第17話 逃げ場はない

 俺は、大輝の質問に怒りを抱いた。

 それは、自分が誰よりも理解していて。


 でも、なぜ、怒り?


 胸に怒りがある事は分かっても、その理由は全く検討もつかなかった。


「……ご、ごめん。大きい声出して。」


 いつの間にか少し浮かせていた腰を椅子に落ち着けて、俺は二人に謝った。


「いや、こちらこそごめん、青空。」


 大輝が、首を振って言う。


 そんなに謝られるようなことは、されていないのだが。


 自分が過剰に反応してしまったせいで謝られている今の状況に、罪悪感を感じる。


「私もごめん。」


 川井さんにまで謝られてしまって。

 どうすればよいのか分からなくなって、ただ足元を眺めた。


 先程までオレンジに満ちていた車内も、少し暗くなってくる。

 そろそろ、電気がつくだろう。


 うっすらと橙色に染められた床は、このガタンゴトンという音は、本来趣を感じさせるものなはずなのに。

 その光景を見ても、煩く鳴る鼓動に邪魔されて何も感じられなかった。


「……でも、良かった。千幸のこと嫌いなわけじゃないみたいで。」


 ちょっと安心したように、川井さんが言う。

 その顔を見ると、安心したように小さく笑みが浮かんでいて。


 ……川井さんは、親友が嫌われていないか心配だったのだなと今更気がつく。


「……ごめん。本当に、ごめん。」


 頭を下げて、川井さんに……そして、ここにいない冬川さんに詫びた。

 

