたのだ。
初めて受け入れてくれた日。初めてキスをした日。初めてリオの部屋で一夜を過ごした日。
近頃は一人ぼっちの時間が淋しくてたまらない。これが恋なのか、と思うと胸がぎゅっと切なくなる。
イオの扉の前まで来ると話し声が聞こえてきた。
「クソ……お前なんて、お前なんて……」
「が……あ……やめろ。うっ、うう……」
カロンとイオの声。その直後花瓶か何かの落ちる音がする。呻き声はイオのものだったが、それは苦しんでいるようにも、むせび泣いているようにも聞こえた。
「え……」
一体どうしたというのか。胸騒ぎが加速する。
「な、にを、してるの」
気づけば身を隠すことも忘れて部屋の中に入っていた。リシテアは混乱しながら辺りを見渡す。床に仰向けに倒れ、動かないリオ。その胸元に馬乗りになったカロンは、青ざめた顔でリシテアのほうを見た。目は焦点が合わず、不気味に揺らめいている。
全く状況が理解できなかった。
「あ、あ……」
カロンの口から言葉にならない声が漏れる。
「どうして……こんな所に」
虚ろな目でリシテアを見つめながらぶつぶつと呟く。
「そうか、やっぱりそうか」
すっかりリオの首にかけられていた手は解けていた。カロンは力の抜けたようにその場にへたり込む。リシテアはカロンを押しのけると一目散にリオに駆け寄る。
「どうしたの!」
「う、うう……」
リオは言葉も発せないまま呻き声だけ出している。必死に抵抗しようと藻掻いたのだろう。リオの首にはひっかいたような傷が出来ていた。
「……リオに何をしたの」
リシテアは傍らのカロンをキッと睨み付けると胸の奥で煮えたぎる怒りに身を任せ、震える手で襟を掴んだ。
「こいつのことは前々から目障りで仕方なかったからな。少しご馳走してやっただけだよ」
カロンは光のない目を向けると、口角を歪めて滔々と話し出す。
「……リオとは小さい頃からの親友同士じゃなかったの?」
「はっ、笑わせるなよ。金と名誉のために演じてただけさ。くだらない友情劇を演じるのも……まあ少しは楽しかったよ。けれど、それももう終わりだ」
「まさか……」
「ああそうだよ。全部言ってやったよ。でも、こんなことでショックを受けるなんてどれだけ頭お花畑なんだか。本当にこいつの善人面にはうんざりだよ」
カロンはイオを見下す。
「ひどい……イオがどう思うか考えなかったの? どうしてそんな惨いことができるのよ!」
「言ったろ。こいつが憎くてたまらなかった。それだけだよ」
「………」
「まさかとは思っていたが、こいつのことが好きなのか? ふっ、はははっ、王女様ともあろう人がこんなしょうもない奴に入れ込んでるなんてこの国もおしまいだね」
怒りを煽るかのようにヘラヘラと嗤う。
その時破裂音がする。リシテアがカロンの頬を叩いたのだ。
「黙りなさいよ。リオが一体何したって言うの……あんたなんか仲間じゃない。……絶対に許さないから」
「……そうかよ」
カロンはふらふらと立ち上がり部屋を出て行った。
リシテアはそこでハッと我に返る。今はカロンに気を取られているわけにはいかない。イオを何としても助けることが優先だ。
「しっかりして! 聞こえてる?」
「…………」
答えない。
イオの状態から何かの毒を盛られた事は間違いないだろう。
「大丈夫、絶対に助けるから……お願い、頑張って……」
一時間が経ち、二時間が経ち、魔力が尽き自分の意識が遠のきそうになろうとも必死の介抱を続けた。
やがて日が昇る頃には容態が安定していた。イオは安らかに寝息を立てている。
心優しいイオのことだ。本気でカロンの事を親友だと思っていた。信じていたはずなのだ。なのにその親友のはずの男は我欲でカロンを裏切り傷つけ、挙げ句の果てに手にかけようとした。
それでもイオはカロンの事を責めたりはしないだろうとリシテアは確信していた。あんな男のことは忘れて生きて欲しい。愛する男が悪人に縛られ続けることをリシテアはどうしても認められなかった。
これは魔法使いである自分だからこそしてあげられること。
リシテアは覚悟を決めて寝息を立てるリオの額に優しく手を当てた。
そして夜が明けた。
「っ……」
リオは窓から差し込む光で目を覚ます。頭がガンガンと痛む。
「俺は、どうして……」
昨日何があったのか。どうしても思い出せない。
イオの記憶からカロンの存在が完全に消えていた。
「………」
自分の胸の上で眠るリシテアを見る。どうしようもなく愛おしく思えてそっと髪を撫で付けた。
*
「これは……」
二人が足を踏み入れたのは、凍てついた風が吹きすさぶ荒野だった。あの日の出来事から一週間が経っていた。
眼前にそびえるのは、朽ち果てた巨大な人型の骨。陽光に照らされたその骸は、不気味な影を大地に刻んでいる。その周りにツタのような気味の悪い植物が蠢き、死肉を貪る虫はブクブクと形を変えている。目を覆いたくなるようなおぞましい光景だった。
這い出してきた魔物が次々とイオ達を襲う。
「倒しても倒してもキリがない……」
「どうなってるのかしら……魔王はどこ?」
「……おそらくあれは魔王の遺骸だ。その死肉を食べた生き物は魔物化してるんじゃないか?」
「でもなんで今更? それだとここ十年になって被害が出た理由がつかない」
リシテアは悩む。
「ああ、そうか」
「……?」
「先代の魔王……俺のひいじいちゃんは魔王を瀕死の所まで追い詰めていたんだと思う。そして最後の力を振り絞り封印した。でも魔王は虫の息だった。封印が解けたところですでに死んでいたんだろう」
「そういうこともある……のかな」
かつて魔王だったものを燃やし尽くすと、二人は王都に戻った。
それから魔物は鎮静化し、人里を襲うことはなくなった。王国は平和を取り戻したのだ。
カロンの存在はリシテアの報告により隠されることになった。国としても勇者の仲間が離反し表沙汰にはしたくない話だったのだろう。ごく一部の人々は国に存在を消し去られた勇者の仲間についてあれこれと噂したが、それも暫くすれば忘れ去られていった。
戦いから離れて穏やかな暮らしをしたいという二人の希望を国王に申し入れた。リシテアを国政に携わらせたいと考えていた国王だが、最後にはその願いを受け入れたのだ。
二人は王都の外れに家を買ってそこで暮らし出した。
それから三年が経った。
「リオ、夕ご飯ができたわよ」
玄関先から女性が遠くに立つ男に向けて声を掛ける。
「ああ、すぐ戻る」
リオは汗を拭うと畑を耕す手を止め、愛する人の下に向かう。
「あんまり動き回るなよ。料理くらい次から俺がやるから。お前一人の体じゃないんだ」
「分かってるわよ。でもあなたが必死に働いているのに何もしないわけにはいかないでしょ?」
リシテアはそっと膨らんだ腹を撫でる。その中には二人の愛の結晶が育まれていた。
水道で手を洗った。リオがリシテアを後ろからそっと抱きしめた。
「もうっ、急に何……?」
リシテアは困ったように小さく笑う。朝焼けに照らされた田園風景にその笑顔が優しく溶け込むようだった。
「いや、別に。何か幸せだなって」
「……ふふっ、何それ」
この幸せがいつまでもいつまでも続きますように。
リシテアは背中に温もりを感じながらそっと空に願った。
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