屠龍の陽刀 〜滅びの運命に抗う者

ふろーらいと

第一章 東の地より

第1話 桜の森 [上]

澄み渡る青い空、華やかな桜の咲き誇る森の中に、一人の青年の姿があった。


「・・・ここはどこだ?」


健康的な体格に、色の偏りない黒髪と瞳。

中性的な整った顔に、物静かな息遣いの宿る男である。

ため息のように漏れ出た一言に、彼の心境が吐き出されていた。

彼は傍に、壊れて止まった腕時計が落ちている事に気付く。

不思議に思いながら拾い上げ、裏に刻まれたアルファベットを読み上げる。


アマギ「アカミネ・アマギ・・・俺の名前だ。でもこの時計には覚えが無い・・・俺の持ち物なのか・・・?」


ダイヤルを弄っても動く様子が無い。彼は壊れた時計をポケットに仕舞った。

そしてしばらく木陰で座り込み、アマギは状況の分析を始めた。


アマギ「確か俺は東京を歩いていた・・・晩夏だと言うのに酷く暑くて、急いで帰宅している途中だった筈・・・」


つい先程の記憶を振り返り、時系列に沿って整理する。


アマギ「そして今までに感じた事のないような吐き気と眩暈を起こして倒れた。熱中症かもしれないが・・・まぁ、今は大丈夫みたいだから置いておこう」


十分に混乱を生む体験ではあるものの、より奇妙で不可解な事が起きているのだ、

既に治った体調不良の事など後回しでも構わないだろう。


アマギ「そして、眩暈が晴れたと思ったら、辺り一面満開の桜の中で座り込んでいた・・・」


一から十まで声に出して確認してみたが、何が起こったのかわからない。

彼は唸った。自分の記憶を疑った。それは彼にとっては初めての経験だった。

学力試験では満点が当然、首席が当然。彼は自分の頭脳に自信があった。

記憶違いなどしたことが無かった。それが、彼と言う人間である。

しかしそんな彼にも、今の状況がわからなかった。


アマギ「こんな場所は見た事も無い。少なくとも、歩いていける範囲にこんなに桜しか見えない森なんて無い。眩暈を起こしている間に、周りがこんな事になっているなんてありえないんだが・・・」


アマギ「・・・そもそも今は秋の始め、桜が咲く季節ではない。しかもなぜか持ち物が消えている、財布もカバンもなくなっている。あるのは見覚えのない腕時計のみ・・・」

この時点で彼の中には、三つの可能性が浮かび上がっていた。

アマギ「(ひとつ・・・記憶障害。旅行のつもりでこの地にやって来るも、何らかの理由で学生時代の秋以降の記憶が無くなった。ふたつ、俺は熱中症か何かで倒れた後、どこかの病院に搬送され昏睡。事情があって病院から離され、この森の中で目を覚ました)」


それらはどちらも、彼の直感に反する物だった。

彼は常に極まった健康体で、体調不良など殆ど経験した事が無かった。

明確に否定する根拠こそ無いものの、どうしても肯定する事ができない。

故に彼はもう一つ。それらと同じくらい、彼にとってあり得ない結論を導き出した。


アマギ「三つ。俺の記憶や意識が健常で、あれから時間がほとんど経過していないと仮定することになるが・・・」


自分自身の現状を踏まえ、ありえないと思っていた結論を口に出す。

古今東西、様々な地域で物語の題材にされ、日本では神隠しとも呼ばれた伝説。

最近ではトラック等に撥ねられて呼び込まれると言う見知らぬ場所。即ち__


アマギ「ここは・・・異世界か?」


現状を最も都合よく説明できる、最も考えたく無かった可能性。

彼は自分が完全に“知らない場所”にいるという事実にたどり着いた。


どちらにせよあり得ない、何か他の可能性は無いだろうか?

