第6話 リーン・シャルダン-その1

 リーン・シャルダン……やっぱりこいつ、すげえいい女だな。


 パッチリした目に低めの鼻、スラっとしてるくせに嫌でも目を引く大きな胸。両親が舞台俳優の芸能一家だけあって、輝くような華やかさじゃねえか。


 同じ2年だけど、向こうは子爵令嬢だから別クラス。しかも、ちょっと前まで前世の記憶もなかったから、実物を見るのは今日が初めてだ。


 この世界の女の子はみんな可愛いけど、ゲームの攻略対象は別格。

 その中でも頭一つ抜けて可愛いと思ってたリーン・シャルダン。


 そうか、これが本物か……。


「ヘンターくん、いい加減放してよ! そこのキミ! 助けて、お願い」

「おい、そこの男爵クラス。こっちに来て、ボクを手伝うでしゅ」


 おっと、見惚れてる場合じゃなかった。


 ヘンターとかいう子爵はリーンに向かって両手をかざして、距離を置いたままどっちも動いてない。


 これって、リーン・シャルダンの誘拐イベントじゃねえか。


 確かこのイベントじゃ、俺はこの子爵の命に逆らえずに手伝って、そこを通りかかったジーンに二人まとめて撃退されるんだったよな。


 だったら、さっそくジーンの手柄を横取りできるチャンス到来だぜ。


「お断りだ。誰が手伝うかよ」

「いいことを教えてやるでしゅ。今のリーンたんはボクちんの拘束魔法で身動きが取れないでしゅ。だからスカートを捲っても抵抗できないんでしゅ。おパンツが見放題でしゅよ?」


 なんだこの語尾、超ムカつく。しかも『ボクちん』に『リーンたん』って……。

 おパンツは見てえが、そんな卑怯な手は使わねえぞ、普通。


 頭は金髪でキノコみたいな髪型の、出っ歯で太った体形。

 眼鏡の奥では、いやらしそうな深緑の瞳が光ってやがる。


 初対面だっていうのに、ここまでムカつく奴も初めてだ。


 いくら向こうは子爵だからってこんな奴を手伝うなよ、ゲーム内の俺!


「いやぁっ、そんなのやめて! ねぇ、キミ。そんなことしないよね? ね?」

「大丈夫、しねえから」


 こいつの魔法は、身柄を拘束するだけのはず。

 一人じゃそれ以上何もできねえから、協力者を求めてるんだな。


 こんなキモい男はぶっ飛ばしてやりてえとこだが、自分より格上の貴族に暴力を振るったら家族にまで迷惑をかけちまう。


 今はリーンさえ救出できれば充分だろ。


 それならこのままリーンを抱えて、魔法の届かないところまで連れ去るだけで済むしな。


「ちょっとだけ我慢してくれよ」

「えっ? あ、うん」


 俺はリーンの背後に立って、お姫様抱っこの要領でその身体を抱き上げた。

 スカート丈はくるぶしまであるし、文句も言われないだろ。


「ふんっ!」

「重くない? 大丈夫?」

「いや、ちっとも。全然軽いぜ」


 なんだこいつ、見かけによらず重いじゃねえか!

 しかも棒立ちのまま硬直してるから、すごく持ちにくいぞ。


 それでもここは根性を見せて、格好良く立ち去らねえと……。


「落とさないでね」

「任せろって」


 間近で見ると、さらに可愛いな。


 硬直してても身体は柔らけえし、温ったけえ。

 胸の膨らみは目に突き刺さりそうだし、とってもいい匂いもするし……って、ダメだダメだ。今は助けないとだな。


「お、お、お、おいお前! ボクちんのリーンたんをどうするつもりでしゅか!」


 うわっ、なんだこいつキモい。

 『ボクちんのリーンたん』ってなんだよ。すでに自分のモノのつもりか?


 ゲームをしててもムカついたけど、本人を前にしたらクズっぷりが半端ねえな。


 リーンを助ける前に、こいつは蹴り飛ばしておくべきか?


「どうするって、この子を守るに決まってるだろ」

「そんなの、許さないでしゅ、許さないでしゅ、許さないでしゅ!」

「えっ?」


 リーンの硬直が解けた……と思ったら、今度は俺の身体の自由が利かなくなった。

 ヘンターを見ると、俺に向けて両手をかざして力を込めてやがる。


 こいつ、今度は俺に魔法をかけやがったのか?


