第2話 衝撃の事実

 数十分前のことだ。


 俺は文芸部の活動を終えて、帰途につこうとしていた。


 文芸部とはいっても、なんとなく集まっては、涼しい部屋で思い思いに好きな本を読むだけの緩い部活だ。

 数年前までは部員全員で創作に励んでいたらしいが、今の3年生にそれほどのやる気はなかった。


 2年生に一人、小説を書いている先輩がいるが、その人も複数人で創作活動をする気はあまり無いようだった。


 ともかく、俺は文芸部の活動を……読書を終えて、帰途につこうとしていた。


「……。」


 廊下は橙色に照らされており、窓から差し込む西日が少し眩しい。


 見渡す限りオレンジ色に染まった街並みが、秋の夕暮れを感じさせた。


 気付けば、入学してから半年が経とうとしている。


 早いような、短いような。


 週に3、4日ほど部活に顔を出し、他の日は課題をするか、のんびりとゲームをして過ごす……そんな毎日にも、だいぶ慣れた。


 最初のうちは課題に悲鳴を上げていたものだが、案外これも慣れるものだ。


 家でも勉強が苦なくできるのは俺の数少ない長所だろう。


 初めのうちは戸惑ってばかりいた高校生活も、気が付けば板についてきていた。


 だからこうして部室の戸締りをして職員室に鍵を戻す作業も、慣れたものだ。


 ……胸を張って、そう言いたいところなのだが。


「……。」


 慣れない。


 こればっかりは、慣れない。


 うちの文芸部は1年生が戸締りと鍵の返却をすることになっている。

 それ自体は別にいいのだが、問題は一年生が二人しかいないことだった。


 隣を、ちらりと見る。


 冬川千幸ふゆかわちゆき


 文芸部の、もう一人の一年生。


 眼鏡をかけた、ボブカットの女子。


 クラスのマドンナの川井優雨かわいゆうさんの親友。

 ……早い話、冬川さんは、俺が好きな人の親友だ。


 俺が一方的に好きなだけとか、相手にクラスメイトと認識されてるかすら怪しいとか言わないでほしい。

 自覚はあるから。


 というか今、そんな話はどうでもいいのだ。


 大事なのは、冬川さんとのこの気まずい空間をどうすればいいのかということ。


 何か用事があれば話しかけられるし、同じ部活である以上週に1、2回話しかけられることもある。

 でも、特に用事も無いというのに話しかけるのは、俺にはハードルが高すぎる。


 冬川さんと俺の距離は、そのくらい。

 だから、一緒に職員室まで歩き鍵を返すこの時間は気まずさに満ちていた。


 ……交代で鍵を返すとか、決まりを作ればよいのかもしれない。

 