そう思いつつも、考えているだけでは腹が減り喉が渇くだけ。

彼はこの土地に人が住んでいる事に期待して、街のある場所を探し歩き始めた。

しかし、見える限りではそれらしいものは無い。完全に遭難状態である。


アマギ「水と食料だけでも確保しないと・・・川を探すのが一番手っ取り早いけど、近くに無いとしたらそれ以外の手段でせめて水だけでも・・・しかし、綺麗な場所だ・・・」


見れば見るほどに、周囲の桜はとても美しい。

まるで自分が天国に来てしまったかのようにも思えるが、

彼は今も間違いなく生きている。


アマギ「・・・食べ物も飲み水もできれば加熱したいし、火も必要だな。問題はどうやって火を起こすか・・・」


残念なことに彼にはライターやマッチ以外での火起こしの経験は無かった。

知識こそあるものの、未経験であることは多少の不安を掻き立てる。

しかしそんな中、飲み水の不安を解消してくれるであろう音が耳に入る。


アマギ「これは・・・川の音・・・!」

せせらぎでリラックスすることはあっても、

興奮したのはこれが初めてだっただろう。

音の鳴る方へ斜面を降っていくと、そこそこの大きさの川が見えた。


そしてもうひとつ。彼にとって何よりも有り難い情報が、その河原にあった。

人がいたのである。猟銃を持った、マタギ風の男の二人組だった。

この世界にも人がいる。人外未知の魔境では無いのだ。

彼は声をかけようと、二人組へと走り出す。

すると話しかけるよりも早く足音で二人が振り返った。


銃を構えて、だったが。


アマギ「_うわ!?」

発砲音が鳴った後、もう一人が慌てて静止する。

恐るべき精度で放たれた弾丸は音の壁を破って突き進み、

直前に足を滑らせた彼の頭上を通過して、背後の樹木に命中した。


男A「すまん!誰だか知らんが大丈夫か!?」


止めた方が駆け寄ってくる。


アマギ「ええ・・・どうやら大丈夫です」


驚きのあまり数秒へたれこんでしまった。

銃で狙われる経験は初めてだった。


男B「あぶねぇな兄ちゃん、不用意に後ろから近づくんじゃねぇ。」

男A「おい、撃ったのはお前だろ、なんでお前が謝らねぇんだ。」

男B「うるせぇ、そもそもこんなところで何してる。同業じゃねぇよな?」


その男は銃弾を込め直しながら、逆上するように質問して来る。

瞳には明らかに疑念の感情が表れていた。


アマギ「ええとなんというか、道に迷ってしまって、近くに街とか、あります?」


可能な限り自然を装い話してみる。

どうやら違和感は与えずに済んだらしい。


男A「道?旅でもしているのかい?何も持っていないようだけど」

アマギ「落としてしまったんです。飲み水を探して川を見つけた所で・・・」

男B「武器ひとつ持ってねぇとは危機感のないヤツだな。この森は危ないぜ?」

男A「ああ、数年前とは違うんだ。美しい景色に騙されちゃいけない。ここは危険生物の出る人界の外ってヤツさ」

アマギ「人界の外?」


土地の名前かとも思ったが、どうやらただの比喩表現らしい。


男A「ああ、人の手の届かない場所って意味さ。それでも、街の周辺だけは安全を確保しとかないといけない」

男B「俺たちは街のパトロール役さ。どんなバケモノが出るのか、調べねぇと対策もできねぇからな」

アマギ「それってつまり、近くに街があるって事ですか?」


希望的な情報だった。


男A「迷ったなら・・・こっから川沿いに下っていけば、そのうち着くだろう」

男B「わかったらもういけ、俺たちは獲物探してる最中だったんだ。素人じゃ邪魔になるからホラ行け!」

男A「いやその前に謝れって。殺しかけたんだぞ?」

男B「ああ悪かったな、ホラさっさと消えた!」

アマギ「・・・ああいえ、大丈夫です。ありがとうございます」


銃を撃った男はいい加減に謝りアマギを追い払った。


男A「気をつけてな!・・・ったくもう少しちゃんと謝れないのか?」


ぶっきらぼうな長身の男と、優しそうな中背の男だった。

高そうな腕時計に、葉巻と思われる嗜好品、

やや古いがアマギから見て近代的な服装だった。


言葉が通じることが分かり、街に辿り着けるかもしれない希望を得る。

彼は安堵を覚え、しかし先ほどの忠告を思い出し、

バケモノという単語に不気味な予感を感じ取った。


男二人に背を向け、下流へ向けて歩き出したその数秒後だった。

背後から悪寒を感じて振り返ると、予想だにしない事態が起きていた。


アマギ「後ろ!危ない!!」


男二人はまだこちらを見ていた。

背後から忍び寄ってくる”ソレ”に、気付いていなかった。


男達「「!!」」


二人は同時に振り返る。

身の丈数十メートルはあろうかという、巨大な蛇が睨んでいた。

