【02】

気がつくと俺は真っ暗な場所にいた。

――何だあ?どこだよ、ここは?

そう思った途端、すぐ近くであの声がする。


『おお、やっぱり来たな。お前』

『ああ?誰だ、お前?』

その時、俺の上に何かが圧し掛かってきた。


『何だこれ?』

『そりゃお前。乗客の尻だよ』

『は?何言ってんだ、お前。舐めてんのか?』


『何にも分かってないな、お前。お前は今、座席になってるんだよ』

『座席?』

『そうだよ。お前、優先座席が大好きだったろうが。だから座席になれたんだよ。よかったじゃねえか』


『てめえ、何言って。わあ、くっせえ。こいつ屁こきやがった』

『ははは。早速洗礼か?』

俺はその言葉に頭にきて、殴ってやろうと思ったが、何故か身動きが取れない。


『無駄だよ。今は俺もお前も、他の連中も身動きが取れない』

『他の連中?』

『そうだよ。俺たちみたいな連中が、この車両には溢れ返ってるんだよ。そしてそいつらは、虎視眈々とこの席を狙ってやがる。覚悟しとけよ。回送になったら始まるからな』


――何言ってやがんだ、こいつ?

俺はそう思ったが、身動き取れないのでどうしようもない。

――動けるようになったら、ぜってえ締めてやる。


『おいこら。動けるようになったら、覚悟しとけよ』

『まあ、そんな余裕があるかどうか、動けるようになってから考えるんだな』

俺は声に向かって凄んだが、返ってきたのはせせら笑うような言葉だった。


今はどうしようもないと思い、俺は黙り込んだ。

――それにしても、回送になったら、どうたらとか言ってやがったな。どういうことだ?


***

そして電車は一旦回送になり、駅のホームを離れた。

その時、俺は突然身動きできるようになり、気がつくと席に座っていた。


『よお、新入り』

隣から声がかかる。

さっき俺に話し掛けてきた奴だ。


そいつはハゲ頭の、しょぼそうなオッサンだった。

背広を着てるから、サラリーマンか何かだろう。

顔色が妙に青白いし、あちこちに赤黒い隈が浮いている。


俺はかなりムカついていたので、オッサンの胸倉を掴んで締め上げる。

するとオッサンは、にやにやと笑いながら言った。

『お前、そんなことしてると、席を取られるぞ』


オッサンの言葉が終わらないうちに、俺の背中に軽い衝撃が来た。

オッサンを離して正面に向き直ると、目の前にブラブラと足が揺れている。

見上げると、若いOL風の女が、吊革にぶら下がって必死で俺を蹴ろうとしていた。


その女の顔もオッサン同様に青白く、目の周りにどす黒い隈が浮いている。

俺は反射的に、手でその女の足を振り払った。

すると女はあっさりと吊革から手を離し、床に転げ落ちていった。


『お前、やるじゃないか』

隣を見るとオッサンが、目の前にぶら下がった、ひょろっとした大学生っぽい男の足を振り払おうとしている。


オッサンの向こう側でも、太った中年の女が、目の前にぶら下がった2人ともみ合っていた。

そちらは2人相手で分が悪かったらしく、見る間に席から床に蹴り落されてしまった。


空いた席に、ぶら下がっていたうちの1人が素早く滑り込むと、すぐさまもう1人と争い始めた。

そして床に落ちたオバハンも、必死の形相で座った奴の足に縋りついている。


『何なんだよ、これ?』

俺が呟くと、丁度大学生風の男を床に払い落としたオッサンが、笑いながら言った。

『まだ分からんのか。席の取り合いだよ』


『席の取り合いだあ?』

『そうだよ。この車両の中はな、席に座りたい奴で満ち溢れてるんだ。見てみろ』

俺が車内を見回すと、確かにオッサンの言う通り、あちこちでここと同じ争いが繰り広げられていた。


吊革にぶら下がった連中は、必死で前の席に座った奴らを蹴り落とそうとしているし、床に落ちた奴らは、吊革にぶら下がっている奴らや、席に座っている奴らの足を引っ張って、床に引きずり落そうとしていた。


『いいか。一応親切心で教えてやるが、この電車では、席に座ってる者が絶対的に有利なんだ。だから皆、席を奪い取ろうと必死なんだよ』

『有利って、どういうことよ?オッサン』

『この電車の中ではな、床に落ちると、そこから消えていくんだよ。ほら見ろ。お前がさっき振り落とした奴は、もう半分くらい消えかけてるだろ』


そう言われて床を見ると、確かにさっき俺を蹴ろうとしていた女が、床でのたうち回っていた。

女の体は、右半分が床に埋まるように消えていて、半分残った方の腕で、必死で空を搔いている。

顔色はどす黒く変色していて、目には絶望が浮かんでいた。


『ぶら下がってる連中も、そのうち力尽きて落ちる。だから俺たちみたいに、席に座ってる方が有利なんだよ。座ってる限り、足がついても消えないみたいだしな』

そう言いながらオッサンは、新たに目の前に現れた男と争い始めた。


『タカシ』

突然頭上から声が掛かったので、俺が見上げると、そこには必死の形相で吊革にぶら下がるミユキがいた。

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