第五章 エピローグ 佐々木玲子

 私は佐々木ささき玲子れいこ、高尾信用金庫の職員です。担当は窓口業務。その私が口座開設の手続きを行ったお客様、ヨウミレイヤ様が職員の間で大変な話題になっているんです。


 ヨウミ様は総合口座をお作りになった時、いずれは事業決済にも利用するかも知れないと言われておりました。ところがその直後、日出ひで村から天然温泉スパリゾート日出村の顧問報酬や借地料の名目で入金されるようになりました。


 おそらく事業収入だと思われるのですが、入金先は当座預金ではなく普通預金口座です。そこそこの額ではありますが、それでも個人資産として莫大というほどの額ではないので特に問題はありませんでした。


 ところが先日、その普通預金口座に百億円もの入金があったのです。しかも送金元は大日本帝国最大のありはら海運ではありませんか。


 当然のごとく定期預金のお勧めとクレジットカードの契約を取るよう通達がなされました。私ではなく営業部にです。私はその前に当座預金への預け入れをお勧めするべきだと主張しましたが、営業部長が聞き入れてくれませんでした。


「佐々木君、当座預金より利息が有利な定期預金をお勧めする方がお客様のためだと思わないかね?」


 部長の言うことも分かります。ですが当座預金は利息がつかない代わりに預金保険制度によって、金融機関が破綻しても全額が保護されるのです。当信用金庫が倒産するとは思いませんが万が一そうなった時、普通預金や定期預金では元本一千万円までと破綻日までの利息等しか保護されません。


 つまりヨウミ様のおよそ九十九億九千万円は消えてしまうのです。それをお伝えしないまま定期預金をお勧めするなんて、ヨウミ様はもちろん当信用金庫の将来にとってもマイナスなのではないでしょうか。


 私の勘ではヨウミ様はまだまだ大きな収入があると思われます。それなのに必要のないクレジットカードや、高尾信用金庫が破たんした時にほとんど保障のない定期預金をお勧めするのはどうかと思うのです。


 ですが営業部長は自らのを欲するがために、営業部員を差し置いてヨウミ様のお宅を訪ねました。


「貴方は信用出来ない。定期預金もクレジットカードも、窓口を担当してくれた佐々木玲子さんの成績になるなら契約しましょう」


 ヨウミ様はそのように仰られたそうです。その日から私に対する営業部長のイビリが始まりました。毎日が苦痛で耐えられず、私は退職を決意します。


「たかしんを辞めるとなると、この職員寮からも出なければなりませんね」


 大学を出てから高尾信用金庫に就職して五年、長くもあり短くもあった寮での生活に愛着がないと言えば嘘になります。退職願をしたためながら私はぐるりと部屋を眺めました。


 でももうあの部長とは顔を合わせるだけで胃が痛くなるほどストレスを感じるのです。辞めたらきっと他行にも私の悪い噂を流されるに違いありません。あの人はそういう人ですから。


 そうなるとこれまでの経験を生かして銀行業務に携わることは難しくなるでしょう。次はどんな仕事に就けるのか。先を考えると憂鬱になります。


 そんな時、どうやって知ったのか、私の個人スマホにヨウミ様の代理を名乗るハラル様から着信が入りました。ハラル様は口座開設の際にヨウミ様と共に来られた方と言います。


 私は彼女の言葉に半信半疑でした。いえ、以前ヨウミ様と共に来られたというところではありません。彼女がヨウミ様から私宛に預かった伝言にです。誰にも、親にも相談していなかったのにどうして彼女がそんなことを知っていたのか。


 用意した退職願を誰かに見られたのでしょうか。持ち歩かずに寮の机の引き出しにしまっておいたはずですが。


「高尾信用金庫を辞められるなら、ヨウミ家の資産管理をやりませんか?」

「資産管理、ですか?」


「我が主は来年以降、ありはら海運より毎年三十億円を受け取る予定です。もちろん他にも収入があります。それらの資産の管理をお願いしたいのです」

「あの、何故私なのでしょう?」


「佐々木さんの人柄と真面目さを我が主は高く評価しております」


 人柄と真面目さ……お会いしたのは口座開設のために窓口にいらしたあの時だけなのに、どうしてそんなことが分かるのでしょう。確かに私は庫内でも真面目と言われておりますが、そこには多分に揶揄も含まれていると思います。


 付き合いの悪いつまらない女。セクハラを受けるのが嫌で飲み会などには一切参加せず、業務が終われば食事やカラオケなどに誘われても断ってさっさと寮に帰るようにしていました。


 お酒は好きではありませんし、そもそも仕事とプライベートはきっちりと分けたい方なのです。かといって仲のいい友達がいるわけではありませんが。


「寮をお出になられたら、日出村の我が主の持つ土地に建てた事務所棟の二階に住むことも出来ますし、ご希望の物件があれば民間のマンションやアパートを借り上げることも可能です。引っ越し費用と家賃はこちらで負担します」

「えっ!?」


「オフィスはその事務所棟となります」

「ええっ!?」


「住まいが決まるまでの間は、お試しの意味も含めて事務所棟の部屋をご利用下さい。間取りは2DKです。もちろんホテルがよろしければビジネスホテルをお取りします。その場合の宿泊費も当方が負担致します」

「あの……」

「はい?」


「とても信じられないのですけど……」


「こちらとしては信じて下さいとしか……大事なことを忘れておりました。お給料は初年度は月に五十万円でボーナスは夏に二カ月分、冬は三カ月分となります。ただし初年度のボーナス支給はありません」


 ボーナスなしでも最初から年収六百万円で翌年からはボーナスが加わって八百五十万円。しかも昇給と業績給(これは初年度から)もあるので実際にはもっと頂けるようです。


 完全週休二日で残業はほとんどなし。残業した場合は十分単位で残業手当が割り増し支給されるとのこと。また、毎月家族や友達と利用出来るスパの優待券も二枚頂けるとか。一緒に楽しむような友達はおりませんが。


 でも両親は行きたがっていましたし、兄と妹もチケットが取れないと嘆いておりました。信じてもいいのでしょうか。何か裏があるのではと勘ぐってしまいます。例えばヨウミ様の愛人になれとか。


 それはありませんね。あの方の傍にはハラル様のような美しい女性がいらっしゃるのですから、私などお呼びではないでしょう。もちろん、望まれたなら断る理由なんてありませんけど。


 では犯罪の手伝いをさせられるとか……もなさそうですね。百億円ものお金を普通預金に入金されるようなお方ですし、まして入金元はあのありはら海運です。


 どの道私には選択肢がないと思いました。いえ、もっとよく考えれば色々とあるかも知れませんが、とにかく営業部長からイビられている現状から抜け出せるなら何でもいいのです。


「分かりました。ご期待に添えるかどうかは自信がありませんが、お話をお受けしたいと思います」


 その翌日、私は高尾信用金庫に退職願を出し、一カ月の引き継ぎ期間の後に無事、退職することが出来ました。


 それにしても不思議なことに、あの営業部長はその間本店出向で最後まで顔を合わせることがなかったのです。私としてはめでたしめでたしでした。



――あとかき――

次話より第六章に入ります。

ただリアルの関係で次回更新は8/3(土)とさせて頂きます。

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