長身の男が眉間に向け、正確に発砲する。

しかし銃弾は強靭な鱗に呆気なく弾かれてしまった。

次の瞬間、二人の体は眩い閃光に包まれた。

大蛇の両目が光を発したのである。

光線を浴びた二人の男は、その姿勢のまま石のように動かなくなり_


・・・それ以降何が起きたのか、アマギは見ていない。

直感で命の危険を感じ、彼は既に走り出していた。


アマギ「(なんだあれは!本当に異世界かここは!巨大な蛇、睨むだけで石化する力!ヨーロッパの、伝承上の怪物・・・!あれは・・・バジリスク)」


明晰な頭脳が、怪物の正体を暴き出す。だがそんな考察に意味はない。

今の自分には、あの大蛇を殺す武器など無い。

銃弾すら弾いた鱗をどうすれば砕けるのか考えるが、

少なくとも素手では無理だと分かるので、思考を逃走に集中させる。


とは言え、できることなど走る以外になく。彼は体力が切れるまで逃げ続けた。


アマギ「ふぅ・・・ここまで逃げても追い付かれたら、流石に諦めるしか無いかな・・・」


縁起でもないことを口走り、結局水を一口も飲んでいないことを思い出す。


アマギ「・・・やっぱ川沿いに逃げた方がよかったか?喉が渇いた・・・」


言い切らないうちに、最悪の予想が当たってしまった。

背後から大きな音がした。重機が木々を薙ぎ倒すような音だった。

桜の幹と枝をへし折り、轟音と共に蛇の巨体が背後に現れる。


アマギ「(ヤバい!)」


直感的に横へ跳躍し、噛みつきを紙一重で躱す。しかしそれが限度だった。

大きく噛み合わせる音が背後で響き、風によって砂が舞う。

再度振り返ったバジリスクは、再びその双眸を輝かせ始めた。


アマギ「(ここまでか・・・)」


死への恐怖と断絶が、彼に諦念を植え付ける。

ここがどこなのか、自分の身に何が起こったのか。

彼は真相を知らぬままに死ぬことを身構える。しかし。


再び轟音が轟いた。先ほどよりも尚大きい衝撃だった。

突然目の前が土煙に包まれたかと思えば、大蛇の頭部が弾け飛んだ。


そして目の前に、小さな白色の髪がふわりと舞う。

両手に身の丈程もある、大槍のような大きさの剣を持ったそれは、

先ほどまでの怪物と打って変わって、あまりに可憐な少女の姿を取っていた。


大蛇の怪物バジリスクは、彼女の仕業か、既に絶命していた。


白髪の剣士「キミ・・・無事かい?」


振り返り訪ねてくる少女。青空のように澄んだ声だった。


アマギ「(誰だ・・・?いやそれよりも今)」


空を見上げ、状況を確認する。


アマギ「落ちて、来た・・・?」


そうとしか思えなかった。

この少女は、先ほどまでアマギの目前で鎌首を擡げていた大蛇目掛け、

砲弾を思わせる速度で真上から“落ちて”きたのだ。

両手の剣で頚を切り落としたのだろうか?

人間とは・・・否、生物とは思えない所業だった。


白髪の剣士「無事なのかい?なら北西を目指すといい。そこそこの規模の街がある」

アマギ「あの、ちょっと!」


せめて礼を言おうと思ったが、白き少女は名も名乗らず、

まるで逃げるように再び上空へ飛び去った。


アマギ「は、早っ・・・」


瞬く間に上昇し、数秒で豆粒程にも見えなくなった。

どう見ても音速など軽々と超えている。

その速さに礼を言っても聞こえないだろうと諦め、

あまりに現実離れした状況のせいか、返って思考が冷静になっていた。


アマギ「つまり・・・ミサイルの妖精か何かかな」


・・・冷静になったと思われる。


彼はようやく、自分が異世界に迷い込んだことを受け入れた。

放心してしばらく蛇の残骸を眺めていたが、血が服に付きそうになって我に返った。


アマギ「(北西って言っていたな。日の動きから方位を割り出すには、壊れてないタイプの時計がいるけど・・・月が見えるな)」


地平線の少し上に、月が登っていた。太陽の出た位置とおよそ同じだろう。


アマギ「(さっきの川の下流と進行方向はおよそ一致する・・・行くか。ここが南半球でないことを祈ろう)」


さっきまで殺されかけていたというのに、驚くほど落ち着いていた。

先ほどの一撃があまりに鮮烈だったからだろう。

喉が渇いていたことも忘れ、

日が暮れるより先に街に着くことを目指して歩き始めた。

夜間の危険度は昼の比ではない。


彼は忘れていた。

方角を教えてもらったはいいものの、自分が街までの距離を知らないことを。

今日中に到着する見込みがないままに、

水も食料も無しに歩いている現状の危険性を。


・・・やはり冷静にはなっていなかったようである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る