第49話K ソフィアの行方

馬車は夜通し走った。王室の馬車だ。四頭立てで普通の馬車より速く走る。


途中で馬を変え、御者も交代させ走らせた。


「ソフィア、もう少しだ……もう少しだけ頑張ってくれ」


私はソフィアを抱きしめ、髪を撫でながら彼女の呼吸を確かめた。


細い息が手の甲に当たる。

大丈夫だ。きっと助けてみせる。


ソフィアを喪う事はできない。

彼女には赤子がいる。

母親は死なない。


「ソフィア、心配するな。大丈夫だ」


返事のないソフィアに、バーナードは優しく声をかけた。


いつの間にか頬に涙が伝っていた。





◇ 



「ステラ様、何故行かせたんですか!動かしたりしたらソフィア様が死んでしまうわ」


ミラが身分もお構いなしにステラを責め立てた。


「ここにいたって一週間しか生きられないんでしょ!それならバーナードに、生かしてみせるって言ったバーナードに託すしかないでしょう」


ステラは自分でも、どうしようもない状況だったと思っている。



「根拠がないでしょう。いったい彼はソフィアを何処へ連れて行ったんだ」


流石にムンババ大使も深いため息をついた。


「レオ坊ちゃまが……」


ミラが泣き崩れた。

レオはダミアと共にアパルトマンで皆の帰りを待っている。




ステラは自分の判断が間違っていたとは思いたくはなかった。


あの時の目は、あの時のバーナードの目には確かな自信があった。

彼の表情には決意が見えた。それしか方法はないとでもいうような自信が見て取れたのだ。



私の判断が間違っていたとは思わせないでちょうだい。


……バーナード頼むわよ。


ステラは心の中でそう呟いた。







アパルトマンは静まりかえっている。


ソフィアの行方は分からない。

バーナードがソフィアを連れ去ってから一週間が過ぎていた。


プティ・ソフィアは臨時休業の張り紙が出された。

新聞記者が何度もアパルトマンへやって来る。

通りにも野次馬たちがひっきりなしにやって来た。


アイリスが立ち入り禁止令を出し、部外者は誰もアパルトマンに立ち入る事ができないようにした。


「私がもっと警備員を増やしていれば、こんな事にはならなかったかもしれない」


アイリスは警備が手薄だったと後悔していた。


皆が自分の責任だと思った。


ミラはあの時、ソフィアを一階へ行かさなければよかったと思った。


ダミアはレオの世話をソフィアに任せて、自分が階下へ行けばよかったと思った。


アパルトマンに住む者達は、挨拶だけでなく声をかけていればよかったと思い。


プティ・ソフィアの従業員は、彼女を迎えに行けばよかったと思っていた。



「ソフィア様が無事でいる事を祈りましょう」


ダミアはただ祈りを捧げていた。


「これからどうなるのでしょう。バーナード様は、いったいソフィア様をどこへ連れて行ったのでしょう」


ダミアは全く分からないと言って首を横に振った。


「レオ様のお世話をちゃんとしましょう。母親がいない事に気付かないように。

寂しくないように。風邪をひかないように。笑顔でいられるように」


いつの間にか涙がミラの頬を伝う。

もう何度泣いたかわからなかった。


「レオが……レオ様がいるから、きっとソフィア様は意地でも生きて帰ってきます」


「そうです。待ちましょう。バーナード様は戦地で生き残った隊長です。隊では隊長として指揮をとっていた立派な方です。負傷兵を何人も現場で見てきた方です」


「そうですよね」


ただの希望なのかもしれないが、今は彼に一縷の望みを託すしかなかった。





マリリンは事件後、捕らえられ牢屋に入れられた。


ステラ王太子妃が、直接裁きを下すそうだ。極刑は免れないだろう。


彼女はバーナードの領地の山奥にある養鶏場に拘束されているはずだった。


けれど監視の隙を見て逃げ出したらしかった。

奴隷のような生活をさせられ、逃げ出さないように足に長い鎖を付けられていたらしいが、鎖が錆びて劣化していたらしく、チェーンが途中で壊され切れていたという。


主人のデクスターは容赦ない男で、女であろうが生意気なものには鞭を振る。


マリリンは強情で主人の命令をきかなかった。

何度も鞭で打たれ、罵声を浴び、食事を抜かれ酷い扱いを受けていたらしい。


そしてマリリンは全ての恨みを、デクスターではなくソフィア様に向けていた。


ソフィア様さえいなければ、自分はまだバーナードの邸で贅沢に暮らせていたはずだと思い込んでいた。


彼女は養鶏場から逃げ出すと、盗みをはたらいたり、男にたかったりしながら、生きのびていたらしい。

そして昔バーナードの邸で懇意にしていたメイド達と連絡を取り、ソフィア様の行き先を突き止めたようだった。


邸を首になったメイド達は、バーナード様ではなくソフィア様に恨みを持っていたようだ。首になったのも奥様のせいだと言っているらしかった。

マリリンの取り調べにより、その者達も次々と捕らえられた。


国を跨ぐ犯罪だったが、犯罪人引渡し条約を結んでいるので罪人は全てボルナットに引き渡された。


刑を言い渡したステラ様の怒りは凄まじい物だったという。


後日新聞には、冷酷な王太子妃という見出しが載った。





時間はどんどん過ぎていった。


このままボルナットにレオ様を置いておくわけにはいかないと、三カ月後にバーナード様の領地へ連れて帰る事になった。

ミラは最後までボルナットでソフィア様を待つと言ってきかなかったが、レオ様と離れる事になると言うと、仕方なく領地へ戻る事に同意した。



季節は春になろうとしていた。


ソフィア様は戻ってこない。


バーナード様はソフィア様を一体どこへ連れて行ったのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る