第12話 アーロンの熱
……アーロン君、大丈夫かしら。
しばらくして、お医者様が来られたと外が騒がしくなった。
私にも何か手伝えることがあるかもしれないと、様子を見にマリリンさんの部屋へ向かう。
途中ですれ違ったメイドにアーロン君のようすを訪ねた。
「熱が出たようです。けど……赤ちゃんにはよくある感じだと思います。うちの姪っ子もよく熱を出したので。そんなに騒ぐ必要ないかと……」
ベッドから落ちたとか怪我をしたわけではないのね。
お医者様に診てもらえるのなら安心だわ。少しほっとした。
メイドが言うように心配なければいいけど……
マリリンさんの部屋の前まで行くと、開いたドアから中の様子を覗いた。
涙を流しながらアーロン君の様子を窺うマリリンさん。それに寄り添うように肩を抱いている旦那様の姿が目に入った。
使用人たちも数名、アーロン君の周りに集まっている。
最近マリリンさん付きになった新しく入ったメイドと目があった。
キッと私の方を睨んだようだった。
「……私は、お邪魔なようね」
二人には気付かれないように、そっとその場を離れた。
使用人たちの目の前で、旦那様に寄り添うマリリンさんの姿、まるで我が子を案ずる夫婦のようだった。
食堂に戻ると、ダミアが旦那様の食事を片付けていた。
「奥様、旦那様はマリリンさんの部屋で食事をとられるそうです」
「そう……分かったわ」
ダミアは私の分だけ食事をセットしなおすと、温かい紅茶を入れてくれた。
「アーロンさんは、赤子によくある病気だそうです。二、三日は熱が出るだろうけど水分をちゃんととらせていれば大丈夫らしいです」
「そうなのね。大事じゃなくて良かったわ」
先ほど見た二人の様子が気になったが、ダミアに訊ねる訳にもいかない。
私がこの邸の主人の妻なんだから、堂々としていなければと一人で食事することにした。
旦那様は夜遅くに寝室に来て、私と同じベッドに入ってきた。
目は覚めていたが寝たふりをしてごまかした。
マリリンさんとバーナードは、いったいどういう関係なんだろう。
頭の中から消えない嫌な考えが不安な気持ちに拍車をかける。
眠れないまま旦那様に背中を向けていた。彼のゆっくりとした寝息が聞こえる。
空は白みかけていた。
アーロン君が熱を出した翌日、バーナードは朝から仕事に追われていてゆっくり話ができなかった。軍のことや 領地のこと、そしてマリリンさん達のこと。たくさん やらなければならないと言っていたとモーガンから聞いた。
◇
マリリンさん達の部屋にベビーベッドが備え付けられた。
今までは赤ちゃんは、マリリンさんと一緒のベッドで寝ていたようだったが、アーロン君の風邪がうつると困るという理由から、急ぎ準備した物らしい。
運び込まれた赤ちゃんのベビー服や、おもちゃなどは旦那様がメイドに頼んで用意したようだった。
マリリンさんの洋服や靴、帽子などもクローゼットにたくさん揃えられていった。
「ソフィア様。何なんでしょう。アーロン君が熱を出してから、旦那様はマリリンさんにたくさん贈り物をされてます。おかしくないですか?奥様には何もプレゼントして下さらないというのに」
ミラはうんざりした様子だ。
そんなことを私に聞かれても分からない。
ずっと部屋の中に引き籠るりきりだから、私が彼女と話をすることはあまりない。せめて何か気持ちが明るくなるものを用意するよう、バーナードがメイドに頼んだと言っていた。
「……そうね」
もうなんだかバーナードの肩を持つのが辛くなってきていた。
「だいたい外出しないのに、鞄や帽子が必要なんでしょうか?専属メイドなんて必要ですか?あの人ただの居候で、平民なんですよ?意味が分かりません」
◇
アーロン君が熱を出した日から、マリリンさんのメイドが夜になると決まって夫婦の寝室にバーナードを呼びに来るようになった。
「マリリン様が旦那様をお呼びです」
アーロン君がぐずって泣き止まないらしい。赤ん坊の夜泣きは当たり前なんじゃないだろうか。仕事で忙しい旦那様が、わざわざ彼女の部屋へ行くのはおかしいと思った。
「マリリンさんは、明日も旦那様がお仕事だということを分かってらっしゃるのですか?バーナード様がわざわざ行かなくてもいいと思いますが」
旦那様に嫌味を言っているように聞こえるだろう。でも止められなかった。
私が妻なのにどうして旦那様はマリリンさんの所へ行くのだろう。私は嫉妬しているのか。醜い感情は自らの心まで蝕んでいくようだった。
「アーロンは私に懐いている。私が抱くとすやすや眠るんだ。すぐに戻るから、君は先に寝ていたらいい」
バーナードは優しく微笑みかけ、私の髪にキスをした。
それからもアーロン君が夜泣きをすると、その都度旦那様は彼女たち 親子の元へ行った。長いときは数時間 戻らないこともあった。
寝室に入ってから出ていくのに気が引けるのか、帰宅すると私に会う前に彼女たちに会いに行き、アーロン君を落ち着かせてからこっそり夫婦の寝室に戻ってくるのが日常になった。
私に気を遣って、静かに出入りする旦那様を見ているのが辛くなり、私は自分の寝室で眠るようになった。
これで旦那様がいつ戻ってくるか気にしなくていい。
お互いゆっくり眠れるだろう。
布団を頭の上までかぶった。
静かに涙が頬を伝った。
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