 でも、来るも来ないも自由なこの部活だ。

 冬川さんがいつ来るかは冬川さんの気分次第だし、それは俺だってそうだ。


 何が言いたいかというと、わからないのだ。


 明日冬川さんが来るのか来ないのか、明日俺が行くか行かないか。

 分からないし、それをわざわざ話すほど心の距離は近くない。


 二人とも部活に来た時も、その仕事を相手に任せるのは気が引けるし、かといって"俺がやるよ"と言っても結局冬川さんは職員室までついてくる。


 ……おそらく冬川さんも、仕事を他人に任せるのは気が引けるのだと思う。


 そんな心の距離の遠さと遠慮が生むこの時間が、気まずくないわけがなかった。


 職員室に入るときだけ、挨拶と決まり文句を口にする。


 本を読んでいた数時間も含めて碌に声を出していなかったせいで、少し声がかすれる。

 これも、いつものことだ。


 運動部は外にいて、帰宅部はもう帰っている。

 だから、廊下はしんと静まり返っていて、沈黙を余計強く感じてしまう。


 これも、いつものことだ。


 そのまま靴箱に向かって、俺は自転車置き場に、冬川さんは駅に行く。


 いつもなら、そうなるはずだった。


 しかし。


「あ。」


 職員室を出て、廊下を半分くらい歩いたところで冬川さんが声を漏らした。


「……忘れた。」


 隣を見ると、冬川さんがリュックを前にずらしてなにやらごそごそと探している。


 その様子、その発言。


「忘れ物?」


 ……わざわざ問わずとも分かることを、なんとなく聞いてしまう。


「うん。数学のプリント。」


 リュックを覗き込みながら、冬川さんが言った。


 下を向いているせいで、少しくぐもったその声を聴いて。


「……あ。」


 思わず間抜けな声が出た。


 完全に意識の奥底に忘れ去られていた記憶が、呼び起こされる。


 ……そういえば、一昨日の授業中に配られたプリントがあった。

 いつもならばその日のうちに終わらせるのだが、あいにくその日は忙しく後回しにしていたのだ。


 その結果、完全に忘れていた。


 たぶん、俺のも教室に置き忘れていると思う。


 冬川さんが気付かなければ、俺も気づいていなかっただろう。

 危ないところだった。


 メモか何かを取っておくべきだった。

 そう後悔する。


 量があまり多くないのが救いだが、提出は明日だ。


 いくらなんでも朝来てから終わらせられるほど俺は器用ではない。


 ……教室に取りに帰るしかないみたいだ。


「夏野君も忘れたの?」


 諦めたようにリュックを背中に戻して、冬川さんが問う。


「うん。」


 ほんの少し憂鬱な気分を乗せて、返事をした。


 まだ校内にいるので、取りに帰るのにさして時間はかからない。

 しかし、帰宅しようとして気分をオフに切り替えかけたというのに、また引き返さなければいけないのは少し面倒に思えた。


 ただ、それは課題を出さない選択を取るほど強い感情でもなく。


 二人はどちらともなく教室へと歩き出した。







 数分後、ことは起こった。


 何の気なくガラリと教室のドアを開けた俺は、目を見開いて入口に立ち尽くした。


 見慣れた黒板。

 見慣れた机。

 窓から見えるは見慣れた景色。


 そんな見慣れた教室に、 机をはさんで向かい合うようにして男女が座っていた。

 机には勉強道具が広げられていて、勉強を教え合っていたのが見て取れる。


 見慣れた教室にいる、見慣れたクラスメイト。


 しかしその組み合わせは、あまりにも見慣れなくて、見慣れたくなかった。


「あ、青空。」


 机に座っていた男子が声をかけてくる。


「……ぁ。め、めずらしく勉強してるじゃん、大輝。」


 ハッとして、取り繕うように笑顔を浮かべた。


 少し反応が遅れたことに、気付かれていないといいが。


 浮かべた笑顔とは裏腹に、心臓は痛く跳ねている。


 大輝が、心配そうな表情を浮かべる。


 親の次に見慣れたはずのその端正な顔をどんな表情で見たらいいのか、今更分からなくなった。


 ……池上大輝いけがみたいき


 イケメンで明るくて、運動神経も抜群で。

 それでいて性格も最高な、陽キャの中の陽キャ。


 モテるというのに少し鈍感なところがあるが、それを差し引いても余りあるくらいに良い奴で。


 幼稚園生の時からずっと一緒に居た、俺にはもったいないくらいの幼馴染で、最高の親友だ。


 そして、今その向かいに座っているのは……。


 チラリと見て、心を刺す痛みに耐えきれなくなってすぐに目をそらす。


 川井優雨かわいゆう


 クラスのマドンナ。


 俺が密かに、……親友の大輝にさえ打ち明けないくらい密かに想いを寄せていた片想い相手。


 見るたびに1人ドキッとしていた長めの茶色がかった髪も、そのぱっちりとした目も、今はどんな目で見たらいいか分からなかった。


 親友と、好きな人。

 その二人が、とても楽しそうに勉強しているのを、見てしまったのだから。


「大丈夫かよ。体調でも悪いのか?」


 大輝が立ち上がって歩いてくる。


 ……まずい。

 長い付き合いだ。

 これ以上近づかれると、気付かなくていいことまで気付かれてしまう。

 

「ちょっと疲れててさ。」


 言い訳するように言って、後ずさり教室の外に出る。


「え、用事があるんじゃなかったのか。青空。」


 面食らったように大輝が言った。


 当然だ。


 今の時間帯にわざわざ教室に来るなんて、用事があるとしか考えられない。

 それなのにも関わらず、俺は教室を去ろうとしているのだから、不思議に思うのも無理はない。


 でも、今この場所に居続けるだけの余裕は、今の俺にはなかった。


「……夏野君、忘れ物取らないと。」


 その時、後ろで声がした。


 大輝が、ぱちくりと瞬きする。


 冬川さんも、いるんだった。

 今更そう思いだす。


 そんなことも忘れてしまうくらいの衝撃だったのだ。


「き、昨日持って帰ったんだった。なんか忘れてたみたい。」


 あははと空虚な笑いを発しながら、振り向いて冬川さんに言う。


 冬川さんは、少し眉をひそめた。


 俺の表情に、不自然さを見出したのだろうか。


 しかし冬川さんはそれを咎めることなく、俺の横を通り抜けて教室に入った。


 そして、教室の入口に突っ立ったまま固まった。


「あ、あれ?千幸?」


 川井さんが、驚いたように冬川さんの名前を呼ぶ。


「ゆ……優雨?……な、んかごめん。邪魔しちゃった?」


 冬川さんの声が、一瞬揺れた気がした。

 でも、気のせいだったのかもしれない。

 だって、すぐに普通の声音に戻ったから。


 それよりも。


 ”邪魔しちゃった?”