 人に向かって敵対魔法を掛けちゃいけないことぐらい、小さい頃から嫌というほど教え込まれてるはずだろうが。

 だけどそもそも、リーンに拘束魔法を掛けて誘拐しようと考える奴なんだから、常識なんて通用するわけがねえ。


 やっぱりこいつ、本当にヤバい。


「お前に選択肢はないでしゅ。ボクちんを手伝うでしゅ」


 口角を吊り上げて、出っ歯を剥き出しで笑いやがって。

 ニンマリとしたその表情もキモすぎる。


 くそっ、こんなキモい奴、やっぱり蹴り飛ばしておくべきだったか。


 それにしても、リーンをお姫様抱っこした腕が重いぞ。

 身体は硬直してるはずなのに、腕が軋み始めてきやがった。


「もう一度聞きましゅよ。ボクちんを手伝うでしゅ。断るっていうなら、このまま呼吸も止めてあげましゅ」


 まさかこいつ、本当にそんなことできるのか?

 ゲームじゃこんな展開にならないから、本当なのかハッタリなのかわからねえ。


 だけど首を縦に振ったらゲームと一緒だ。


 その選択肢だけは絶対にあり得ねえ!


「お前の手伝いなんて、絶対にしねえぞ」

「ムヒュヒュヒュ。手伝ってくれたら、いいこといっぱいでしゅよ? おパンツは見放題でしゅし、洋服だって脱がせ放題でしゅ。フヒヒヒィッ、見たくないでしゅか? リーンたんの生まれたまんまの姿。さぁ、手伝うでしゅ! うんって言うでしゅ!」


 こいつ、ヤバすぎるだろ。目がどっか行っちゃってるぞ。


 それにこの気色悪い笑い方。

 キモいと思ってたけど、どんどん不気味に見えてきた。


「ねぇ、キミっ。そんなことしないよね? あいつを手伝ったりしないよね?」

「大丈夫だ。絶対あんな奴に手は貸さねえから!」


 ヘンターから顔を背けたリーンが、俺の首に手を回してヒシッとしがみつく。


 俺を頼るような上目遣いしやがって。ドキッとしたじゃねえか!


 だけど、俺を拘束した途端に、この女は動けるようになったのか。

 ってことは、こいつの魔法は一人しか拘束できないみたいだな。

 それなら、何か反撃する方法もあるかもしれねえ。


 そうだ、こんなときこそアレだ!


『食らえ! 憤怒の力!』


 ちょっ、なんでだ? どうして発動しねえんだ?

 こいつに魔法を掛けられてるせいか?


 だったらどうする。

 考えろ、考えろ……。


 ダメだ! 身動きが取れないんじゃ、どうすることもできねえ!


「ムキーッ! リーンたん、そんな男にしがみついたらダメでしゅ! もう頭にきたでしゅ! 息の根を止めてやるでしゅ!」


 くそっ、喉が締め付けられていく。

 あいつの言葉は、ハッタリじゃなかったのかよ。


 俺の首筋を冷汗が伝う。


 息が苦しい。


 それでも俺は、絶対にゲームの通りにはならねえ。

 運命に逆らって、上級貴族になってやるんだ!


「かっ、かはっ……あがっ」

「やめて、やめて、やめて、やめてあげてよっ!」


 腕の中で俺を見上げるリーンが顔を青ざめさせた。


 ちょっとこれはヤバいかもしれねえ。

 頸動脈が締まってるのか、頭もボーっとしてきやがったぜ。


「いやぁっ!」


 リーンがヘンターに向かって手をかざす。

 するとその手のひらから、勢い良く水が噴き出した。


「うわっしゅ!」


 顔に水を浴びたヘンターの体勢が崩れる。

 そのお陰で、魔法の効力がやっと途切れた。


 まずい!


 硬直が急に解けたせいで、腰が砕けやがった。

 前のめりになって、腕に抱えてるリーンを支えきれねえ!


「きゃぁっ!」


 なんとか膝から崩れ落ちて、リーンを地面に落とすことだけは免れた。

 リーンは、俺を盾にして素早く背後に身を潜める。


 だけど二人分の体重をモロに受けた俺の膝は、激痛が走って動かない!


 くそっ、立てねえ。鼻息を荒げたヘンターが、迫ってくるってのに……。


「ムフーッ、もう許さないでしゅ! ボクちんの言うことを聞かない奴はみんな敵でしゅ。今度は一気に全力を出してやるから覚悟するでしゅ!」

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