努力すればチンパンジーになれる星
チャンキチ
チンパンジーと僕
第1話 チンパンジーと僕
誰もいない動物園の2人がけのベンチに座り僕は自動販売機によって長時間冷やされた麦茶を飲んだ。
その麦茶は、僕の火照った体を冷やすには十分な冷たさだった。喉元を過ぎる
目の前の檻の中にいるチンパンジーは孤独な僕には目もくれず、檻の中の影に座り夏の暑さをしのいでいた。
今頃僕はこの麦茶と同じようによく冷えたビールを飲んでいる予定だった。
東アジアにしては暑すぎるこの国の炎天下で飲むビールは麦茶とは比べ物にならないくらいに、うまかっただろう。
だが行かなかった。
僕は今朝までは今日のイベントを楽しみにしていた。今日は、大学の軽音楽サークルでバーベキューする予定だった。
軽音楽サークルといえどもいわゆる飲みサーで楽器など生まれてこの方触ったことない"軽音楽"や"バンド"という、いかにもこれから楽しいキャンパスライフが始まりそうな甘い言葉にアリのように群がった連中の集まりだった。
ギターの弦が何本あるか答えられるやつなんて一人もいないのではないか。そんなレベルのサークルだった。しかしそんなサークルの集まりがとても好きだった。
ギターの弦は6本だと知っているがギターは触ったことがないこの僕がこのサークルに入ったのは3年前の春だった。
それからというのもこのサークルでのイベントが楽しみでそれを生きがいにして今日までやってきた。
今日は、毎月開催されるサークルの飲み会の日で、市内唯一の一級河川の土手で昼からビールと焼肉を嗜む予定だった。
だが行かなかった。
「ごめん、急な用事ができたからいけなくなった。」
と僕の中の"突発的な何か"が、サークルのグループLINEに打ち込んだのだ。
理由がわからない。
ただ、LINEを送信し携帯の電源を切ってからその"突発的な何か"の余熱のようなものが僕を動かし、小さなころ1度だけ母親と行ったことがある郊外の動物園に来ていた。
そして気づけば僕は、日曜日だというのに周りに誰もいないチンパンジーの檻の前にいる。
チンパンジーが人気がないのか、この動物園に人がいないのか。
ここまで来る過程の記憶がおぼろげだった。
どうやって来たのか、今何時なのか。
考えれば思い出せると確信しつつも思い出す必要性を感じなかった。
ただチンパンジーを見ていた。
しかし僕の心は言葉では表せない感覚に満ち溢れていた。
まるでいままで血管にぶら下がり僕の挙動とともに揺れていた心臓が居場所をみつけ、つかの間の午睡をしているようだった。
この感覚を表す形容詞を探そうとしてすぐやめた。
この心地よい感覚に言葉はいらなかった。
僕の少ないボキャブラリーの中の形容詞を当てることで、この感覚が広辞苑の世界で垢抜けて、もう取り戻せなくなる気がしたのだ。
僕はサークルのイベントを断ることで、言葉を必要としない感覚に浸っていた。
そして目の前の檻の中の"彼"も言葉を必要としていない世界で生きていた。
人間は言葉があることで日々を煩わしくさせているのかもしれない。
「チンパンジーの世界のほうが楽かもね」
そう僕はつぶやいてもう一度チンパンジーの方を見ると檻の右の端に、「モナ8才」と書かれた愛嬌のある看板があった。
僕は「彼じゃなくて彼女だったね」とつぶやき、少し残ったぬるくなった麦茶を飲みほした。
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