第十五話

「まだ何か?」


 呼び止められたので俺とハラルは再びソファに戻る。


「契約のことだよ。期間は一年だったね」

「ええ。そのくらいあれば○国の海賊は一掃出来るでしょうから」


「そうだね。だけど海賊は○国だけではないんだ」

「存じております」


 実際海賊はあちこちの海で出没していた。


「実はこのところの海賊の横行で、ライズが船舶保険と貨物保険の保険料を値上げすると言ってきたのだよ」


 ライズはイギリスの保険組合である。正確にはライズは保険会社ではなく保険市場のことをいう。


 仕組みを簡単に説明すると、保険の契約者(今回はありはら海運がこれに当たる)がブローカーに保険を引き受けるシンジケート(保険金を支払う人や企業の集まり)を探させる。


 シンジケートが見つかるとブローカーはそこに所属するアンダーライターと交渉して契約書を作成するのだ。アンダーライターとは保険のプロフェッショナルのことである。


 というのもシンジケートのメンバーは、必ずしも保険に詳しいわけではないので、実際に取り引きを行うが専門家であるアンダーライターというわけだ。


 なお、保険金の支払いが発生した場合はメンバーが責任を負う。ちなみに"最後のシャツのボタンまで"と言われた無限責任について、現在それを負うのは法人メンバーで個人メンバーはほとんどいない。


 分かりにくいので保険料と保険金について補足すると、保険料とは保険をかける人や企業が保険会社などに支払う掛け金のこと。保険金とは、例えば生命保険で言うと怪我や病気、死亡などで保険会社から本人または遺族などに支払われる金である。


 ちなみに俺の元の世界ではライズ自体がなくなっていた。


「どのくらい値上げされるんですか?」

「年間十億から二十億にだよ」

「倍ですか」


「しかも船舶保険だけでだ。貨物保険も合わせるとバカにならなくてね」

「で、それが何か?」


「率直に言おう。今後はライズをやめて君との契約を続けたい」

「採算に合うんですか?」


「正直百億は厳しい。しかし君と契約したその日から、公海上での海賊からの被害や海難事故がゼロになったのも事実だ。船員や従業員も死んでない」


 保険でも損害は保障されるが船の修理にかかる期間や殺されてしまった船員、従業員への保障や欠員の補充など、運用面で目に見えにくい損失があるのだという。


「そういったことから守るのが今回の契約内容ですからね。あくまで公海上という制限はありますが」


「どうだろう。契約金を年間三十億に下げてもらえないだろうか。もちろん最低十年は契約を続けると約束しよう。契約書に記載もする」

「あー、構いませんよ」


「いや、分かっている。これが無理な条件……い、いいのか?」


「三十億頂けるのであれば構いません。ただしくれぐれも私が対処出来るのは公海上のトラブルのみで、領海内はもちろん、たとえ一メートルでもEEZ(排他的経済水域)内にいれば対応は出来ませんので」

「うむ。万が一そのような場合にはとにかくEEZの外に出るように通達を出しておく」


 それ、その国を全く信用していないってことだぞ。もっとも必ずしもEEZが安全というわけではないだろうが。


 この件は翌年以降の契約なので、契約書などの取り交わしは今回の契約が切れる前までに行うとして、俺とハラルはありはら海運を後にしたのだった。



◆◇◆◇



「二人して学園を休むなんて何かあったのかい?」


 からかうわけではなく本当に心配したといった表情で、教室に入るなり迦陵かりょうみなとが尋ねてきた。はまだ来ていないようだ。


「俺とありはらさんだけでなく、ハラルも一緒だったんだけどね」


「だからこそさ。君たちに何かあったんじゃないかと心配したんだよ。スマホにも出てくれないし」

「ごめん。取り込んでたからさ」


 着信はハラルから聞かされていたが、重要な案件で休んでいるのだからと無視したのである。相手が大人なら逆に状況を考えろと怒るところだ。しかしみなとはまだ高校一年生だから、それを言うのは酷というものだろう。


「大丈夫、何も心配ないよ」

「ならいいんだけど」


「ほら、ありはらさんも来た」

「在原さん……?」


「おはようございます、迦陵かりょうさん。レイヤさん、少しの間だけハラルさんをお借りしてもよろしいでしょうか?」


 は自分の机の上に鞄を置くと、何の前触れもなく俺にそんなことを言ってきた。もっとも話の内容はありはら家に張りつけてある偵察型ドローンの情報で分かっていたので断る理由はない。


 理由があるとすればハラルの方だが、彼女に拒否するつもりはないようだ。ハラルからも同意を得て、は彼女を教室の外に連れ出していった。


「いったい何の話だろうね」

「さあ」


 それから数分で二人が教室に戻ってくると、が俺の前に立った。


「レイヤさん、今日の放課後にお時間を頂きたいのですけど、よろしいかしら?」

「ハラル、俺の予定は?」

「問題ありません」


 つまりハラルは彼女からの申し入れを承諾したということである。


「分かった。付き合うよ」

「ありがとうございますわ」


 そして放課後、俺はに従って校舎の屋上へと向かうのだった。

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