 誤解を解かなければいけないと思うがあまり、新たな誤解を生みかけていた。

 本末転倒も良いところだし、なにより二人に失礼なことをしてしまった。

 そんな自覚が、今更湧いてくる。


「ううん、別にいいよ。」


 川井さんが、柔らかな笑みを浮かべて言う。


 ……本当に、いい人なんだろうな。


 その笑みを見て、単純にそう思った。

 それは好きな人に抱くような高揚した感情と言うよりも、尊敬の念に近い感情であった。


 川井さんの顔から無理やり目をそらし、座席のシートを見下ろす。


 ……なんだか、本当にどっと疲れた。

 ふうと息を吐き出して、俺は席に体を沈めた。


 ずっと自分が座っている座席からはほのかな温かみを感じて、それがとても心地よい。


 右から左へと流れていく景色。


 とくに自然が多いわけでも、高層ビルがあるわけでもない。

 風景が綺麗なわけでもないのに、見ていると心が落ち着くようだ。


 しばらくボーッと外を眺めた後、なんだか心配になって俺は焼き菓子の入った紙袋を手に取る。

 大輝達とは反対側に置いていたその紙袋。


 中身を覗き、ちゃんと焼き菓子が入っているか確認した。


 買ったときと変わらず、美味しそうな焼き菓子がいくつか入っていて。


 焼き菓子を膝に乗せたまま、天井を見上げて考える。 


 冬川さんは、明日来るのだろうか。

 ……それが、分からない。


 明日来てくれれば、何も悩む必要はないのだけれど。


 ……もし明日来なかった場合、どうしようか。


 期限を考えて賞味期限が割と長いものを買ってきたけれど、冬川さんが来るまで毎日学校に持っていくわけにもいかない。


 やはり、明日来るかIINEで聞くのが一番いいのだろうか。


 いや、それかお詫びを兼ねて電話で聞くというのも……。

 でも、もしかしたら風邪で電話はキツイかもしれないし……。


「なあ、青空。ずっと思ってたんだけど、それ何?」


 不意に大輝に尋ねられて。


「あぁ、冬川さんに……。」


 考え込んでいた俺は、上の空で答えた。


「え」


「わ……!」


 しかし思いがけない反応を貰って、パチリと瞬きする。


「え?」


 我に返って、先程の会話を反芻して。


 俺は頭を抱えた。


 ……人の質問に、考え事をしながら応えるというのは愚策だ。そして、考え事をしている人間に質問をするのは邪道だといえる。


 法律で取り締まってくれないだろうか、と馬鹿げたことを考えつつ、頭を抱えてがっくりと床を見つめた。


 何言っているんだ俺は。

 これじゃ、酷い誤解が生まれちゃうじゃないか。


 自分の迂闊さ具合を呪うが、今更どうすることもできなくて。


「凄いな……。」


 大輝が感心したように言う。


 凄いってなんだよ、凄いって。

 思わず突っ込みたくなる気持ちを抑え、冷静に説明しようと口を開いた。


「い、いや、これは昨日のお詫びで……!」


 だが、焦っているからか声が上ずってしまって。


 大輝と川井さんに言う……が、疑いの眼差しで見られるばかりでとても納得したようには見えない。


「お詫び?」


 川井さんに聞き返されて。


「昨日、傘を……。」


 ハッとして、危ういところで口を閉じた。


 ……だめだだめだ。


 手で、口を抑える。


 相合い傘で帰ったとか知られたら、どんな目で見られるか分かったもんじゃない。


 誤解だと言い張ることすらできない窮地に陥りかねなかった。


「傘?」


 拾わなくていい部分を拾う大輝。


「なんでもない!日頃のお礼!」


 近づいて、両肩に手を乗せて俺を信じろと念じるように言い聞かせた。


 ついでに、肩を前後に揺さぶっておく。

 特にその行為に意味などないが、頬がとにかく熱かった。


「いや、さっきお詫びって……。」


「言ってない!」


 無茶なゴリ押し。


 もう、誤解なんぞどうでも良くなってくる。


 大輝が振り回されつつ若干呆れたような顔をしている。

 やんわりと大輝に押し戻されて、俺はがっくりと肩を落として席に座りこんだ。


 頬が熱いやら、心臓がうるさいやら、冬川さんに申し訳ないやら。

 もうどんな顔をして良いのかわからなくて。


 疲労困憊とはまさにこのことだろう。

 冬川さんには悪いが、この誤解を今の俺が解けるようには思えなかった。


「……夏野くん、千幸んち、行く?」


 川井さんが、疲れ切った俺に聞いてくる。


 仰ぎ見ると、その顔はニコニコと笑っていて。


「千幸も、友達が来てくれたら嬉しいと思うよ?二人で買い物に行くような仲良しな友達なら尚更。」


 一ヶ月前に本を買いに行った時の話だろう。

 

 友達なら、恥ずかしいこととか無いよね?

 そんな言外の意味をひしひしと感じるようだ。


 なぜか有無を言わせぬオーラを纏う川井さんに、疲れ切った俺が歯向かうことなどできるはずもなく。

 

「いきます……。」


 がっくりと肩を落とし、俺は細い声を出した。

 長い戦いの末、結局冬川さんのお見舞いについていくことになってしまったらしい。


 電車内に、アナウンスが流れる。


 どうやら、二人と争っている間に俺の最寄りを通り過ぎてしまったらしい。


 ……どちらにしろ、逃げ道はなかったのか。


 ため息が口から漏れる。


 もうすぐ、電車は冬川さんの最寄り駅に到着する。


 切符は、と思いかけてICカードを使っていたことを思い出した。

 どうやら、逃げ場などはないようだった。


 ……至急冬川さんに連絡を入れなければ。

 そう気がつく。


 川井さんだけならまだしも、俺まで……なんなら付き添いのために大輝まで来るのだから。

 なにか報告しておくべきだろう。


 どっと疲れを感じながら、俺はスマホを開いた。


 ガタンゴトン、ガタン、ゴトン。


 少しずつゆっくりになっていく音は、電車が駅に近づいていることを示していて。

 さっきまでは風情を感じていたその音が、今は地獄の審判が近づいてくる音か何かに聞こえて仕方がなかった。

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失恋した。だけどそれは君もだったらしい。 キタカワ。 @Kitakawashousetu

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