 その声に、青空はごくりと唾をのんだ。


 俺たちは、二人を邪魔してしまったのだろうか。

 

 残暑は抜けきったはずなのに。

 嫌な汗が、首筋を伝う。


 ……いや、きっと勘違いだ。


 大輝はただ、成績優秀な人に勉強を教えてもらおうと思っただけだろう。

 ただそれが、川井さんだっただけの話なのだろう。


 そこに深堀できるような関係性は、ない……はずだ。

 あのコミュ力の塊のような大輝なら、あり得るはずだ。


 言い聞かせるように、思う。


 ……だから、早くここを離れるべきだ。


 万が一……もし、もし違ったら。

 そんなこと考えたくはないが、もし二人が特別な関係だったなら。


 何か言い訳して、逃げるべきだと思うのだけれど。

 足が縫い付けられたように動かない。


 なんで、二人で勉強していたのか。

 二人はどんな関係なのか。


 聞くのが怖い。

 しかし、聞きたい。


「何言ってるの、邪魔なわけないでしょ。千幸なんだから。」


 柔らかい笑顔をたたえて発された川井さんの言葉は、いったいどんな意味を含むのだろうか。


 千幸だから邪魔じゃない、ということは、他の人が来たら邪魔なのか。

 それは、つまり。


「なあ、優雨。俺、青空には言っておきたいかも。」


 大輝が言う。


 ……言うって、何を。


 嫌な予感しかしない。

 でも、今更逃げられない。


 今逃げたらきっと、大輝は何かを察してしまう。


「私も、千幸には言っておきたいな。……言ってもいい?大輝。」


 大輝、優雨。


 そう名前で呼び合う二人の姿を、青空は知らなくて。


 胸が、ずきずきと嫌な痛みを訴える。


 なぜか気になって、前に立っている冬川さんを見る。


 その顔は見えない。


 でも、さっきちらりと見えた顔は、なぜか少しつらそうに見えた。


 大輝を、見る。


 その顔は、どこか嬉しそうで。

 

 ……昔から素直な奴だから。

 きっと、俺に言えるのが嬉しいんだろう。


 つゆほども思っていないのだろう。

 その混じりけのない気持ちが、俺の心を突き刺していることなんて。


 川井さんを、見る。


 その目はまっすぐ冬川さんの方に向いていて。


 その表情もどこか柔らかくて、ただのクラスメイトの青空が見たこともない表情をしていて。

 

 大輝と居るからだろうか。それとも、冬川さんと居るからだろうか。

 たぶん、どっちもなんだろう。


 絶望に染まった頭は、無情にも間違いないであろう結論をはじき出す。


 さっきまで趣があるように感じていた夕陽の橙色が、いまは無機質な地獄の空の色に見えた。


 大輝と川井さんが目を合わせて、微笑み合う。


 その表情は、幸せに満ちていて。


 思えば、大輝が自分から勉強しているところなんて始めて見た。

 川井さんが男子と一対一でしゃべってるところなんて始めて見た。


 大輝がこんなに嬉しそうに、幸せそうな顔をするなんて初めて知った。

 川井さんがこんな愛おしそうな顔をするなんて初めて知った。


 全部、初めて知った。


 大輝は川井さんが相手だから、こんなことをしてこんな表情をするのだろう。

 川井さんも大輝が相手だから、こんなことをしてこんな表情をするのだろう。


 入る隙なんてあるはずもない。


 ……いや、大輝からすれば、俺も大切な幼馴染だとは思われているのだろう。

 それくらいの自信は、ある。


 それに、大輝が幸せそうにすることに不満があるはずがない。

 大輝が嬉しそうなのが、うれしい。


 でも。

 でも、相手が川井さんなのが。


 心を、醜く変えてしまう。


 痛い。

 心が、痛かった。


 川井さんからしたら青空は数十人いるクラスメイトの一人にすぎなくて。

 

 ……見るだけで満足、とか。

 どうせ付き合えないんだから、とか。


 客観的な視点と、諦めの気持ちも持っていたというのに。

 どうやらそれでも、ゆるぎない事実として突きつけられるのは苦しいみたいだ。


 大輝と川井さんが、お互いの目を見て頷く。


 青空には、地獄へいざなう合図のように見えた。


「俺たち」

「私たち」


 一陣の風が吹きすぎる。


 もう秋だというのに、その風はどこかなまぬるかった。


「付き合ってるんだ。」


 幸せそうな声が、青空の心を突き刺す。

 

 青空には、祝福の言葉をどうにか絞り出すことしかできなかった。







【あとがき】


 失恋してしまった青空。

 しかし、青空に落ち込んでいる暇はなかった……。

 (ちょっとした次回予告)


 ということで、「失恋した。だけどそれは君もだったらしい。」本格スタートです!

 青空の青春の物語を見届けていただければ幸いです。

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